漆喰の使いすぎで滅びたメキシコのテオティワカン文明

漆喰の使いすぎで滅びたメキシコの文明は?

メキシコの古代文明の中で、「漆喰(しっくい)の使いすぎが滅亡の一因となった」とされる代表的な例はテオティワカン文明です。

  • テオティワカン文明と漆喰・・・テオティワカンは、紀元前2世紀から7世紀ごろまでメキシコ高原で繁栄した巨大都市文明で、太陽のピラミッドなどの壮大な石造建築で知られています。この都市では建築や装飾に大量の漆喰が使われていました。
  • 滅亡の要因と漆喰・・・テオティワカンの衰退・滅亡の要因として、以下のような点が挙げられています。
  • 漆喰生産のための森林破壊・・・漆喰を作るには石灰岩を高温で焼く必要があり、その燃料として大量の木材が使われました。これによる森林伐採が進み、都市周辺の環境が大きく変化したと考えられています。
  • 農業の衰退・・・森林破壊による土壌流出や乾燥化が進み、農業生産力が低下。これが人口減少や都市機能の崩壊につながったとされています。
  • その他の要因・・・旱魃(かんばつ)、火災、内乱、外部勢力の侵入、大地震なども複合的に作用したと考えられます。

他のメキシコ文明との比較

文 明 名 漆喰の大量使用 滅亡の主因に漆喰が関与
テオティワカン あり あり(森林破壊)
マヤ あり 直接的な主因ではない
アステカ あり 関与せず(スペイン征服)
  • **マヤ文明**も漆喰を大量に使い、建築や道路、貯水槽などに利用していましたが、滅亡の主因は環境変化や戦争、政治的混乱などが複合したもので、漆喰の使いすぎが直接的な原因とはされていません。
  • **アステカ文明**はスペイン人の侵略や疫病が滅亡の主因であり、漆喰の使いすぎは関係ありません。

結論

  • 漆喰の使いすぎによる森林破壊が滅亡の大きな要因となったメキシコの文明は「テオティワカン文明」です。
  • マヤ文明でも漆喰は多用されましたが、直接的な滅亡理由にはなっていません。

テオティワカンの衰退の主要な原因としては、火事の発生、漆喰の生産のために木材を大量に燃やして森林破壊が起きた、旱魃による農業の衰退、およびそれらに伴う内乱の発生といった点が挙げられる。

テオティワカン文明の概要

テオティワカン文明は、メキシコ中央高原に紀元前2世紀から7世紀ごろまで栄えた、メソアメリカ最大級の古代都市文明です。首都メキシコシティの北東約50kmに位置し、最盛期には10万~20万人が生活したと推定され、当時の世界でも有数の大都市でした。

都市の特徴と建築

  • 計画都市・・・テオティワカンは高度に計画された都市で、南北5kmに及ぶ「死者の大通り」を中心軸に、巨大な「太陽のピラミッド」「月のピラミッド」、羽毛ある蛇神ケツァルコアトルの神殿などが配置されています。
  • 建築様式・・・独特の「タルー・タブレロ様式」(傾斜壁と垂直壁の組み合わせ)が特徴で、後のメソアメリカ建築にも大きな影響を与えました。
  • 宗教と宇宙観・・・都市全体が宇宙観や宗教観を反映して設計され、ケツァルコアトルやトラロックなど農業や水に関わる神々が祀られていました。生け贄の風習も存在していたことが発掘調査で判明しています。

社会・経済

  • 社会構造・・・詳細は不明ですが、規模や遺構から神権的な権威と高度に階層化した社会、発達した統治組織が存在したと考えられています。
  • 経済活動・・・職人の地区や市場が設けられ、商業や交易の中心地として機能。マヤ地域を含む広範囲に影響を及ぼし、文化や技術の交流も盛んでした。

歴史と衰退

  • 成立と発展・・・前2世紀ごろに都市が形成され、1世紀~7世紀中頃まで繁栄。4つの時期に分けて発展し、特に3世紀~6世紀が最盛期でした。
  • 衰退の要因・・・7世紀に急速に衰退。原因は火災や森林破壊、旱魃、内乱、外部民族の侵入、大地震など諸説ありますが、真相は未解明です。
  • その後の影響・・・12~14世紀にアステカ人が廃墟となった都市を発見し、「テオティワカン(神々の都市)」と命名。アステカ人はこの地を聖地として崇拝し続けました。

文化遺産としての価値

  • 世界遺産登録・・・1987年に「古代都市テオティワカン」としてユネスコ世界文化遺産に登録。
  • 現代への影響・・・テオティワカンの都市計画や建築、宗教観は、後のアステカやマヤなどメソアメリカ文明に大きな影響を与えました。

まとめ

テオティワカン文明は、計画的な都市設計、巨大な宗教建築、広範な交易網を特徴とし、メソアメリカの歴史・文化に多大な影響を残しました。その詳細な社会構造や滅亡の理由は今なお多くの謎に包まれていますが、現存する遺跡群は古代文明の高度な知識と技術を今に伝えています。

メキシコの主な文明を年代順で

メキシコには、数千年にわたり多様な文明が栄えました。以下に、代表的な古代文明を年代順にまとめます。

  1. オルメカ文明(紀元前1200年頃~紀元前400年頃)・・・メキシコ湾岸(現在のベラクルス州・タバスコ州)で発展した、メソアメリカ最古の都市文明。巨大な石の頭像や、サン・ロレンソ、ラ・ベンタなどの祭祀センターで知られる。
  2. サポテカ文明(紀元前700年頃~紀元後900年頃)・・・オアハカ盆地を中心に発展。モンテ・アルバンの古代都市遺跡が有名。
  3. マヤ文明(紀元前2000年頃~紀元後1697年)・・・ユカタン半島やグアテマラ、ベリーズに広がった長命な文明。天文学や数学、独自の文字体系、ピラミッド型神殿で知られる。
  4. テオティワカン文明(紀元前2世紀~紀元後7世紀)・・・メキシコ中央高原で発展し、巨大な都市テオティワカン(太陽のピラミッド、月のピラミッド)が築かれた。
  5. エル・タヒン文明(紀元後650年頃~1000年頃)・・・メキシコ湾岸部で栄えた。独特なピラミッドや球戯場が特徴。
  6. トルテカ文明(紀元後900年頃~1200年頃)・・・メキシコ中央高原のトゥーラを中心に発展。戦士の像や芸術的な石造建築で知られる。
  7. アステカ文明(紀元後14世紀~1521年)・・・メキシコ中央部(現在のメキシコシティ)を中心に、テノチティトランを都として繁栄。1428年ごろから1521年まで続き、スペインの征服により滅亡。

年代順まとめ表

文 明 名 時 代 区 分 主 な 地 域 代表的遺跡・都市
オルメカ 前1200~前400年 メキシコ湾岸 サン・ロレンソ、ラ・ベンタ
サポテカ 前700~後900年 オアハカ盆地 モンテ・アルバン
マヤ 前2000~1697年 ユカタン半島など ティカル、パレンケ
テオティワカン 前2世紀~7世紀 メキシコ中央高原 テオティワカン
エル・タヒン 650~1000年 メキシコ湾岸部 エル・タヒン
トルテカ 900~1200年 メキシコ中央高原 トゥーラ
アステカ 14世紀~1521年 メキシコ中央部 テノチティトラン

補足

  • メキシコの古代文明は互いに影響し合い、食文化や暦、建築技術などに共通点が多く見られます。
  • 16世紀初頭のスペイン人到来により、アステカ文明をはじめとする独自の文明は急速に衰退・消滅しました。
  • このように、メキシコの文明はオルメカから始まり、サポテカ、マヤ、テオティワカン、トルテカ、アステカと続く多層的な歴史を持っています。

エジプトの文明が崩壊した原因

ナイル川の氾濫を抑える治水工事が原因です。しかも面白いことに崩壊したすべての文明は巨大な建造物を作って滅びています。洪水はなぜおきるのか、土地の栄養をまんべんなくいきわたらせるために起こります。事実、すべての文明の繁栄は川の氾濫によってはじまっていますから。それによって豊かな自然が広がり、豊富な食料が手にはいることによって、多くの生命の営みが生まれるんです。その氾濫を止めると逆のことが起こるのは明らかです。

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