スペインやフランスの植民地支配
首都の9割、ギャングが支配 国の統制崩壊の恐れ―ハイチ
ハイチの首都ポルトープランスでは、武装ギャングが約9割の地域を支配しており、国連は「国家統制の完全崩壊」が現実味を帯びていると強く警告しています。この状況は、2021年の大統領暗殺以降続く政治的空白と治安悪化が背景にあり、ギャングの暴力が日常的に市民生活のあらゆる側面に影響を及ぼしています。
国連の報告によれば、今年に入ってからの殺人件数は昨年同期比で24%増加し、約4,000人に達しています。また、首都の暴力から逃れるために総人口の11%(約130万人)が避難生活を強いられている状況です。避難シェルターの数も昨年比で70%増加し、多くの人々が医療、教育、清潔な飲料水へのアクセスを失っています。
治安回復のため、現在はケニア主導の多国籍部隊(約1,000人)が駐留していますが、当初計画の2,500人には遠く及ばず、資金や人材の不足が深刻です。国連や関係者は、国際社会による迅速かつ大規模な支援と行動の強化を強く求めています。
日本の外務省もハイチ全土に対し危険情報レベル4(退避勧告)を発出しており、シリアやアフガニスタンと同等の極めて危険な状況とされています。
かつて南北アメリカ大陸で最も豊かな植民地であったハイチ
現在西半球で最も貧しい国の一つとなり、人口の半数以上が世界銀行の貧困ライン以下で生活しています。ハイチの経済は、2010年の大地震以降、GDPの大幅な縮小や高いインフレ率(2025年1月時点で約29.7%)、通貨価値の下落が続いており、市民生活は極めて厳しい状況です。
外国からの介入や債務、政情不安、自然災害が、長年にわたりハイチの開発努力を阻んできました。2010年の大地震では、被害額が前年GDPの120%に達し、その後もハリケーンなどの自然災害が経済やインフラに深刻な打撃を与えています。また、議会選挙や大統領選挙の停滞など政治的な不安定も、経済回復の足かせとなっています。
新首相の就任により、統治の安定化が期待されていますが、依然として治安悪化やギャングの台頭が大きな課題です。バイデン政権は米軍派遣を否定していますが、国連の承認を受けたケニア主導の多国籍軍への財政支援を約束し、ハイチの治安回復に国際社会が関与する構図となっています。
ハイチの今後の経済成長率は、2025年に1.0%、2026年に1.8%、2027年に2.2%と緩やかな回復が予測されていますが、構造的な課題の解決には時間がかかる見通しです。
ハイチ カリブ海で最も劇的な独立と変革の歴史
カリブ海地域における最も劇的な独立と変革の物語の一つです。
- 先コロンブス期
紀元前4000年頃からアラワク人(タイノ人)がイスパニョーラ島(現ハイチとドミニカ共和国)に定住し、島を「アイティ」などと呼んでいました。 - 植民地時代
1492年、クリストファー・コロンブスがヨーロッパ人として初めて到達し、スペインの植民地となりました。その後、先住民は過酷な労働や疫病でほぼ絶滅し、代わってアフリカから多くの黒人奴隷が連れてこられました。1697年のライスワイク条約で島の西部(現在のハイチ)はフランス領となり、「サン=ドマング」としてサトウキビやコーヒーのプランテーション経済が発展しました。 - ハイチ革命と独立
1789年のフランス革命の影響を受け、1791年に「ブックマンの反乱」と呼ばれる大規模な黒人奴隷蜂起が発生。トゥサン=ルヴェルチュールなどの指導者のもと、奴隷解放と独立を目指す戦いが続きました。1804年1月1日、ジャン=ジャック・デサリーヌの指導で独立を宣言し、ハイチは世界初の黒人による共和国、かつ奴隷反乱による唯一の独立国家となりました。 - 独立後の混乱と分裂
独立後、デサリーヌは皇帝となり、ハイチを黒人国家と宣言。内部対立や指導者の暗殺、北部と南部の分裂など混乱が続きました。1822年には隣国ドミニカ共和国(当時はスペイン領)を一時併合しましたが、1844年に分離独立されました。 - 19~20世紀の動乱
その後も政治的混乱や独裁が続き、20世紀初頭にはアメリカによる約20年間の占領も経験しました。1960年代以降はデュヴァリエ親子による独裁体制が長く続きました。 - 現代
現在も政治的・経済的な不安定さが続いていますが、ハイチの人々は「奴隷解放と独立の歴史」を誇りにしています。
ハイチは、奴隷制度廃止と黒人による独立を世界に先駆けて実現した歴史を持つ特別な国です。
ハイチの先住民は植民地支配やその後の社会変動により、ほぼ絶滅状態
ハイチの先住民については、歴史的にタイノ族が主な先住民でしたが、スペインやフランスの植民地支配やその後の社会変動により、ほぼ絶滅状態となっています。現在、ハイチには明確な先住民コミュニティはほとんど存在していません。
現代のハイチの人口は主にアフリカ系の子孫で構成されており、先住民の文化や言語はほぼ失われています。ただし、先住民の遺産は一部の文化や伝統、言語の中に影響を残しているとされています。
つまり、ハイチの先住民は現在ほぼ存在せず、その文化は歴史的に継承されているものの、独立したコミュニティとしては残っていないのが現状です。
現代のハイチの人口は主にアフリカ系の子孫
ハイチの先住民については、歴史的にタイノ族が主な先住民でしたが、スペインやフランスの植民地支配やその後の社会変動により、ほぼ絶滅状態となっています。現在、ハイチには明確な先住民コミュニティはほとんど存在していません。
現代のハイチの人口は主にアフリカ系の子孫で構成されており、先住民の文化や言語はほぼ失われています。ただし、先住民の遺産は一部の文化や伝統、言語の中に影響を残しているとされています。
つまり、ハイチの先住民は現在ほぼ存在せず、その文化は歴史的に継承されているものの、独立したコミュニティとしては残っていないのが現状です。