元朝日新聞記者、川上泰徳の政治的なスタンス
中東ジャーナリストの川上泰徳氏の政治的スタンスは、リベラル・進歩主義的な傾向が強く、パレスチナなどの弱者・民衆の視点に立った平和主義的な立場です。
アメリカやイスラエルの外交・軍事政策、およびそれに同調する日本の政権に対しては、一貫して批判的な姿勢をとっています。
弱者・民衆の視点を重視する人道主義
川上氏は長年、パレスチナ難民キャンプなどに足を運び、現地の人々のストーリーを伝えてきました。
提示された記事一覧を見ても、ガザの民間人犠牲や人道危機、市民による教育支援など、国家の論理よりも「民衆の生や人権」を最優先に捉えるスタンスが明確です。
アメリカ・イスラエル主導の軍事秩序への批判
トランプ政権の中東和平構想や、イスラエルによるガザ攻撃、AIを用いた標的化などに対して厳しい批判を展開しています。
軍事力による一方的な現状変更や、「テロとの戦い」を名目にした空爆が、かえって地域の不安定化や新たなテロの連鎖を招いているという認識を示しています。
日本の安全保障政策への懐疑的な視点
日本の安全保障法制(安保法案)をめぐる議論や、対イラン「有志連合」構想への参加論議に対し、批判的または慎重なスタンスをとっています。
「米国と一緒に戦う日本像」が中東でどう見られているかという懸念や、日本側に戦争への危機感が欠けているといった指摘から、従来の専守防衛や平和主義的な外交を重視する立場であることがうかがえます。
プロパガンダや偽情報への対抗
ガザ攻撃における犠牲者をめぐる中傷や、シリア内戦での救助団体「ホワイト・ヘルメット」に対する捏造説など、特定の国家や勢力が流すプロパガンダの検証を行っています。
偏った情報に流されず、現地の事実や独立メディアの調査報道を基に判断しようとするジャーナリスティックな姿勢を持っています。
米国のイラン攻撃の総括1 停戦覚書の評価:イランがホルムズ海峡封鎖で得た戦略的優位の「利益確定」
提示されたニュース記事は、2026年2月に発生した米国・イスラエルによるイラン攻撃が、約110日間の危機を経て停戦覚書(イスラマバード覚書)の合意に至った状況を中東ジャーナリストが総括したものです。
全体としてイラン側の主張が強く反映された内容になっており、イランがホルムズ海峡封鎖というカードを用いて経済的・戦略的な優位を確保した「利益確定」の局面であると分析されています。
停戦覚書の主な内容とイランの優位性
覚書に盛り込まれた14項目の合意内容は、イランにとって非常に有利な条件が並んでいます。
レバノンを含む全戦線での軍事作戦停止が明記され、イランが主張してきた「イランとレバノンの一体性」が認められた形です。
一方で、米国やイスラエルが強く求めていたイランの高濃縮ウランの国外搬出や核開発能力の排除は盛り込まれず、今後の交渉に先送りされました。
イランが得た経済的・戦略的利益
イランがこの停戦によって獲得した具体的な利益は以下の通りです。
巨額の支援と資産返還:米国や地域パートナー国から、48兆円規模(3000億ドル)の復興・開発計画や、凍結資産の返還を勝ち取りました。
原油輸出の正常化:覚書署名直後から、イラン産の原油や石油製品の輸出、および銀行取引や保険、輸送に関する米国の制裁適用除外が発行されます。
海峡管理への関与:ホルムズ海峡の今後の管理や海上サービスについて、イランがオマーンや湾岸諸国と協議して定義する権利が折り込まれました。
米国とイスラエルの亀裂と今後のリスク
この合意は、米国がイスラエルを置いて単独で「足ぬけ」したような形になっています。
イスラエルのネタニヤフ首相は「覚書の内容を知らない」「イスラエルは拘束されない」としてレバノン攻撃を続ける方針を示しており、中東危機の火種は依然として残っています。
60日間の最終合意交渉期間が設けられていますが、米国が制裁を再開すればイランが再び海峡を封鎖する可能性があり、予断を許さない状況です。
米国のイラン攻撃の総括2 体制転換の幻想:トランプ大統領が知らない、イラン社会の意外な事実
この記事は、2026年現在の米国・イスラエルによるイラン攻撃と「体制転換」の動向、そしてイラン社会の構造的な実態について、中東ジャーナリストの川上泰徳氏が分析したものです。
要点は以下の3点に集約されます。
- トランプ大統領や一部の専門家が期待した空爆による「イラン体制崩壊」は、中東の現実を無視した幻想に過ぎず、米情報機関も体制打倒の可能性には否定的でした。
- 1月に大規模な反政府デモ(死者数千人規模)が起きたにもかかわらず、米軍の攻撃開始後に民衆が体制打倒へ動かなかったのは、国民の多くが「体制の破壊(国家の崩壊)」ではなく「体制内での改革」を望んでいるためです。
- 人口統計(乳児死亡率の激減、女子教育の劇的な普及、出生率の低下)を見ると、イランはイスラム革命後に着実な近代化を遂げており、現在の反政府デモや女性の権利要求は、社会の高度な発展に政治や経済の仕組みが追いついていないことから生じています。
米・イスラエルの攻撃とトランプ氏の誤算
2026年2月28日の米国とイスラエルによるイラン攻撃初日、両国は最高指導者ハメネイ師の暗殺に成功し、トランプ大統領はイランの「体制転換」を呼びかけました。
しかし、米国国家情報会議(NIC)などの情報機関は、大規模な軍事作戦であっても宗教・軍事指導体制を打倒することは困難であると事前に評価していました。
実際に、ハメネイ師の死亡後も息子のモジタバ師が最高指導者に選出され、革命防衛隊への権力集中が進むなど、イスラム体制は維持されています。空爆だけで政権を打倒することは不可能であり、ガザにおけるハマス体制の存続と同様に、地上軍を投入しない限体制崩壊には至らないというのが中東の現実です。
「体制崩壊支持8割」のデータに潜む偏り
在外イラン人組織(GAMAAN)のアンケート調査では「8割以上が体制崩壊を支持している」とされていますが、これは都市部や政治関心の高い層に偏ったオンライン調査であり、実態を正確に反映していません。
過去の選挙データ(2009年の大統領選など)が示す通り、宗教指導者や革命防衛隊を支持する保守派の基盤は、地方や貧困層を中心に強固です。
また、当時の改革派指導者ムサビ氏もイスラム体制そのものの打倒ではなく、体制内での法の支配や自由の拡大を求めるナショナリストでした。現在の反政府派も、外国の軍事力による国家の破壊までは望んでいないため、米国の呼びかけには呼応しませんでした。
統計が示すイラン社会の急速な近代化
フランスの歴史人口学者エマニュエル・トッド氏が指摘する通り、イランは1979年のイスラム革命以降、着実な近代化を遂げています。主要な社会指標の推移は以下の通りです。
- 乳児死亡率の劇的な改善
1970年に出生1,000人あたり120人だった乳児死亡率は、2023年には10.8人にまで激減しました。これはブラジルやメキシコを凌ぐ水準です。革命後に農村部や遠隔地へ「保健の家」と呼ばれるプライマリ・ヘルスケア(PHC)網を整備し、地域保健員を配置した行政の成果として国連やWHOからも高く評価されています。 - 女子教育の普及と高学歴化
15歳から24歳の若い女性の識字率は、1976年の42%から2023年には98.9%へとほぼ100%に達しました。大学在籍者に占める女性の割合は57%前後に達しており、日本の約45〜46%を上回っています。特に医学部系では約60%が女性です。 - 先進国型の人口動態
女性の平均初婚年齢は19歳から25〜26歳へと上昇し、1人の女性が生涯に産む子供の数(合計特殊出生率)は、1965年の7.0から2023年には1.68へと低下しました。これは米国やフランスと同水準であり、イラン社会がすでに先進国型の形態に移行していることを示しています。
世俗派イラクとの比較
2003年に崩壊したイラクのサダム・フセイン体制(世俗主義のアラブ社会主義)と、イスラム体制のイランを比較すると、イランの社会発展が際立ちます。
1979年時点では両国の社会指標に大きな差はありませんでしたが、湾岸戦争や国連制裁を経た2002年(イラク戦争前年)の時点で、イランは乳児死亡率、女性識字率、大学在籍率のすべてにおいてイラクを大きく逆転していました。
「反ベールデモ」の本質と今後の展望
イランの社会指標は先進国並みに向上している一方で、世界経済フォーラムの「男女格差報告(2021年)」におけるイランの総合順位は156カ国中150位と最下位レベルです。特に女性の労働力率は18.9%に留まり、経済や政治への参加が著しく制限されています。
つまり、高度な教育を受けた優秀な女性たちが大量に存在するにもかかわらず、古い宗教的な価値観や政治体制が彼女たちの社会進出を阻んでいることが、2022年の「反ベールデモ」などの根底にある構造的な原因です。
イランの民衆は米国やイスラエルの攻撃に乗じて国を崩壊させる道は選びませんでしたが、強権政治や女性の権利制限に対する不満が解消されたわけではありません。戦争による外的脅威が後退すれば、国内の政治的自由や権利拡大を求める市民の運動は、再び表面化する可能性が極めて高いと言えます。
- 乳児死亡率の劇的な改善
2023年時点の乳児死亡率は、イランが10.8人であるのに対し、イスラエルは約2.7人です。 - 女子教育の普及と高学歴化
イラン男性の多くは、若いうちから生計を立てるために早期に就職するか、あるいは兵役(義務兵役制度)に就く必要性に迫られます。経済的な困窮やインフレが続く状況下では、男性にとって4年以上の大学教育に投資する経済的・時間的余裕が少なくなっている側面があります。その結果、相対的に女性の大学進学率が上昇し、大学在籍者における男女の比率が逆転する現象が定着しました。 - 先進国型の人口動態
出生率が人口置換水準(人口を維持するのに必要な水準である約2.1)を大きく下回る1.68になったことで、イラン社会は今後、欧米や日本が直面しているものと同様の課題「急速な高齢化への移行」を抱えることになります。
舛添要一の姪
あんなにウソばっかりついて他人を傷つけて、いつか要一は手痛いしっぺ返しを食らう。
5年前にそう言い残して膵臓がんで亡くなった、母の予言通りになりましたね。
ずっと詐欺のようなことをしてきたのですから、同情の余地はありません。
「いつか要一は…」 疑惑だらけの舛添都知事の亡き姉の予言
東大法学部で鳩山邦夫と首席を争った、天才政治学者の政治資金流用疑惑。ドケチ、タカリの人物像はいかにして形成されたのか。
すでに「釈明会見」も3回目。記者からの追及にも慣れた様子で、5月27日の会見では、舛添要一東京都知事(67)にはかつてのプライドの高さが戻っていた。
「疑惑のすべてが黒という訳ではない。今にでも言いたいことはありますよ」
先週の会見では声に弱々しさをにじませていた。しかし、政治資金の私的流用疑惑などについて元検事の弁護士2人へ調査依頼を済ませたことで安堵したのか、受け答えにはどこか自信が見受けられた。とくに、回答を引き延ばしているのではないかとの追及に対しては、
「まったく違います! 集中して(調査を)やることが最大の目的であって、厳正にやらないといけない。一日も早く結果を出すために(弁護士名を明かさないという)判断をした」
自身の能力に絶対的な自信を持ち、人を見下さんばかりの高いプライドを持つ舛添氏。外遊の往復はファーストクラス、宿泊は最高級ホテルのスイートルーム。部屋で要人と会うこともあるから仕方ないのだそうだ。
生活保護の姉の扶養要請を断る
他者への比類なき攻撃性と、自分の欲望を満たすことにかける絶対的な情熱の源流を辿った。
「あんなにウソばっかりついて他人を傷つけて、いつか要一は手痛いしっぺ返しを食らう。5年前にそう言い残して膵臓がんで亡くなった、母の予言通りになりましたね。ずっと詐欺のようなことをしてきたのですから、同情の余地はありません」
舛添氏の姪がそう語る母とは、11歳年長の長姉のこと。4人の姉を持つ末っ子として八幡市(現在の北九州市)で生まれ育った舛添氏は、中学2年で父・弥次郎さんを亡くした。戦前は炭鉱を持ち、戦後は市場で八百屋を経営していたという父が死んでから、舛添家は教員資格を持つ長姉と、長姉と結婚した会社員の夫が大黒柱になった。成績優秀な舛添氏を東大進学で東京に送り出した長姉夫妻は、年の離れた舛添氏を我が子のように可愛がった。東大の体質を批判して1989年に教員を退官、国際政治学者としてテレビの討論番組に出演するようになると欠かさずビデオ録画して応援していたという。
母親のユキノさんの介護体験を自慢 面倒を見てきたのは長姉夫妻だった
母親のユキノさんの面倒を長年見てきたのも、長姉夫妻だった。ところが舛添氏は98年に出版した『母に襁褓をあてるとき─介護 闘いの日々』を出版、認知症が進む母の介護を巡って長姉夫妻を悪しざまに罵った。その後もあらゆるメディアで介護体験を自慢して名を売り、「母」「介護」「痴呆」などのキーワードのタイトル本を少なくとも9冊も著し、2007年の第1次安倍政権で厚生労働大臣の座を射止めた。
長姉夫妻は長年沈黙を守っていた
長姉夫妻は長年沈黙を守っていたが、同年、週刊文春が3回にわたって掲載した「舛添要一『消せない過去』」で重い口を開き、「要一が本で書いている内容は、全部反対の話だと理解してもらったらいい」と当時、取材した筆者(大平)に語った。
このシリーズでは、長年生活保護を受給していた4番目の姉を扶養するよう北九州市が要請したにもかかわらず、断ったことも報じた。92年ごろのことだ。当時、売れっ子の国際政治学者だった舛添氏は、バブルを謳歌していた。講演だけで一日300万円、多い年で年間3億円を稼いだ。北海道白老町に建てた別荘で女優たちと温泉に入ったり乗馬を楽しんだり、都内にも複数のマンションを所有して、世田谷の自宅は3億円で購入したなどと、インタビューで臆面もなく語っていた。その一方で、実の姉に救いの手を差し伸べようとしない理由が、「冷血」以外奈辺にあるのか問い質そうとしたが、舛添氏は「ダメです。不愉快です」と意味不明の対応で取り付く島もなかった。
女性遍歴
さらに、片山さつき参院議員や、フランス人女性との結婚だけでなく、片山氏と結婚していた88年当時に愛人xさんに男児を産ませて後に認知、さらに91年と95年には別の女性yさんに2女を産ませた後、96年に現在の妻と結婚したことなども報じた。yさんは婚約不履行を理由に訴訟で慰謝料を請求、xさんも出産した男児が重度の障害を抱え、ここまでの生活は並大抵の苦労ではなかったという。
お金出ない人と付き合わない
これだけではない。県立八幡高校時代からの親友だったfさんには四つ年下の妹zさんがいて、舛添氏は彼女との結婚をほのめかして土建業のf家からも多額のカネを引っ張った。それでもfさんは舛添氏を支援したが、母の介護を巡って実情を知るf家とは疎遠になった。fさんは6年前に亡くなり、zさんも現在末期がんの床に伏せっている。
長姉にも、後を追うように同じ年に亡くなった義兄にも、fさんに対しても、舛添氏からは何のお悔やみもなかったという。
「あの人は、お金が出ない人とはお付き合いしません。私は、もう関わりたくありません」
外堀を埋められ浮かぶ瀬が見つかりそうもない
2年前の都知事就任時、そう落胆していたzさんは今回、舛添氏が政治資金で「龍宮城スパホテル三日月」に2年連続で正月家族旅行に興じていた週刊文春報道を受けた記者会見のテレビ中継を見て、筆者にこうメールしてきた。
「テレビみました。すっきりしました。私は、がんの末期であと少ししか生きませんがよくぞやってくれました」
これまで数々の疑惑を報じられながら、運良く切り抜けてきたが、今回ばかりは外堀を埋められ浮かぶ瀬が見つかりそうもない。
舛添氏はかつて、中学時代に死んだ父のルーツを求め、『花と龍』『麦と兵隊』などで知られる芥川賞作家、火野葦平の旧居「河伯洞」(北九州市若松区)を訪れたことがある。00年の初夏。手には1930年に若松市議選を戦ったという父の選挙ビラがあった。「舛添弥次郎」の右横には片仮名で、左横にはハングルでルビが振ってある。その謎を解くために、当時の選挙戦の様子を『花と龍』などで描いた葦平に、縁を求めてやってきたのだ。


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