かつてアメリカと仲が良かったが、その後にアメリカと敵対して、しかも没落した国
アメリカと敵対して没落した国
アメリカと敵対して没落した国の事例
歴史を振り返ると、かつてはアメリカの強力なパートナー(あるいは「代理人」)として支援を受けながら、後に利害の不一致や独裁化、反米路線への転換によって敵対し、国家として深刻な打撃を受けた国がいくつか存在します。
代表的な事例を挙げます。
イラク(サダム・フセイン政権)
1980年代のイラン・イラク戦争において、アメリカは宿敵イランに対抗するため、イラクのフセイン政権を軍事・経済的に支援していました。
しかし、1990年のクウェート侵攻を機に関係が決定的に悪化。1991年の湾岸戦争での大敗と、その後の長期にわたる経済制裁により国力は疲弊しました。
最終的には2003年のイラク戦争によって政権は崩壊し、フセイン自身も処刑されました。かつての中東の強国は、長期にわたる内戦と混乱に陥ることとなりました。
イラン(パフラヴィー王朝)
1970年代まで、イランはアメリカにとって中東最大の同盟国であり、最新鋭の兵器や多額の投資が注ぎ込まれていました。
しかし、1979年のイラン・イスラム革命によって親米の国王が追放され、反米を掲げる指導者が実権を握ると、アメリカとの関係は断絶。
その後、40年以上にわたる厳しい経済制裁を受け、かつてのような豊かな経済発展の機会を失い続けています。
パナマ(ノリエガ政権)
パナマの独裁者マヌエル・ノリエガは、もともとCIA(アメリカ中央情報局)の協力者として、中南米における共産主義の封じ込めに協力していました。
しかし、彼が麻薬密輸に関与し、アメリカの意向を無視した独裁的な振る舞いを強めたため、1989年にアメリカ軍が直接侵攻(パナマ侵攻)。
ノリエガは逮捕されてアメリカへ連行され、彼の軍事独裁体制は完全に解体されました。
フィリピン(マルコス政権)
フェルディナンド・マルコス大統領は、冷戦下におけるアメリカのアジア戦略の拠点として厚い支持を受けていました。
しかし、極度の汚職と独裁、そして民主化を求める国民の不満が高まると、アメリカは最終的に支援を打ち切り、亡命を促しました。
これによりマルコス一族は国外へ逃れ、フィリピンは数十年間にわたって経済的な停滞(アジアの病人と呼ばれた時期)を経験することになりました。
共通する教訓
これらの事例から言えるのは、アメリカは「自国の戦略的利益」を基準に動くという点です。
独裁的であっても国益にかなう間は支援しますが、その国が制御不能になったり、民主主義や人権といった建前(あるいは市場ルール)を損なう存在になったりした瞬間、非常に冷酷に切り捨て、あるいは力で排除に動きます。
「適当に付き合う」という戦略は、こうした過去の没落事例を避けるための、現実的な生存本能と言えるかもしれません。
