エジプトの文明が崩壊した原因 ナイル川の氾濫を抑える治水工事が原因

NHKスペシャル 失われた文明 インカ・マヤ
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エジプトの文明が崩壊した原因

ナイル川の氾濫を抑える治水工事が原因です

しかも面白いことに崩壊したすべての文明は巨大な建造物を作って滅びています。洪水はなぜおきるのか、土地の栄養をまんべんなくいきわたらせるために起こります。事実、すべての文明の繁栄は川の氾濫によってはじまっていますから。それによって豊かな自然が広がり、豊富な食料が手にはいることによって、多くの生命の営みが生まれるんです。その氾濫を止めると逆のことが起こるのは明らかです。

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失われた世界34の都市

1位マチュ・ピチュ(ペルー)

ペルー国内では密かに存在が伝わっていたものの、1911年にハワイの歴史家が発見するまで何世紀もの間「失われた都市」だったのが、ペルーのウルバンバ谷にあるマチュ・ピチュです。高所にあるため地上からは目視不可能で、農地や自然の泉に恵まれた自給自足の生活が営まれていました。

2位アンコール(カンボジア)

アンコールは、9世紀から15世紀のクメール王朝時代に作られた広大な宗教都市。世界最大の宗教建築であるアンコール・ワットや、顔が彫られた石がたくさん残っているバイヨンなどが含まれます。ヒンドゥー教と仏教の間でアンコールを巡って何度も闘争が起こり、最終的にはアユタヤ人の侵攻によって滅亡。アンコール・ワットのみが仏教寺院として残っています。

3位ティカル(グアテマラ)

前述のカラクルムと並ぶマヤ文明最大級の都市で、10万人から20万人の人々が暮らしていたと推測されています。住民の多くは830年から950年にかけて姿を消し、11世紀には誰も住まなくなってしまいました。漆喰を用いての水利用が仇となり崩壊したと言われている。

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4位ペトラ(ヨルダン)

ナバテア王国の首都であり、渓谷に掘られた建物が特徴。シルクロード沿いの重要な都市として発展しましたが、数回の地震に見舞われて水道設備が破壊されてしまい、人々はペトラから離れていってしまいました。

5位テオティワカン(メキシコ)

テオティワカンは、メキシコの渓谷で紀元前2世紀に生まれたテオティワカン文明の中心となった都市です。6世紀に起こった干ばつが原因となってテオティワカンは滅亡しましたが、今でも森の奥に階段状の巨大なピラミッドが残っています。

6位ポンペイ(イタリア)

ポンペイは紀元79年8月24日にヴェスヴィオ火山が噴火したことで全てが灰と土に埋め尽くされ、長年忘れ去られていましたが、18世紀に行われた発掘によって建物から調度品に至るまで何もかもが完全に残された状態であることが判明しました。

7位ティワナク(ボリビア)

チチカカ湖の南東部にあるティワナクは、インカ帝国の重要な都市のひとつ。紀元前300年から紀元300年ごろに巡礼を行う人々にとっての中心地として機能していました。7世紀から9世紀にかけて定住する人が増え、約3万人を抱える南アンデスの強力な都市に発展したものの、11世紀に起こった急激な気候の変化が原因で滅亡に追い込まれました。

8位パレンケ(メキシコ)

マヤ文明の中では小規模な都市ですが、600年から800年ごろに作られた上質な建築物や彫刻が残されています。マヤ文明の衰退のあとも農耕民族が少しの間だけ暮らしていました。

9位アニ(トルコ)

砂漠のキャラバンが東西を行き来する際に通った道沿いに位置するアニは、5世紀に建てられて、10世紀にはアルメニアの首都となりました。数多くの教会が建てられたことから「1001の教会をもつ都市」と呼ばれていました。13世紀のモンゴルによる侵攻と1319年の大地震、さらに新しい交易路が開拓されたことを受けて衰退しました。

10位フヴァルセー(グリーンランド)

フヴァルセーは985年ごろにヴァイキングが移住して農場を拓いた都市。最盛期には4000人ほどの住人がいたと見られています。

11位クテシフォン(イラク)

6世紀ごろに栄えたクテシフォンはその規模の大きさからたびたびローマ帝国の攻撃の対象となり、ローマ帝国やビザンチン帝国によって数回にわたる侵略を受けました。637年のイスラムのペルシャ侵攻の際に一度陥落した後、アッバース朝の首都として再興したものの8世紀に滅亡。「千夜一夜物語」の舞台だと言われています。

12位パルミラ(シリア)

「ヤシの木の街」という意味のパルミラは、ペルシャとシリア属州を結ぶ交易路沿いに位置しており、ローマのディオクレティアヌス帝が塀を建ててササン朝による交易妨害からパルミラを守っていましたが、634年にムスリムが街を支配して交易路が絶たれ、砂漠のオアシス都市としての機能以外が排除されて徐々に衰えていきました。

13位カラクムル(メキシコ)

メキシコのジャングルの奥深くに位置するカラクムルはマヤ文明の最大の都市のひとつです。同じくマヤ文明の都市であるティカルとたびたび交戦してマヤ1の都市の座を争いましたが、マヤ文明の衰退にしたがって両都市とも滅亡してしまいました。

14位ハンピ/ヴィジャヤナガル(インド)

ヴィジャヤナガル王国の中心地として14世紀から16世紀にかけて繁栄し、50万人以上の住人をかかえていた世界最大級の都市がハンピです。イスラム教の王国とたびたび衝突を繰り返し、1565年に大敗北を喫したことで街の大部分が破壊されてしまいます。ヴィジャヤナガル王国は首都を移して生き延びますが、ハンピには再び人が住むことはなく、今日まで無人で放置されています。

15位ウルゲンチ(ウズベキスタン)

アムダリア川沿岸に位置するウルゲンチは、シルクロード沿いの最大級の都市でした。12世紀から13世紀初頭にかけてホラズム朝の首都として隆盛を極めましたが、1221年にチンギス・ハンによる侵攻を受けて若い女性や子どもたちは奴隷に、その他の住人は虐殺されて滅亡しました。

16位レプティス・マグナ(リビア)

レプティス・マグナはローマ帝国の都市で、自然にできた港のおかげで地中海地域やサハラ砂漠をつなぐ交易の中心地として発展。また、肥沃な土地で農作物を育てることで農業の中心地ともなりました。ローマ帝国の衰退と共にレプティス・マグナの勢いも落ちていき、642年のアラブ侵攻後に人が住まなくなって、砂に覆われた失われた都市となってしまいました。

17位ペルセポリス(イラン)

ペルシャ帝国の中心地であったペルセポリスは、美しい街並みを数々の芸術作品で飾っていたのですが、紀元前331年のアレクサンダー大王による侵攻の際にその多くが焼き尽くされ、現存しているものはほとんどありません。マケドニア朝のもと、ペルセポリスは一州都として機能していましたが、時の流れにしたがって徐々に衰退していくことになりました。

18位メサ・ヴェルデ(アメリカ)

コロラド州の南西部にあるメサ・ヴェルデは、12世紀にアナサジ族が絶壁に作った住居群です。渓谷の崖に突き出た岩の下にある奥行きの浅い洞窟に、いくつもの家が建てられていて、大きい家は150もの部屋を備えているそうです。13世紀頃にアナサジ族はメサ・ヴェルデを離れて別の場所へ移り住んだのですが、その理由は明らかになっていません。

19位チャン・チャン(ペルー)

コロンブス到達以前のアメリカ大陸において最大の都市だったのがチャン・チャンです。チムー族が850年ごろに作った都市で、1470年のインカ帝国による侵略まで3万人の人口を抱える巨大都市として栄えていました。日干しレンガの上に泥を塗ってアラベスク模様を彫った建物が残っていて、街の中心には祭儀場やお墓、寺院などを集めた城がいくつか建っています。

20位ハットゥシャ(トルコ)

紀元前17世紀にヒッタイト帝国の首都として栄えましたが、前1200年のカタストロフの影響で滅亡。最盛期には4万人から5万人が暮らしていたと推測されています。材木や泥レンガの家は風化してしまい、石でできた寺院や宮殿だけが残されており、近東地域の法典・裁判記録・文学が書かれた粘土板が見つかっています。

21位サーンチー(インド)

紀元前3世紀から建設が始まり、10世紀~11世紀に完成した複数の寺院や僧院が連なる村落。13世紀にインドの仏教が衰退したことでサーンチーからも人々が出て行ってしまい、1818年にイギリス人によって発見されるまで、長年ジャングルの中に埋もれていました。

22位ハトラ(イラク)

パルティア王国の影響下で巨大な要塞都市として栄えたハトラは、数回に及ぶローマ侵攻に耐えたものの、241年のササン朝侵略によって陥落。東洋風の装飾が施された、ヘレニズム文化とローマの建築が融合した寺院建築が残されています。

23位グレート・ジンバブエ(ジンバブエ)

数百もの小さな石の遺跡がジンバブエ国内に点在していることから「グレート」の呼称がつけられています。原住民のバントゥー系民族が建てたもので、11世紀から300年以上にわたって作り続けられました。ピーク時には1万8000人の住人が暮らしていましたが、交易の減少、政情不安定、気候変化による食料不足・水不足が原因で住む人がいなくなったと考えられています。

24位モヘンジョダロ(パキスタン)

紀元前2600年ごろに作られた世界中で最も古い文明遺跡のひとつで、現在のパキスタンがある地域に位置しています。インダス文明の中心地で、3万5000人ほどの住人がいたのではないかと推測されています。何らかの理由で紀元前1700年ごろに歴史上から姿を消し、1920年代にインダス川の他の遺跡と共に発見されました。まっすぐに整備された道路や、きっちり同じサイズのレンガで作られた建物など進んだ文明が存在していたことがうかがえる遺跡が残っています。

25位ティムガッド(アルジェリア)

ティムガッドはローマの植民地として紀元100年ごろにトラヤヌス帝が開発した都市。1万5000人程度の住人を想定して作られたのですが、人口がどんどん増加して周辺に建物が増築されたため都市全体がいびつな形をしています。バンダル族とベルベル人による侵略を受けてから1881年の発掘まで、ティムガッドは歴史から姿を消していました。

26位スコータイ(タイ)

タイ王国初期の重要な歴史的都市のひとつ。クメール王朝時代の地方都市でしたが、13世紀に独立してタイ州の州都が設置され、8万人ほどの住人が暮らしていたと言われています。1438年にアユタヤ王朝に吸収され、15世紀~16世紀頃には住む人がいなくなったとのこと。

27位タキシラ(パキスタン)

タキシラはパキスタンの北西部の都市で、紀元前518年にアケメネス朝のダレイオス大王によって作られました。3本の交易路が交わる都市として栄えていたのですが、5世紀にフン族よって破壊されました。

28位バビロン(イラク)

メソポタミア文明時代にバビロニアの首都であったバビロンは、ユーフラテス川沿岸に位置していて、紀元前およそ1180年に一度滅んだものの、紀元前9世紀にアッシリアの属州として再興。現在は泥レンガ製の壊れた建物やガレキが残されているのみです。

29位カラル(ペルー)

アメリカ大陸で最も古い「失われた都市」のひとつで、紀元前2600年から紀元前2000年頃に、3000人以上の住人が暮らしていたと考えられています。6つの塚に囲まれた巨大な広場が生活の中心であったと見られています。

30位メンフィス(エジプト)

上下エジプトを統一したエジプト初期王朝時代の王(ファラオ)・・・メネスが紀元前3100年頃に作ったと言われている伝説上の都市。640年にムスリムのエジプト侵攻によって滅ぼされ、キリスト教やイスラム教の台頭でメンフィスの宗教的な地位は失われました。遺跡にはプタハの神殿、王宮、ラムセス2世の巨大な像などが残っています。

31位スカラ・ブレイ(スコットランド)

石器時代の集落跡がきれいに残っているヨーロッパの遺跡のひとつ。紀元前3180年から2500年頃に人が住んでいたと推測されています。気温の急激な低下と降水量が増えたことが原因で住人たちが去ったあと、何百年もの間、砂に覆われていたのですが、1850年に起こった大嵐で砂が吹き飛んで住居跡などが発見されました。

32位トロイ/イオリス(トルコ)

トロイ(イオリス)は、ホメロスの叙事詩「イーリアス」に登場する、トルコの北西部にあったとされる伝説の都市。複数の石垣などが残されており、有名な「トロイの木馬」のレプリカが遺跡の入り口に作られているそうです。

33位シウダー・ペルディーダ(コロンビア)

スペイン語で「失われた都市」を意味するシウダー・ペルディーダは、800年頃に作られ、その後スペイン侵攻を受けて捨てられた都市だと言われています。山腹にいくつもの高台があり、石畳の道と円形広場も残っています。

34位カルタゴ(チュニジア)

フェニキアからの移民が建国したのがカルタゴの始まりで、地中海地域で大きな勢力を持っていましたが、ハンニバルよる侵攻を受けたのち、紀元前146年にはローマ人によって一度滅ぼされました。その後ローマの属州として再興してから698年のウマイヤ朝による侵略までの間、カルタゴはローマ帝国の中で最大級の規模をほこっていました。