なぜ日本の昔は奈良・京都が中心に栄えたの?「日が昇る生の象徴伊勢」と「日が沈む死の象徴出雲」を結ぶ線上

2010/7/28 21:06

なぜ日本の昔は、奈良、京都が中心に栄えたのでしょう?それだけ気候などが住み良かったんでしょうか。東京というか江戸方面はほとんど貴族が住みたがらない地域だったそうですし。

  • 当時の人が日本中の事を知っていて奈良を選んだのでない事は明らかです。福岡県のあたりから、東に向かって勢力を伸ばして行って、奈良までたどり着いたのですが、そこから東は、当時は先住民族であるアイヌが住んでいたと考える方が妥当だと思います。その後、だんだん先住民族は後退して行って、関東、東北と住んでいる地域がせばまって行きます。富士の語源もアイヌ語だそうですから、昔は、少なくとも富士山がよく見えるところにアイヌの人達が住んでいた筈です。平安貴族が江戸方面に住みたがらなかった理由は気候ではないと思いますよ。都の京都から遠くなれば遠くなるほど、未開の地で住んでいる人間も野蛮だと考えていたからです。特に、東の方が未開の地だと考えられていた理由は、上記のように、関西より西の方は、比較的文化が進んでいたからです。
  • 当時は呪術や信仰が行動の根幹にある事が多いのでそういう視点でみてみると、奈良は伊勢と出雲を結ぶ線上にあります。日が昇る生の象徴伊勢と日が沈む死の象徴出雲両方を統べる政権の中心として奈良という土地が選ばれたのでは。京都は当時最先端の科学だった陰陽道(風水含む)により呪術的防御に優れている事、更に水運に恵まれている事が選ばれた理由では。奈良以降の遷都は例外なく水運に恵まれている所ばかりです。