ロシアによるウクライナ侵攻を回避する方法はなかったか?

トランプ「戦争を始めたのはウクライナだ」

ドナルド・トランプ大統領がウクライナのゼレンスキー大統領に対し、戦争の責任の一端がある、あるいは「(戦争を)始めるべきではなかった」といった趣旨の発言をしたことは事実です。

この発言の背景と、事実関係についての分析を整理しました。

トランプ氏の発言内容

2025年2月、トランプ大統領はゼレンスキー大統領との会談やメディアへのコメントを通じて、以下のような趣旨の発言を行いました。

ゼレンスキー大統領は「戦争を始めるべきではなかった」と述べた。

ウクライナ側がより早い段階でロシアと「取引(ディール)」をしていれば、これほどの犠牲は出なかったという見解を示した。

ゼレンスキー氏を「史上最高のセールスマン」と呼び、巨額の軍事支援を引き出しながら戦争を終結させられない姿勢を批判した。

これらの発言は、戦争の責任がロシアの侵攻だけでなく、開戦を回避できなかったウクライナの外交的判断にもあるというトランプ氏独自の認識を示したものです。

歴史的事実との相違

トランプ氏の発言に対し、多くの専門家や国際社会は「事実誤認である」との見方を示しています。主な事実は以下の通りです。

  1. 侵攻の主体:2022年2月24日、ロシア軍が国境を越えてウクライナに全面的に侵攻したことが開戦の直接的な原因です。
  2. 2014年の経緯:紛争のルーツは2014年のロシアによるクリミア併合と、東部ドンバス地方での軍事介入に遡ります。これらはいずれもロシア側からの軍事行動です。
  3. 防衛戦争:国際法上の観点からも、この戦争は主権国家であるウクライナが、ロシアによる武力侵攻に対して自衛権を行使している「防衛戦争」と定義されています。

発言の意図と背景

トランプ氏がこのような発言を行う背景には、主に二つの政治的意図があると考えられます。

  1. 早期停戦の正当化:ウクライナ側にも責任があるという構図にすることで、ウクライナに対して領土割譲を含む妥協を迫り、自身が公約とする「早期和平」を実現しやすくする狙いがあります。
  2. 支援削減の根拠:アメリカによる巨額の軍事支援を打ち切る、あるいは縮小するための国民向けの説明として、ウクライナ側の非を強調している側面があります。

ゼレンスキー大統領はこれに対し、「トランプ氏はロシアの偽情報の空間に生きている」と強く反論しており、両者の間には認識の大きな隔たりがあります。

 

 

  1. 2022年のロシアによるウクライナ侵攻を回避する方法はなかったか?
  2. 2014年のロシアによるクリミア併合と、東部ドンバス地方での軍事介入を防ぐ方法はなかったか?

ロシアによるウクライナ侵攻を回避する方法はなかったか?

トランプ大統領の発言にある「ウクライナ側が避けることができた」という視点も含め、専門家や歴史的な分析から考えられる「回避の可能性」について整理しました。

1. ロシアによるウクライナ侵攻を回避する方法はなかったか?

2022年の大規模侵攻については、いくつかの分岐点があったと議論されています。

  1. ウクライナの中立化とNATO不拡大の確約
    ロシアが最も強く求めていたのは、ウクライナのNATO非加盟の法的保証でした。もしウクライナが早い段階で中立化を受け入れ、欧米諸国もそれを保証していれば、侵攻の口実を奪えた可能性があるという指摘があります。
  2. ミンスク合意の完全履行
    2015年に結ばれた「ミンスク2」という和平合意が、ウクライナとロシア双方の不信感から履行されませんでした。ウクライナが東部地域に高度な自治権を認めるなどの妥協を行い、ロシアが軍を撤退させていれば、全面戦争は避けられたという説があります。
  3. 欧米による強力な軍事抑止
    逆に、ロシアが軍を境界に集結させていた段階で、欧米がより迅速かつ大規模な武器支援を表明したり、強力な経済制裁をあらかじめ発動したりしていれば、プーチン大統領が「侵攻のコストが高すぎる」と判断して思いとどまった可能性も指摘されています。

2. 2014年のクリミア併合とドンバス介入を防ぐ方法はなかったか?

2014年の事態については、当時のウクライナ国内の混乱と国際社会の油断が大きな要因とされています。

  1. ウクライナ国内の政治的安定
    2014年の「マイダン革命(尊厳の革命)」で親露派のヤヌコーヴィチ政権が崩壊した際、親欧米派の暫定政権がロシア語を公用語から外そうとするなど、東部やクリミアの親露派住民を刺激する政策をとりました。より慎重に国内の融和を図っていれば、ロシアに「同胞の保護」という介入の口実を与えずに済んだかもしれません。
  2. 西側諸国の初期対応の厳格化
    ロシアがクリミアに「緑の小人(記章のないロシア兵)」を送り込んだ際、国際社会の反応は限定的でした。この時の制裁が非常に緩やかだったため、プーチン大統領が「この程度なら許容範囲だ」と判断し、その後の東部ドンバスへの軍事介入につながったという反省論があります。
  3. ブダペスト覚書の有効活用
    1994年、ウクライナは核兵器を放棄する代わりに、アメリカ、イギリス、ロシアから主権と国境の安全を保障される「ブダペスト覚書」を交わしていました。この枠組みを使い、侵攻の兆候があった時点で米英がより強い外交的・軍事的な関与をしていれば、ロシアを牽制できた可能性は否定できません。

結論として、外交的な妥協(中立化など)か、あるいは圧倒的な抑止力の誇示があれば、歴史が変わっていた可能性はあります。しかし、プーチン大統領が「ウクライナは歴史的にロシアの一部である」という強い信念を持っていた場合、どのような対応をとっても最終的には衝突が避けられなかったという悲観的な見方をする専門家も少なくありません。

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