ヨーロッパの格言
- 20歳以下で左翼、リベラルに傾倒しないのは情熱が足りない
- 20歳以上で左翼、リベラルなのは知能が足りない
山口敏太郎 2ch / Twitter / Google / Youtube
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差別利権なの?山口敏太郎
山口敏太郎「忘れてはいけない日本の民族紛争 シャクシャインの乱」オカルト研究家が何を書いてるの?差別利権なの?
[先住民族] 差別体験などを語ってもらったアイヌ民族の肉声、ドキュメンタリー映画化 「TOKYOアイヌ」12月に全国公開を目指す
アイヌには「成りすまし在日韓国朝鮮人」が入り込んでる
アイヌってかっこいいと思うんだけどなぁ。こういうの見ると「半島人と同じじゃん」と思ってしまう。
- アイヌに在日は多いが?
- はぁ?それはアイヌに「成りすましチョン」が入り込んでるって事?それともアイヌは「日本国籍」がない「在日」アイヌ人て事?
- 成りすましチョンが入り込んでるってこと。
同級生の女がアイヌだったけどものすごくきれいだった
同級生の女がアイヌだったけどものすごくきれいで色白で目が大きくてうるうるキラキラしていたなあ。みんな普通に仲良しだった。観光地だったから親はアイヌの土産物屋してたらしい。
- うちの伯母の同級生にもいたらしい。よく家に遊びに来てて、母もアイヌ民謡とか教えてもらって一緒に遊んだとさ。これ、60年前の話だけどな。そんな差別意識とかないとこ多いよな。
土人がNGになって原住民がNGになって今先住民族
「土人」って今思うような意味じゃないよ
土人がNGになって原住民がNGになって今先住民族になってるけど、次は何になるんだろうな?早晩先住民族もNGになると踏んでるんだが。さてこれでも貼っておくか…。
http://pchannel.net/wthre/69815.html
「アイヌにも参政権を」とか主張してたが、あるでしょ参政権
「アイヌにも参政権を」とか主張してた東京のアイヌウタリかなんかいうとこの繋がりかい?
- いやwあるでしょ参政権w
- 何かすげぇな、それ。どういうこっちゃ
- アイヌウタリ連絡会でぐぐってみ。まじで言ってるから
- チョンがアイヌのふりしてるだけだぞ。そもそもアイヌ差別なんて無かったよ。あったのは似非日本人による差別かな。差別と言うより既得権確保の自慰行動。沖縄人に対しても同じ。首都圏に流れてきた余所者(笑)をいびり出そうって魂胆。カネになると解った途端にナリスマシ。
宇梶剛士のお母さんが苦労して関東にアイヌ組織を構築した
これにも映ってる宇梶剛士のお母さん(2番目に出てくる方)が苦労して関東にアイヌ組織を構築した。
ドキュメンタリー映画「TOKYO アイヌ」プロモーション用映像
- 宇梶ってあの暴走族のやつか?
白い服が宇梶剛士?
宇梶ってアイヌの間じゃ人気ないらしいね
あー、アイヌの間じゃ人気ないらしいね。http://pchannel/wthre/69815.html
- 「宇梶さんについてどう思いますか?」「母親からしてアウトな部分が多い。実際母親のせいで嫌われてる」
- 当時、宇梶の母さん相当アイヌから抗議されたらしいね
「アイヌ」を名乗る半島人
つかお前参政権じゃなくて国会の特別議席だろ(´・ω・`)これなんかまだ可愛いほうだ。5兆円賠償の旭川アイヌ協議会にくらべれば
いいや、「参政権」をよこせってハッキリ書いてたから
参政権は普通にあるだろうがよ…。故萱野茂はどうなるんだよ、あの人参議院議員だったぞ。
参政権よこせって言うやつはアイヌじゃないだろ。アイヌは参政権あるし
「東京」の「アイヌ」を名乗る団体だからね<アイヌウタリ連絡会。どういう人間が入り込んでるか、すぐに察しがつくだろ。大和民族でない他民族で参政権をほしがってんのは?そいつらだよ、糸ひいてんのは。
アイヌ民族としての参政権=国会特別議席じゃないか?一部のアイヌの背後には解同どころか極左が控えてる。ぬこや 左翼アイヌの愚行
「平等に扱え!」じゃなくて「優遇しろ!」なんだね~。北海道では何の権利も与えられなかったとか、オーバーなんだよなw
半島人とより極左とつるむ方が問題。全関東単一労働組合というのが食い込んでる。http://michiwohiromu.blog133.fc2.com/blog-entry-17.html
同じ穴の狢。分けて考える必要はないよ。
2009年11月02日
寛文年間(1661~1673)、北海道のシベチャリチャシで、シャクシャインの乱と呼ばれる大規模な「戦(いくさ)」があった。
「シベチャリ」とはアイヌ語でシベチャリ川(静内川)流域の場所のことを言う。
「チャシ」とは同じくアイヌ語で砦の意味であり、日本語にすればシベチャリ砦とでも言えるだろうか。
シベチャリには、シャクシャインが首長のメナシクル(アイヌ語で東方の人びとの意味。)と、オニビシが首長のシュムクル(アイヌ語で西方の人々の意味)の二つのグループがシベチャリ川流域の領分を巡って長く対立していた。
抗争により先代首長が死亡し、副首長から新首長になったのがシャクシャインだ。
松前藩の仲介によって1度は和睦したメナシクルとシュムクルだったが、寛文年間には再び関係が悪化。寛文8年(1668)、オニビシがシャクシャイン側に殺されるという事件が起きる。
これにより、以前より松前藩に近いシュムクル側は報復を決意。
松前藩に武器、兵糧の援助を求める。
しかし、松前藩はこの対立が、やがて和人(日本人)を巻き込む戦いにまで拡大することを以前より恐れていたため、この申し出を拒否する。
そして、まったく偶然だが、シュムクルの使者は松前藩からの帰路病死してしまう。
ところが、これが松前藩の毒殺によるものとの噂が広まった。すでにアイヌには、不当な交易や搾取等で和人への不満がたまっていたから、この噂が信憑性を持って広まったのだろう。
この出来事によって、倭人への怒りが爆発することになった。
メナシクルとシュムクルは争いをやめ、シャクシャインがリーダーとなり、蝦夷全域のアイヌ民族へ、ともに松前藩と戦うよう協力を呼びかけた。
ついに、松前藩が恐れたアイヌの、和人への争いが始まったのだ。
1669年(寛文9) 6月、シャクシャイン指揮の下、アイヌ側は蜂起する。
これがシャクシャインの乱である。
松前藩は幕府へ援軍を要請。幕府は東北諸藩へ支援を命じ、事態の収拾に努めた。
アイヌの蜂起は各地で起きたが、幕府側との物量の差はいかんともしがたく、アイヌ側は次第に追い詰められてゆく。
アイヌ側にとって痛かったのは、渡島半島のアイヌとの連絡を分断され、協力が得られなかったことが挙げられる。
さらに松前藩は、幕府や東北諸藩の援軍により、多数の鉄砲を用意できたことがいっそうアイヌ側に打撃を与えた。
戦況が不利になる中、シャクシャインはシベチャリ方面まで撤退、奥地での長期戦に備える。
松前藩は戦いの長期化を恐れ、シャクシャインに和睦を申し出た。シャクシャインは一度これを拒否するが、息子の勧めもあり、最終的に応じることにした。
シャクシャインは和睦のためピポク(現在の新冠町)の松前藩陣営を訪れる。
しかし、これは松前藩の罠だったのだ。
酒宴の場にはひそかに武士達が控えていて、ついにシャクシャインは殺されてしまう。
1669年(寛文9)10月23日のことである。
この時、シャクシャインとともにピポクで殺害されたアイヌは74人とされている。
リーダーを失ったアイヌ軍を松前藩は間髪入れず攻撃する。
翌日にはシャクシャインのチャシも焼き払われる。こうして、蜂起は次々と鎮圧されていき、約4ヶ月に渡るシャクシャインの乱は終わった。
この戦いの後、松前藩は蝦夷地の支配地域を拡大し、同時にアイヌを次々と支配下に治めてゆくことになる。
シャクシャインの乱は、太平の世が始まっていた時代の大規模な争いであり、近代に日本で起きた異民族同士の戦いなのだ。
忘れてはいけない史実としてここに紹介しておきたい。
山口敏太郎