日本は世界一の生命保険好き
日本は世界一の生命保険好きで自動車を乗らない人は住居の次にお金をかけている人が多い。そもそも健康保険の高額療養費制度がありオプジーボのような年間一千万円するような薬を服用しても医療費が年間100万円を超えることはない。そう言ったことを考えれば家族が多く40歳代で亡くなるようでなければメリットは極めて小さい。心配なら掛け捨てで必要最小限の保険料に留めて、そのお金を投資や別の用途に使うべきだと思う。
きついノルマ、経費は自己負担――大量採用・大量脱落「生保レディ」の労働実態 #昭和98年
縁故契約が期待できるから大量採用。できる人だけが生き残る
大量採用してその中からできる人だけが生き残る。大量採用なのは縁故契約が期待できるからで、縁故のコネが枯渇したらお払い箱という構図です。もともと一握りの人しか残らないことを前提にした採用です。客の立場からすれば入社歴が数年あればできる担当者ということで、新人が担当の保険会社は避けるべきです。必要以上の契約を迫られる場合があります。
大量採用と大量脱落。一般的な会社社員と違う
経験者です。生き残れるかどうかは様々なその人の持つ状況や性格や感性によると思いますが、会社自体が大量採用と大量脱落を前提としていて、一般的な会社社員と同じと考えない方がいいと思います(新卒入社は普通の会社員。全く別ルート)。つまりは長く安定して働く前提で考えるのではなく、少しやってみる、いやなら辞める。ぐらいがいいと思います。給与は基本安定しないので、最低ラインの給料でやっていける人(給料が直接生活費とならない人)である必要があると思います。普通の会社員にはない自由さもあるので、合う合わないはほんとにやってみないとわからない。ただ、手取りは下手すると10万以下が続く事もあるのでそれが耐えられる生活環境かどうかが重要。
このビジネス・モデルがなくなって、ノルマに苦しむ人たちが減ればいい
仕事で生保会社に行くこともありましたが、契約のノルマだけではなく、記事にあるように採用のノルマも半端なく、毎日朝礼で声がけしている〇〇さんは採用イベントにちゃんと来られるのか、などと詰められていて、こんなところでよく働けるなぁと感心しきりでした。生保営業は、コミュニケーション力が高い人や図太い性格の人など、得意な人は得意なのでしょうが、そうそう耐えられるものではないなと思います。でも続けられている方のことは本当にすごいと思います。しかしこのモデルがなくなって、ノルマに苦しむ人たちが減ればもっといいと思います。
金利で儲ける商品では無く、単にリスク時の保証にしかならない
ビジネスモデル自体が終了しているとしか言い様がない。結局、このバブル崩壊後30年間で金利で儲ける商品では無く、単にリスク時の保証にしかならない様になってしまったのではないでしょうか?そうだったら、共済やネット保険で中抜きの少ない商品を利用するのが賢いやり方で、生保レディの営業活動でコストがかかる従来型の保険は縮小していくことが容易に推定できるけど。
知人の紹介だった。話がまったく違ってパワハラのオンパレード
妹が以前生保レディをやっていました。きっかけは、知人の紹介だったそうです。その前にも、営業職を4年間やっていたのでやってみようかなという気軽な感覚で決めたそうです。いざ入社したら知人と面接での話とはまったく違ってパワハラのオンパレードの様な営業所だったそうです。所員全員にノルマを課せられ達成できないとみんなの前で上司から罵声を浴びられるそうです。以前も営業職をしてたけどそんな事はなかった職場なのでビックリし、こんなとこでやってられるかと思い2カ月在籍して辞めたそうです。妹曰く友人から誘われても絶対2度と入らないと言ってました。
母が生保レディの友人に頼まれて断れず名義貸し
20年ほど昔、母が生保レディの友人に頼まれて断れず名義貸しをしてしまいました。どんどん増え3本ほど契約させられていましたが、しばらくすると保険料を払ってくれなくなり母が支払いをしていました。それを知った私が何度か幼馴染の方に、支払いと解約をするよう話しましたがのらりくらりと逃げたり嘘をついたり。話しにならず。仕方なく→営業所長→東京本社と連絡するも、名義貸しなど存在しないの一点張り。金融庁の相談窓口に電話でアドバイスをもらい再度本社に電話して監督官庁に指導してもらうよう相談した、と言うと、速攻で解約でき今までこちらが負担した保険料も振り込まれました。その保険会社は翌年破綻。あれ以来生命保険が大嫌いになり私は一本も入っていません。その分は貯蓄しています。
毎月入社式。退職して続かない人がほとんどだから
大手生保の事務職枠へ転職した者です。入社してまず驚いたのが、職場で設定されている年間スケジュール表に毎月入社式が入っている事。前職は年一回のみの入社式だったので、なにかの間違いかと思って先輩に聞いたら当たり前のように毎月採用しないといけないし、入社してもすぐ退職して続かない人がほとんどだからと言われました。そんなに営業は厳しいんだな、と当時の自分はまだよく分かってませんでした。が、毎月入社式があることを前提にしてるのっておかしくない??なんで採用者が決まる度に職場一斉に拍手するのか、採用者が決まらない営業所は厳しくノルマを勧告され続ける、等々次第にたくさんの疑問が出て来ました。そんなに大量退職かつ採用に困るなら、なぜ今いる営業職員を大事に育てて息長く働いてもらおうとしないのでしょうか。退職者が出るのが当たり前のように毎月入社式をしているのって異常としか思えません。
今となっては良い人生経験
大手生保で5年働きました。 確かにノルマもあるし、給料上がらないし、内緒でバイトしないと生活できないし、バイトしても年金や終身保険の貸付して生活する毎日でした。 ただ、このきっつい5年の経験があったからこそ、転職後の今、自身のお金の使い方、貴重さを実感できたのと、仕事が大変でも少々の事で動じない図太さを得たと思います。当時はこの仕事を選んだ事を大変後悔しましたが、今となっては良い人生経験したと思ってます。
- 仕事を選んだことを後悔し結局転職したのに良い人生経験だった、と回顧するのは、生保レディの現状を肯定することに繋がらない?読んでいてしっくりこない文章ですよ。
- 個人レベルの苦い体験による社会勉強と自分のスキルアップは良いのでしょうが、社会的にブラック企業をある意味肯定し助長するのもどうでしょうかね。 営業しなきゃ売れない保険商品なんて結局は騙し商売。保険加入は簡単で支払いはしぶちん。まあ、それで加入する無知な消費者がいる限りはこの構図は変わらないのかもな。魅力的な保険商品なら生保レディなどが売り込まなくても加入者が集まるでしょう。
- キレイ事ですね。貴女の言う事を真に受けて志望する者が現れないことを願います。
- コメ主は何で奴隷営業を擁護してるの?
合計一千万円以上支払い、最後に年金として150万円受取っただけ
生保そのものが今や時代に合わないと思います。私は若くて何もわからなかった入社したての頃、この記事にある会社の生保レディーに誘われ、計四千万円の終身保険に加入しました。そして60歳まで毎月3〜4万円支払いました。合計一千万円以上支払いました。その間大病一つせず、生保は一切使うことなく、最後に年金として合計150万円受取っただけです。結果として30年以上生保会社に約一千万円納めただけになりました。今や高齢化の時代、そんなに大病せず、退職後の生活が長くなり、終身保険の意味が薄いです。退職後に入院しましたが、低額制度があり大金にはなりませんでした。四千万円もの終身保険に加入したのはほとんど無駄だったと悟りました。今から思えば入社したての何もわからない頃、美人の生保レディーに誘われ四千万円の終身保険に加入したのは、おぼこい足元を見られていたのだと思います。◎生保に加入するより貯蓄すれば全額戻ります。
友人が働き始めてノイローゼに
友人が働き始めてノイローゼになってます。休みだと聞いていた、土日もかりだされて、急に出社とか言われて 平日も定時に帰れなくて、休むことができません。有給も1ヶ月一度とるようにいわれますが、急に変更されます。週末の金曜でも、終わったというより、どんと疲れてます。そして憂鬱なんです。そして、週始めの月曜日も憂鬱なんです。新卒で入って、友人から、保険に入ろうかと思ったのですが、友人は嫌で嫌なので 休みで会う日には 仕事の話は 絶対に嫌なようです。自殺しないか心配で、就活を始めるように言っても、毎日そんな余力もなさそうです。
身内差し出し契約させて、使えなくなったら切られるのは周知の事実
抱っこ紐で買い物帰り、生保レディにならないかとたびたび声かけられました。嫌なところは、スーパーの駐車場を出たところをつけてきて声をかけてくる(敷地内だとスーパーから注意を受けるから)。子育て中、時間が自由になるし高収入だと魅力的なこと言ってくるんですが、そもそもなんの知識もない人間がそんな簡単に高収入とれるわけもなく、身内差し出し契約して使えなくなったら切られるのは周知の事実だから、即ことわりました。でも、たまに生保レディになってる人いるんですよね。で、必死に周りを勧誘してる。人間関係破綻するので、新卒以外生保関係の仕事には関わらないかぎります。
高金利商品が低金利時代になり逆ザヤが発生
平成の中頃、バブル期の高金利からなる商品が低金利時代になり逆ザヤが発生して生保業界は死活問題だった。そこで、低金利商品を作り、騙したも同然で高金利商品から契約変更をさせていたんだよね。そこで、田舎を中心に、人の繋がりで営業してた生保レディーしてた方々は一斉にと言わんばかりに各社、大量退職。そこで、一斉に求人を掛けるもんだから、就職難の時代にと可笑しな光景だった。