ミアシャイマーは、1990年代から一貫して「NATO拡大がロシアのウクライナ侵攻を引き起こす」と警告

政治

 

逆にプーチンはミアシャイマーの言葉を利用しているのでは?

「ロシア=悪、西側=善」とする19世紀的小児病的思考に反対

ジョン・ミアシャイマー(シカゴ大学教授)は、ウクライナ戦争に対して「主な責任はアメリカとNATO側にある」とする立場で一貫してきた国際政治学者です。

  1. ミアシャイマーの主張と根拠
    ミアシャイマーはリアリズム(現実主義)理論の代表的論者で、「安全保障のジレンマ」や地政学的バランスを重視し、NATOの東方拡大やアメリカの対ロ政策こそがロシアを追い詰め、ウクライナ戦争の導火線となったと分析しています。西側がウクライナのNATO加盟を示唆し軍事的支援を強化したことで、ロシアが自国の安全保障上の脅威と捉え、軍事侵攻に踏み切る必然性が生まれたと論じます。
  2. 最新の見解(2024~2025年)
    彼は近年も「ロシアへの和平や停戦の圧力は事実上不可能」「ウクライナと欧米側の要求とロシア側の要求が根本的に対立しており、継続的な戦争・消耗戦になる」と指摘しています。また、「ロシア脅威論(ロシアがヨーロッパ全域に侵攻する)」は過度な誇張であり、現実的にはウクライナ全土の支配や東欧進出は困難であるとも述べています。
  3. 論争と評価
    この見解は欧米の主流意見や日本国内の論調と大きく異なるため、「世界で最も嫌われる学者」と揶揄される場面もありますが、1990年代から一貫して「NATO拡大がロシアの行動を引き起こす」と警告し続けてきたことも特筆されます。

まとめ

  • NATO拡大と西側の対露政策が戦争の原因であるとの持論を展開
  • ウクライナ戦争は戦場での消耗戦が長期化し、交渉による早期解決は困難と予測
  • ロシア脅威論は西側の誇張で、ウクライナ全土支配は非現実的と批判
  • その主張は物議を醸すが、長期的観点から的中面もあり学際的評価は高い

ミアシャイマーは、「ロシア=悪、西側=善」とする19世紀的小児病的思考に警鐘を鳴らし、バランス感覚と大局観の重要性を訴えています。

 

 

ウクライナに童話「北風と太陽」の太陽のようにロシアが接すればこうはならなかった?

ソ連からロシアに変わった時に離脱した国

バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)は1990年から1991年にかけて、ソ連から独立を回復し、最初にソ連から離脱しました。さらに、1991年のソ連崩壊に伴い、ウクライナ、ベラルーシ(白ロシア)、カザフスタンを含む全15のソ連構成共和国が独立を宣言し、それぞれ主権国家となりました。

この独立は、1991年12月にロシア、ウクライナ、ベラルーシの3国首脳による「ベロヴェーシ合意」で合意され、独立国家共同体(CIS)が創設されました。ただし、バルト三国はCISには加盟せず、その後欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)に加盟しています。

まとめると、ソ連崩壊時の離脱国は以下の通りです。

  • バルト三国:エストニア、ラトビア、リトアニア(1990〜1991年頃に独立回復)
  • その他の旧ソ連構成共和国:ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、アルメニア、アゼルバイジャン、グルジア、モルドバなど(1991年に独立を宣言)

ロシアはこれらの国々からの離脱後にロシア連邦となり、ソ連の後継国家として国際的に認められました。

 

 

ソ連経済の深刻な悪化が離脱の背景要因

1990年から1991年にかけてのソ連経済は著しく悪化していました。計画経済も市場経済も機能せず、物不足やインフレが深刻化しました。国民の実質生活水準は大幅に低下し、物価の急上昇に賃金が追いつかず、貧困層が増大しました。旧コメコン市場の崩壊や軍事費の膨大さ、外貨不足など複合的な問題が経済危機を加速させました。

こうした経済の困窮がソ連構成共和国の不満の一因となり、連邦解体を後押ししたといえます。経済的に豊かで安定している連邦ならば、分離独立の意欲は大きく減少した可能性がありますが、実際には経済は崩壊寸前で、国民の多くも市場経済への移行を望んでいた状況でした。

したがって、ソ連経済の深刻な悪化が離脱の背景要因であり、経済的に豊かで優しい対応ができていれば離脱の可能性は減ったと推測されます

 

 

ウクライナの経済的安定を支援していれば、今のような対立は起きなかった

ウクライナに対してソ連やロシアがより優しく経済的に支援し、相互依存関係を強化していれば、独立や分離の動きが抑えられ、現在のような深刻な対立や戦争に至る可能性は低かったと考えられます。

ソ連崩壊時、ウクライナは人口約18%、旧ソ連のGDPの約14.5%を占める重要な経済圏でした。しかし独立後は経済が大きく低迷し、特にエネルギー資源が乏しく、ロシアからの石油・天然ガス供給に依存しました。加えて、工業製品の国際競争力が乏しく、政治腐敗・官僚主義も経済改革の遅れを招きました。1990年代を通じてウクライナは深刻な経済混乱やマイナス成長、ハイパーインフレに見舞われました。

また、ロシアはエネルギー価格を上げるなどウクライナを経済面で圧迫し、政治的な関係悪化が進みました。もしソ連やロシアがウクライナと経済的・政治的により良好な関係を維持し、経済支援や公平な資源分配、政治的な尊重を示していれば、独立志向や対立は弱まり、双方の協調が進んだ可能性があります。

そのため優しく接し、ウクライナの経済的安定を支援していれば、今のような大規模な対立や軍事侵攻に発展する可能性は相当に減少したと推測されます。

 

 

ミアシャイマーは1994年のウクライナの核放棄に反対していた

ジョン・ミアシャイマーは、アメリカの国際政治学者で、シカゴ大学教授。彼は国家のパワー拡大を前提とし、安全保障を研究する「攻撃的現実主義」(オフェンシブ・リアリズム)の代表的論者として知られます。1947年生まれで、元アメリカ空軍軍人でもあります。彼の理論では、国際社会の無政府状態が国家に覇権追求を促すとされ、その代表的著作『大国政治の悲劇』(2001年)で詳述されています。

ミアシャイマーは1994年のウクライナの核放棄に反対し、ロシアの将来的な侵略を予測しました。また湾岸戦争の際はアメリカの勝利を的確に予測し、2003年のイラク戦争には反対の立場を取りました。彼の国際政治理論は、ケネス・ウォルツの防御的現実主義と対比される攻撃的現実主義として高く評価されています

 

 

きたかぜとたいよう
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イソップ寓話の一つで、北風と太陽が「どちらの方が力があるか」を競う物語です。旅人の服を脱がせる勝負をし、北風は強い風で旅人の服を吹き飛ばそうとしますが、寒さで旅人はかえって服をしっかり着込みます。一方、太陽は温かい日差しで旅人を暑がらせて服を自ら脱がせ、太陽の勝ちとなります。

この寓話の教訓は、厳しく強引なやり方よりも、優しさや温かさで相手を動かす方が効果的だということです。また、別の説として「北風が勝つ」話もあり、状況に応じて厳しさも必要であるとの教えも伝えられています。日常会話やビジネスシーンでは、「北風と太陽」は人の心を動かす方法の違いを表すことわざとしても使われます。

 

 

 

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