バカを相手にするのは疲れる

無知な人間を議論で負かすのは不可能である

ハドソン川の海底を掘るという世界初のトンネル建設を成功させたマカドゥーだが、完成まではまさに受難の日々だった。協力を要請した技術者に拒否され、工事の途中で融資が取りやめられて一時、工事は完全にストップした。この言葉は、そんな苦難の中から得た教訓なのかもしれない。事の本質を理解していない相手と議論しても建設的な話し合いにはならない。議論が通用しない相手を負かす方法があるとすれば、「議論を避けることだ」と鉄鋼王のカーネギーも言っている。

ウィリアム・G・マカドゥー(アメリカの政治家)

相手方が素人だと「めんどくさい」

相手方が素人であることのデメリット

一方、相手方が素人であることの弁護士から見たデメリットは、一言で「めんどくさい」に集約される。

弁護士にとって「相手方が弁護士をつけない」というのはどういうことか

素人だから話が通じない

何しろ相手は素人だから話が通じない。法律論を言っても理解してくれないし、不合理な主張に固執するし、落としどころもわかっていないし、感情的になって電話でわめきちらしたりする。

このような相手との紛争は、どうしても紛糾しがちだし、長期化しがちだ。

双方弁護士がついての紛争は、判決まで行くよりも和解で解決するケースの方がずっと多い。

落としどころがわかっていない

これは、「訴訟で最後までやった場合の判決内容をある程度の精度で予測でき、そこから逆算して落としどころを見いだせる」という弁護士の能力に依存している。*1

どちらかの当事者がこの結論予測能力を持っていない場合、最後までとことんやるしかなくなってしまう可能性が高まる。

だから、弁護士にとって素人相手の紛争は非常にめんどくさい。

勝ち目はないのに不合理な主張に固執して延々争う

もっとも、「相手が弱い」というメリットを充分に享受できるケースなら、いくらめんどくさくても許せる。我慢すれば最後によい成果を得られるからだ。

しかし、世の中には、どちらが勝つ案件かあまりにも明らかであるため誰がやっても結果が大きく変わらないような紛争も多い。(例として、借用証書などの証拠が完全に揃っている貸金返還請求訴訟とか、長期間にわたる賃料滞納の証拠が揃っている建物明渡請求訴訟とか。)

その種の紛争においては、相手方が弱いことによるメリットが小さくなってしまうため、めんどくさいというデメリットが前面に出てくる。

そういうときは、「あの相手方、頼むから弁護士つけてくれないかなあ」と思うのが正直なところだ。

これを当事者の側から見ると、誰がやっても結論が変わらないような案件であれば、弁護士をつけずに自分で処理すれば弁護士費用が節約できるから、自分でやるという選択も合理的になりうるということだろう。*2

実を言うと、当事者の一方だけが弁護士をつけない案件は、けっこうこのケースが多い。素人の側が負けるに決まっているケースだ。

このようなケースでは弁護士に相談に行っても「どうやっても負けますよ」と言われるから、それで依頼を断念する場合も多いだろう。

その結果、「どうやっても勝ち目はないのに不合理な主張に固執して延々争う素人」という、弁護士を困惑させる存在が生じる。しかし勝ち目のない事件である以上、それも本人にとっては一つの合理的な選択だからやむを得ない。

ただ、一般の方は、そもそも勝ち目のある事件かない事件か判断する能力を持っていないと思われるから、依頼するしないは別として、相手方に弁護士がついている紛争が生じたら、一度は自分も弁護士に相談してみるべきであろう。