慰安婦 2ch / Twitter / Google / Youtube
植村隆 2ch / Twitter / Google / Youtube
12012/09/26(水) 17:18:47.33 ID:vGWFZH+h0
- 高知県生まれ。
- 早稲田大学政治経済学部卒業。
- 1982年、朝日新聞入社。
- 千葉支局、大韓民国特派員を経て、中華人民共和国特派員。
- 韓国語の学習のため、朝日新聞社入社後に延世大学校へ留学した。
- 妻は韓国人であり、同国の太平洋戦争犠牲者遺族会の常任理事である粱順任の娘である。
- 粱順任は日本政府に対してアジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件を起こし、また、日本政府からの補償金に絡む詐欺事件で容疑をかけられている
22012/09/26(水) 17:19:21.59 ID:vmwHBmdQ0
朝日新聞の捏造 FLASH 2012年9月11日号
- 「慰安婦問題は、日本の左翼が種を蒔き、それに韓国が乗っかって花を咲かせたのだ。
- では、この問題を大きく育てた朝日新聞は『捏造批判』にどう答えるか。
- 『締め切りまで時間がないので回答できません』。
- 日韓関係をここまでめちゃくちゃにした謝罪の言葉は、いっさいなかった」
「従軍慰安婦」は存在したのか? 池田信夫×片山さつき×西岡力
- 誰がどうやって慰安婦を問題化したのか、西岡がかっちりと説明しているので、必見。
- というよりラジオのように音声だけ聞いてれば良い
「従軍慰安婦」は存在したのか? 池田信夫×片山さつき×西岡力
「従軍慰安婦」は存在したのか? 池田信夫×片山さつき×西岡力領土で揺れる日中韓 「対立を克服できるか」2012-09-23 New!! 櫻井よしこ
http://www.dailymotion.com/video/xupo67
42012/09/26(水) 17:21:45.67 ID:vmwHBmdQ0
- 朝日新聞の捏造した「従軍慰安婦」 これは戦後処理とは無関係なデマである。
- 第2次大戦の賠償問題は1965年の日韓基本条約で終わっており、 このときには慰安婦という言葉も出ていない。
- 「従軍慰安婦」という言葉は日本のルポライターの造語で、 戦時中にそういう言葉が使われた事実もない。
- ところが1983年に吉田清治という元軍人が『私の戦争犯罪』という本で「済州島から慰安婦を拉致して戦場に送り込んだ」と書いたため、韓国で騒ぎが起こった。
- しかし1989年に済州島の地元紙が検証を行い、吉田の記述がまったく事実に反することを明らかにした。
- 本来ならここで終わっていたのだが、1991年8月に「福島瑞穂弁護士」などが慰安婦を原告として日本政府に国家賠償を求める訴訟を起こし、「私は慰安婦だった」という韓国人女性が名乗り出た。
- 実は私は当時、NHKに勤務していて半島人の「強制連行」を韓国まで取材したのだが、50人近い男女の中で「日本軍に強制連行された」という証言は1人もなかった。
《中略》
- 朝日新聞が謝罪しないと日韓関係は打開できない。
- このように「慰安婦問題」が政府間の問題になったきっかけは朝日新聞の誤報(あるいは捏造)だが、それを裏づけるのは元慰安婦の(矛盾した)話しかない。
元記者の長女の名前などネットに 投稿者に賠償命じる
- 慰安婦問題を取材していた朝日新聞の元記者の長女が、ツイッター上に実名や顔写真などをさらされプライバシーを侵害されたと訴えた裁判で、東京地方裁判所は「父親の仕事への反感から娘を攻撃した悪質な行為だ」として、投稿した男性に170万円の賠償を命じる判決を言い渡しました。
- この裁判は、朝日新聞で慰安婦問題を取材していた元記者の19歳の長女が、おととし、ツイッター上に、この記者の娘として実名や顔写真などをさらされてプライバシーを侵害され危害を加えられるおそれが生じたなどとして、投稿した男性に賠償を求めたものです。男性は「自分の投稿だけが原因で危険が増したわけではない」などとして訴えを退けるよう求めていました。
3日の判決で、東京地方裁判所の朝倉佳秀裁判長は「危害を加えるという脅迫状が元記者に送られるような状況の下で、投稿によって原告本人が記者の娘として容易に特定されるようになった」と指摘しました。
そのうえで、「父親の仕事への反感から未成年の娘を攻撃した悪質な行為だ」として、170万円の賠償を命じました。
判決のあと、原告の弁護士は「ネット上で無関係の家族を攻撃する風潮はあってはならない。匿名の書き込みでも投稿者が特定され高額の賠償が命じられることを示した意義のある判決だ」と話しました。
原告の女性「不当な攻撃やめさせる契機に」 - 判決のあと、元記者の長女は、弁護士を通じてコメントを出しました。この中で、当時の気持ちについて「ひぼう中傷のことばが大量に書き込まれたとき、私は、『怖い』と感じました。匿名の不特定多数からのいわれのないひぼう中傷はまるで、計り知れない『闇』のようなものでした」と振り返っています。そのうえで、「今回の判決がこうした不当な攻撃をやめさせるための契機や、健全なインターネットの利用とは何かについて考える機会になってほしいと思います」と訴えています。