NATO軍、バルト3国に長期駐留検討=米国務長官
2022年3月8日
アントニー・ブリンケン米国務長官は7日、訪問先のリトアニアで、北大西洋条約機構(NATO)軍がバルト地域での長期的な駐留について検討していることを明らかにした。ロシアによるウクライナ侵攻を受け、米国とNATO同盟国の間では東欧における軍配備を見直そうとする動きが強まっている。
ブリンケン氏は、NATOは「より恒久的な配備の問題について検討している」と語った。同氏は欧州を歴訪中で、バルト3国ではリトアニアに続きラトビアとエストニアを訪れ、米国の支援を表明する考えだ。
バルト3国では、NATOに対し防衛面での支援強化を求める声が高まっている。リトアニアのギタナス・ナウセーダ大統領はブリンケン氏に「抑止力だけではもはや十分ではなく、足元の防衛を強化する必要がある」とし、「そうしなければ手遅れになる」と述べた。
旧ソ連の一部だったバルト3国は2004年にNATOに加盟した。これまでロシアのウラジーミル・プーチン大統領が抱く領土拡大の野心に懸念を表明し、NATOには繰り返し対応強化を求めてきた。
米国はロシアが反発することを考慮し、バルト3国やロシア国境が近いNATO諸国での長期的な軍駐留には慎重な姿勢を維持してきた。
2014年11月15日 Appleの時価総額がロシアの全上場企業を上回る
- ロシアって完全に原油価格依存経済だから原油価格が下がると景気も悪化するんだよなー
- いまルーブルが激安なのと、原油価格が下がってるから単純に比較したらそりゃあこういう数字になるんだろう
- 島返せよ泥棒
- 昔NTTの時価総額が西ドイツすべての株より上だったんだぜwバブルってこういう物だよ?
ロシアという国
1858年
- 中国国内の混乱に乗じ脅迫でアムール川航行等を認めさせた
- 知識人から帝政打倒の農民啓蒙運動が上がるも流行らず運動が変質し皇帝を暗殺
- 次皇帝がこの運動を徹底弾圧。重工業化しシベリア鉄道敷設
- イギリスとアフガニスタンの争奪戦を始める
1905年
- 同時にまた「南下政策」展開し朝鮮半島へ進出を試みるも日英同盟を結んだ日本と衝突し日露戦争
- ロシア国内サンクトペテルブルクでは搾取貧困戦争に喘ぐ民衆が皇帝への直訴行軍(当時は皇帝に直訴すれば改善されると信じていた)
- 首謀者が暗殺されると皇帝崇拝の幻想が打ち砕かれた民衆は反政府運動を行い変えロシア革命へ繋がる
- 極東を諦め東南ヨーロッパに政策転換しドイツと対立
- オーストリアのボスニア併合を承諾する代わりにセルビア独立を支持することを約束していたが、守られなかったためロシア軍部はロシア皇帝に戦争するよう圧力、セルビアを支援、決定的勝利は得られず戦死者増大、政治腐敗も続く
1917年 ロシア革命
- 「パンをよこせ」「戦争反対」「専制君主制打倒」デモ隊鎮圧するための兵隊が反乱し民衆支持。ドイツ軍に守られロシアにレーニンが到着。
- ロシア政府軍の統制が実質とれず皇帝ニコライ2世は皇帝退位を決定。304年続いたロマノフ朝は終焉。
1918年 ソビエト革命政府
- ドイツに全面降伏。
- 反革命軍(ロマノフ王朝残党)vs赤軍(ユダヤ人が多かったので標的にされた、ウクライナではユダヤ人大虐殺)
- ニコライ2世とその家族は全員銃殺。帝政時代の貴族・地主・軍人・コサック兵 を裁判なしで即座に大量に殺害
- 「労働者、兵士、農民の政府」が、帝政以上に暴力的に労働者や農民を抑圧する体制となりロシア正教聖職者数万人を殺害
- 国内の革命に対する干渉に対抗するため外交攻勢として1919年コミンテルンを結成。各国の共産党を糾合し、世界革命を目指す
1921年
- 一党独裁を確立し500万人が餓死
1930年
- 大恐慌により多くの資本主義国が不況のなか、ソビエト連邦はその影響を受けず高い経済成長を達成。
その経済成長は政治犯や思想犯を中心とした強制労働による事実上の奴隷制度に支えられたものであり、その富は共産党の上層部に集中して配分
1939年
- ポーランド侵攻し東半分を占領2万5千人を裁判なしに銃殺(ロシアはユダヤ人が多数のためユダヤ人が入植)
- バルト3国に進駐し問答無用で親ソ政権を組織し反対分子は虐殺。シベリア収容所送りにし合併
1940年
- ルーマニアに圧力をかけ領土を割譲させる。フィンランドを侵略。
1941年
- ドイツがソ連に侵攻すると連合国側として第二次世界大戦に参戦
- ドイツとの戦争は苛烈なものとなり最終的に戦勝国となるもソ連の軍人の死者は1000万超え
1945年
- 日本との不可侵条約を一方的に破棄し宣戦布告し千島満州樺太に侵攻
- ソ連兵は流刑囚から多く結成。第二次世界大戦におけるソ連赤軍による民間人の女性の強姦は歴史史上最悪。ドイツ、日本、ポーランド、ハンガリーが被害。
第二次世界大戦後
- 東ヨーロッパの各国(ポーランド、東ドイツ、チェコスロバキア、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、アルバニア)をソ連に従う共産主義政党が独裁支配する社会主義国家を建設し衛星国家とした
- 抵抗の強かったチェコスロヴァキアやポーランドの政治家や活動は圧力をかけたり暗殺処刑した。アメリカと対立。
1950年
- ポーランドやハンガリーでの自由主義運動を武力で鎮圧。政府閣僚を含む約1200人を処刑
ロシア人は根っから残酷なのか?アフガン・ゲリラの影響