日本は社会システムが完成し、固定されている。チャレンジしても出る杭は叩かれ、旨味がない
【モーリー・ロバートソンの考察】失敗から学んだ 「転び方」を知る者だけが チャレンジャーになれる
hyd******** この記事を読んだ若者に、チャレンジって具体的に何をすればいいの? と質問されたらどう答えるのだろうか。俳優女優のオーディションを受ける、会社を設立する、Youtubeで自分の歌や踊りを披露する。どれもうまくいく可能性は低そうだし、大した経験にもならないのでは、ということになりそう。現在の日本は30歳になるまでに確実に定期昇給がありそうなところに就職できれば勝ち、それができなければ負け、という勝敗の法則が確立してる。そして、その勝負に勝つためは高校入試大学入試が大事。こういう明快な仕組みが出来上がっている社会では推し活のような無難な娯楽が流行ることになる。
- fji******** 「本当に自分がやりたい事」にチャレンジすればいいのでは?「現在の日本は30歳になるまでに確実に定期昇給がありそうなところに就職できれば勝ち、それができなければ負け、という勝敗の法則」は「逃げ」なのかもしれません。そして日常生活の不平不満から「推し活」に逃げる
先進国における「構造化された正解」と若者の閉塞感
モーリー・ロバートソン氏が指摘する「構造化された正解」とは、戦後の高度経済成長期に最適化された社会システムが、現代においても依然として強力な規範として機能している状態を指します。
既定路線の硬直化と自由の喪失
先進国、特に東アジアの経済モデルにおいては、特定の学歴を得て、特定の企業に属し、年功序列の階段を登るという「正解」が長らく提示されてきました。
このシステムが強固であればあるほど、レールから外れることへの恐怖(リスク)が増大します。
結果として、若者は失敗を許容されないプレッシャーにさらされ、「転び方」を学ぶ機会を奪われたまま、硬直化した選択肢の中で生きることを余儀なくされています。
「未来の既視感」による絶望
老後までの人生がイメージできてしまうという感覚は、一見すると安定に見えますが、その実態は「個人の可能性の固定」です。
サプライチェーンの組み換えや産業構造の激変が起きている現代において、かつての「正解」はもはや持続不可能なモデルとなりつつあります。
それにもかかわらず、社会の規範だけが旧態依然として残っているため、若者は「報われないことが分かっている努力」を強要されていると感じ、それが生きることへの絶望や、韓国の事例に見られるような「ひきこもり」という形での静かな拒絶につながっています。
挑戦を阻害する「機会費用の罠」
「構造化された正解」が存在する社会では、新しいことへの挑戦は「正解から外れるコスト」として計算されます。
このため、本来は創造的な破壊(イノベーション)を担うべき層が、既存の利権や安定を守る側に回らざるを得ない構造になっています。
モーリー氏が説く「転び方を知る」とは、失敗を社会的な死と見なす現在の構造を脱し、試行錯誤そのものを資産として評価するマインドセットへの転換を意味しています。
社会的レジリエンスの再構築
この閉塞感を打破するためには、個人の意識改革だけでなく、失敗した人間が何度でも労働市場や社会活動に復帰できる「構造的な流動性」の確保が不可欠です。
若者の孤立を単なる心理的問題として片付けるのではなく、既存の成功モデルが機能不全に陥っているという「システムの限界」として認識する必要があります。

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