逃げ　森田真由(13) 逃げて起こられるのは人間ぐらいほかの生き物たちは本能で逃げないと生きていけないのにどうして人は「逃げてはいけない」なんて答えにたどりついたのだろう

逃げ　森田真由(13)

逃げて起こられるのは人間ぐらい

ほかの生き物たちは本能で逃げないと生きていけないのに

どうして人は「逃げてはいけない」

なんて答えにたどりついたのだろう

「逃げることの何が悪い！?」

あまりに大きな声だったので、私はびっくりした。「僕だって、ライオンに会ったら逃げるよ！でもネコなら逃げない。君にとって、仕事はライオンだったんでしょ。だったら逃げていいんだよ！」

ふいに、強い言葉に胸を打たれて、涙がこぼれ落ちた。そうか、身を守るためには、逃げてもよかったんだ―。

「君にとって、この道はネコみたいなもんだろう？だから君はここに来た。だったら逃げないほうがいい。でも、仕事は違ったんだろう？自分の大きさと相手の大きさを比べて、もしも敵わないと思ったら、その時は逃げればいいんだよ！」

ずっと、逃げるのは悪だと思っていた。「一度逃げたら一生逃げ続けるぞ」とか「3年で辞める新卒の社会人はアホだ」とか、人に言われた言葉を頭に詰め込んで、ただ繰り返していた。闘えない自分を責めるのに一生懸命で、私はそれが自分にとって、闘える大きさかどうかなんて、一度だって、考えたこと、なかった。問題なのは「逃げた」ことじゃない。「逃げちゃダメ」にとらわれて相手をちゃんと見ようとしていなかった、私の頑なさだ。言葉にがちがちにしばられて、凝り固まった心が、胸の内側で溶けてゆく。ぼろぼろとかけら欠片が涙になって、拭いても拭いても、目から転がり落ちてくる。ミゲルは突然泣き出した私を見てびっくりしたようだったが、そのうち、分厚い手で、ゆっくり背中をさすってくれ始めた。汗ばんだ手と、ニコニコした顔が暑苦しい。でも、今の私には、それがありがたかった。道に迷ったことで、出合った言葉。メインルートから外れたこの森で、日本から抱えてきた荷物を、私は今日、やっと少しだけ、地面に下ろせた気がした。