外車オーナー「まあ元に直ればいいですよ」
自動車保険の事故対応の仕事をしたことがありますが、「金持ちケンカせず」というのは本当です。 相手の車がベンツとかBMWなどの外車の場合、値段の高い車に傷をつけられたのだからさぞ所有者は激怒しているかと思いきや、大抵「まあ元に直ればいいですよ」といわれます。相手がヤクザのような場合は話は別ですがそうでもなければ外車オーナーにゴネられた経験というのがほとんど思い出せないくらいです。 同じようにバイクでもハーレーやドゥカティなどのオーナーもほとんど怒りませんね。お互いに過失があるような場合、「自分に過失はない(つまりお金は払わない)」と主張する人も外車オーナーでは稀です。たいてい「保険屋さん同士で話をして。その通りにするから」といわれます。
無理難題をふっかけてゴネるのは貧乏人が多い
無理難題をふっかけてゴネるのはやっぱり残念ながら貧乏人が多いですね。愛車に傷をつけられた精神的損害を補償しろ(つまりは金よこせってことですが)と主張する人に軽自動車のオーナーは意外に多いです。私が知る範囲では、3年落ちのローレルで事故に遭い、新車を持って来いとゴネて暴力沙汰を起こした人がいましたよ。
金持ちからすれば百万円も庶民の一万円みたいな感覚
質問者さんも千円を失った程度であればあまりカリカリしませんよね。しかし、一日の稼ぎが200円みたいな国のそういう労働者から見れば千円を失うのは何万円も失うようなショックです。一方、金持ちからすれば百万円も庶民の一万円みたいな感覚になります。そういう「余裕」なんですよね。
金持ちは「紳士」たれ
またあくまで個人的な印象ですが、おそらく低所得者層と思われるデモ隊に対し大統領ともある人物が口汚い言葉で応じるのは私はみっともないと思います。金持ちというのは当然高い教育も受けているのでそれにふさわしい知的な対応をするべきであって、それはとても「紳士」とは呼べないですね。 ま、くだんの大統領が大変な日本嫌いで相撲を「知的なスポーツではない(西洋人の「知的ではない」という言い回しは「未開の部族の野蛮な」という意味合いが含まれます)」という人物なのでワタクシ自身が彼が嫌いというのがありますが・笑。
金持ち喧嘩せず
2009/11/12 19:50
金持ち喧嘩せず、という言い方、非常に嫌いなんです。 金持ちだろうと貧乏人だろうと、喧嘩したい(本当はいけないけど)時は、どういう相手とでも喧嘩すればいいんであって、金持ちだのそうでないだの関係ないはずなんです。この言い方は、打算的で損得勘定だけで動くのが人間として当たり前なんだ、というような、純粋さとか素直さとかとかけ離れたことを言っているし、また、少なからず(というか一般的にはということになっていますが)そのような現実があるわけです。 で、それは、日本で特に多いのかなという気もします。 以前、フランス大統領サルコジが選出された当時に、デモ隊か何かの反政府的アジテーションを行っているやからに対して、大統領自ら「この無職野郎(とかなんとか)!ちゃんと働け!」とか罵声を浴びせていたのがテレビ画面で流れていたのですが、大変印象に残っています。これなど、「金持ち喧嘩せず」の反例としてみごとですし、こういう心意気と言うのは、人間の階層を越えて健康的なことだと思うんですよ。 大変まとまりのない質問になりましたけども、こういう「金持ち喧嘩せず」みたいな打算的な思考法が一般的な風潮って言うのはどうなんでしょうか?あまりに、人間のエネルギーと言うか粋な所が枯渇しているんじゃないでしょうか?
幼少期に貧困家庭で育った人に質問、どんなことが贅沢でしたか?
●外食をすること。
●12歳まで、セール中以外は何かを買ってはいけないものだと思っていた。母親がセール中しか買わなかったので。だからセール中でないものは売ってないのだと思っていた。
●わかってくれる人がいるかわからないけど、小3か小4の頃の話。僕と双子の弟は、音楽の授業でリコーダーを買わなければならなかった。母親は全くお金がないと言うので、弟と2本分のリコーダーを買うための6ドルを求めて、家中を隅から隅まで探して小銭(1セント、5セント、10セント硬貨など)をジップロックいっぱいにし、学校へ持って行った。きっと先生は僕らをかわいそうに思ったのだろう。なぜなら他の生徒がいなくなった後で先生がリコーダーを買ってくれて、そのジップロックは返してくれたから。ありがとうアルブレット先生。
●アーカンサス州でトレーラー暮らしの貧困家庭で育った。文字通り、クリスマスに自分のベッドルームにドアをもらった。多分、今までもらったプレゼントで最高だった。
●自分のベッドを与えられて、とても興奮したのを覚えている。
●ランチに持ち寄って、みんなで分け合うスクールパーティがあった。「何も持って来ない人は参加できません……」という条件だった。2年くらい給食を買えなかった自分は、ニンジンを2本持って行った。先生にさえ笑われた。幼かった自分は、そのときランチを食べるに値しない人間もいるのだなと心に刻んだ。
●新しい靴。
●「今夜は、晩ごはんにピザを頼むよ」
●中学生の頃、うちは低額給食(低所得家庭のための措置)で、1日40セント(約40円)だった。両親はいつも50セントをくれた。カフェテリアではクッキーが売られていて、それは給食に含まれておらず、1枚50セントだった。毎日10セントずつ貯めて、金曜日にはクッキーを食べた。良い時代だった。
●店でキャンディを手に入れること。新しい文房具。ブランドメーカーの食べ物。
- ブランド品なら何でもだよね?
●パンケーキ。大人になった今、パンケーキのコストの安さを知ったので、母親が作りたくなかったのだと思う。
●両親が家にいること。いつも孤独だった。
●電気。母さん、今月も払ってくれてありがとう。
●映画館に行くこと。
●冷房。
●高校のときに彼氏(のちの夫)と彼の家族は、私が貧困で家庭が壊れていることを早々に知り、私を受け入れてくれた。憐れみではなくスイートな方法で面倒をみてくれた。私がアートに傾倒しているのを知った彼のお母さんは、近所の小さなグループレッスンをしているアート講師を見つけてくれた。私の興奮ぶりは、うちの母親が気付くほどだった。材料費も含めて100ドル(約1万円)くらいの月謝だったので、講師に次の給料日まで待ってくださいとお願いしたら承諾してもらえた。給料日が来て月謝を持って行ったら、彼のお母さんがすでに講師と話を付けてあり、奨学金扱いよと言ってくれた。今思い出しても、とてもすばらしい気持ちになる。