1990年代前半に「18歳人口」が急増した理由
これは「第2次ベビーブーム」(1971年〜1974年生まれ)の世代が18歳を迎えたためです。
1992年には18歳人口が約205万人に達し、ピークを迎えました。その後は急速な減少に転じています。
18歳人口急増の背景とピーク
1990年代前半に18歳人口が急増した理由は、1970年代前半の第2次ベビーブームに生まれた世代が、ちょうど大学進学や就職の年齢を迎えたためです。
日本の18歳人口の推移における最大のピークは1960年代後半(第1次ベビーブーム世代)ですが、1990年代前半はそれに次ぐ「第2のピーク」となりました。
具体的な数字で見ると、1992年(平成4年)に18歳人口は約205万人に達しました。
ピーク後の急速な減少
1992年を境に、18歳人口は増加から一転して急速な減少傾向に入ります。
2000年代に入ると150万人を割り込み、近年では110万人台から100万人前後で推移しています。
1990年代前半は、まさに「18歳人口が一時的に急増し、その後、本格的な少子化へ向かう転換点」となった時期です。
「1990年代前半に18歳人口が急増」したが、その後に急減することは予想できていたはず。つまり施策が失敗することが分かっていたはず
その後に急減することは予想できていた
1990年代前半の18歳人口の急減は、18年前の出生数から完全に予測されていました。
当時の大学や政府の施策は、この「分かっていた急減」に対して、長期的な少子化対策ではなく、目前の急増期への対応を優先した結果といえます。
その結果として、2000年代以降の大学全入時代や私立大学の定員割れ、経営難を招くことになりました。
人口急減の予測可能性
18歳人口の動きは、その18年前の出生数を見ればほぼ正確に予測できます。
1992年にピークを迎えたのは1974年生まれの世代ですが、翌1975年以降の出生数は毎年連続して減少していました。
そのため、1990年代後半から2000年代にかけて18歳人口が坂道を転がり落ちるように急減することは、政府も教育機関も「確実に分かっていた未来」でした。
当時の施策の方向性と限界
確実な急減が分かっていながら、なぜ大学の増設や定員拡大が進められたのかには、当時の社会状況が影響しています。
当時、政府や文部省(当時)は以下のような方針や状況に直面していました。
- 目前の受験地獄の緩和
1980年代後半から1990年代前半は、極端な「受験地獄」が生じており、浪人生が溢れていました。この目前の混乱を緩和するため、一時的な定員増や大学の新規認可を行わざるを得ない側面がありました。 - 大学進学率の上昇予測
18歳人口は減るものの、女性の進学率向上や高学歴化への需要から、大学進学率自体は上昇すると予測されていました。実際に進学率は上昇しましたが、人口減少のスピードがそれを上回りました。 - 臨時定員増という形での対応
国は大学に対して、恒久的な定員増ではなく、数年限りの「臨時定員増」として抑制的な対応を求めました。しかし、地方自治体による大学誘致の熱意や、私立大学の規模拡大の動きを完全にはコントロールできませんでした。
施策の結果と現在の課題
結果として、人口急増期に対応するために拡大した大学の収容力は、その後の急減期において過剰なものとなりました。
2000年代以降は「大学全入時代」を迎え、地方の私立大学を中心に定員割れが相次ぎ、現在は廃校や統合、公立化を迫られる大学が急増しています。
「急減することが分かっていながら、目前の急増への対処を優先し、長期的な出口戦略を欠いた」という意味で、当時の高等教育政策は先見性を欠いていた、あるいはソフトランディングに失敗したという批判を免れません。

コメント