日本有数の戦場で目撃数が多くないとおかしい
なぜか山の中など、ふだん人のいない場所で目撃報告が多くないですか?
都市別の観光スポット
那覇市の戦場跡 – 沖縄県
糸満市の戦場跡 – 沖縄県
関ヶ原町の戦場跡 – 不破郡
瀬戸康史「家族ぜんいん見えるんですよ」
実は霊能力サラブレッドの瀬戸康史さん🙀#恐怖#心霊#幽霊#怖い話#怪談#恐ろしい pic.twitter.com/5Q3lT0zFM4
— 深い闇 (@oMsQJ5mUVR0BbRN) October 11, 2019
「霊が見える」は、ほとんど統合失調症
もう5年以上前にもなるかと思うんですが、書店でふと、ある本を手に取ったんですよ。それは、「幽霊が見える」という人のコミックエッセイで、幽霊と一緒に過ごす毎日がおもしろおかしく書かれている本だったんですよね。
で、興味半分で立ち読みしてみると、もうびっくりだったんですよ。その本の人(著者)の症状が、完全に統合失調症の症状だったんですよね。
もう私は混乱したわけですよ。「え? これって完全に統合失調症の典型例でしょ。誰も気づいていないの?」みたいな。
私の感覚では、「霊が見える」という人の大半は統合失調症のように思えます。
京極夏彦「幽霊はいません」
京極夏彦
幽霊はいません。いないのですから、基本的には見えません。でも、見えてしまう人はいます。(中略)
何かが見えてしまうこと自体は、別に不思議なことでもありません。ただし、それを「幽霊」と解釈するか否かということに関しては、見た人の文化的資質次第ということになります。
幽霊という文化装置は非常に優れた機能を持っています。
演劇や絵画を通して可視化した幽霊は江戸後期にキャラクターとして化け物に統合されます。
それが明治から昭和にかけて再び分裂した、ということになります。本来、人だった妖怪は完全に人から離れた雑多なキャラクターとなり果て、子どもたちにもてはやされるようになり、(中略)
見えるはずのなかった幽霊は見えるようになり、写真に写り(笑)、動画にまで登場して怖がられるという、不思議な進化をそれぞれたどったことになるわけです。
カズレーザー、心霊体験を話す人に持論「俺、嘘つきの話聞くの好き」「その人を否定しているわけじゃなく幽霊を否定してる」
「被災地の幽霊現象」を読み解く
検索をかけ、ヒットした記事を通読した結果、東日本大震災後の「幽霊」に関する報道数は6年間で175件確認できた。(中略)
この報道は全国の新聞各社、テレビ局などがこぞって取り上げた。被災地における幽霊譚は、「客観的な裏付け」が得られた形になり、いよいよ「現実味」を帯び出してきたからだ。
2016年2月24日には、東北学院大学で緊急シンポジウム「霊性を読み解く タクシーの幽霊現象の反響と課題」が実施され、22社ものメディアが取材に訪れたという。シンポジウムの模様は地元NHK仙台などが報道した。(中略)
同じく記事検索システムを使用し、検索媒体を東日本大震災での記事検索同様に全国紙、NHK、さらに地方紙を神戸新聞と大阪日日新聞におきかえて検索して見た。すると6年間で「幽霊」に関する記事は、驚くことに「ゼロ」であった。東日本大震災と阪神大震災で、この数字差は何なのか。同じ大量死の現場なのに、東北では175件、阪神では0件である。(中略)
なぜ、このような差が生まれるのだろう。そこで、両震災における比較をしてみた。