2025年11月10日 核戦争はもはや「非現実的」ではないのか 弱まりつつある抑止力
核戦争はもはや「非現実的」ではないのか 弱まりつつある抑止力という論点については、冷戦時代に成立した核抑止力の理論が現代では効果を弱めているという指摘があります。核抑止力は、核兵器の圧倒的破壊力によって相手の攻撃を思い留まらせ、直接核戦争を防ぐ効果があるとされてきましたが、現代ではその効果について誤解や限界が明らかになっています。
一方で、戦術核兵器の増強や、北朝鮮など新たな核保有国の登場、核兵器の近代化により、核の使用基準が曖昧になり、核戦争のリスクが威圧的に高まっている面があります。核保有大国同士は直接の核戦争を回避してきたものの、それ以外の紛争や戦争への介入は増加しており、「核を持てば戦争を防げる」という単純な抑止論は過信できません。
日本においては、核兵器を保有しないながらも、その科学技術力や潜在的能力を生かし、「持たない抑止力」や潜在的抑止力(曖昧戦略)を構築し、安全保障を図る努力がなされています。加えて、宇宙・AI技術を活用した偵察・監視能力の強化や高度な防衛システムの整備によって、核抑止に頼らない抑止力向上も進められています。
以上より、冷戦期のように核戦争が完全に「非現実的」とは言えず、むしろ抑止力の弱まりや安全保障環境の複雑化から核戦争リスクが増加している状況と言えます。そのため、核抑止力の限界を踏まえた多面的な安全保障政策が求められているのが現状です。
日本が核抑止力を持てば地域の安定に寄与する
フランスの歴史人口学者エマニュエル・トッドは、日本に核保有が必要であり、それが平和を守るための抑止力になると繰り返し主張しています。彼によれば、アメリカの行動は不確かで危ういため、日本は米国に依存しすぎるのを避け、自国の安全保障を自立させるために核兵器を持つべきだという立場です。日本は核兵器保有によって、周辺の核保有国(中国、ロシア、北朝鮮)との勢力均衡を図り、不必要な戦争に巻き込まれるリスクを低減できると指摘しています。
トッドは、核保有は攻撃的な力の誇示ではなく、むしろパワーゲームの外に自らを置く手段であり、国家としての自律を示すと強調しています。核兵器を持つことで、日米同盟だけに頼らず中立的な立場をとりうる安全保障環境を構築できるという主張です。
また、ウクライナ危機の影響で日本が国益に反した対露制裁に巻き込まれたことを例に、アメリカ依存のリスクを明確にし、日本の核保有必要性は過去よりもさらに高まっているとしています。被爆国としての国民感情のセンシティブさは理解しつつも、世界の現実を直視し冷静に核保有の意義を再考すべきと述べています。
トッドのこの核武装論は、日米中ロシアの三国関係における勢力均衡や、中国の脅威に備える戦略としても位置づけられています。日本が核抑止力を持てば、米国の戦争介入から距離を置きつつ、同時に地域の安定に寄与する可能性があると見なしています。
前作『西洋の敗北』で指摘した西洋の衰退や米欧の分裂を踏まえ、日本が直面する困難な国際情勢と選択を深く分析した書籍です。トッドは、日本がアメリカに依存しながら中国と対峙せざるをえない現状を厳しく評価し、欧米の動揺や分裂に巻き込まれずに静観することを勧めつつも、密かに核武装を進めるべきと提言しています。彼は米国が日本の防衛のために核を使用することは期待できず、核を「持たないか、自前で持つか」の二択しかないと強調します。日本は欧州や米国のヒステリーに関わらず、現実的に自国防衛を強化する道を模索すべきだと論じています。
この本は、ウクライナ戦争や米欧の断絶、ドル基軸体制の崩壊など現代の国際情勢を踏まえ、日本の安全保障戦略の根本的な見直しを促す警鐘の書として評価されています。トッドの視点は核抑止論を含み、従来の日本の安全保障政策に対する挑戦的な提言として注目されます。
つまり、『西洋の敗北と日本の選択』は、西洋の衰退と分裂が進む中で日本がどのように独自の道を選び、国際社会で生き残るべきかを思想的かつ実践的に示した現代的な安全保障の書です。


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