家を焼いた敵である5人のロシア兵と焼かれた家の主であるウクライナ人家族が地下室で奇妙な同居生活を始めた……ロシア兵の本音まで聞き出したレポート。必読。

著者について:ピーター・ポメランツェフ氏は、ジョンズ・ホプキンス大学SNFアゴラ研究所の研究員で、最近の著書は『This Is Not Propaganda』(これはプロパガンダではない)『現実との戦いにおける冒険』の著者である。

『私たちは敵になるしかない 』

ウラジーミル・プーチンの侵攻を経験したある家族の体験が、戦争終結への道筋を示している。

ロシア軍がウクライナ北部の村ルカシフカに砲撃を開始した時、数十人の住民がホルボノスさん一家の地下室に逃げ込んだ。子供たち、妊婦、寝たきりの年金生活者、そしてホルボノスさん一家も一家の桃園と野菜畑の下の地下室へ降りて、砲撃が去るのを待った。10日間の間、彼らは1時間に数回砲弾が上空で鳴り響き、砕け散るのを聞いた。その攻撃は土地に大きなクレーターを残し、ホルボノス家の車を燃やし、家の屋根を壊した。そして3月9日、ついに重火器と戦車が村に入ってくる音が聞こえた。ロシア軍がルカシフカを占領したのだ。

ロシア兵たちは恐怖に怯える村人たちに家の外に出てくるように命じ、隠れているウクライナ兵を狙って地下室に手榴弾を投げ入れた。夫婦のイリーナさん(55歳)とセルゲイさん(59歳)、息子のニキータさん(25歳)は、近所の家の地下室でその次の日の夜を明かしたが、あまりの寒さと湿気のため、再び自宅の地下室に戻った。地下室に入るとそこには5人のロシア兵が住んでいた。

「私たちはいったいどこに住めばいいの?」イリーナが尋ねた。「ここは私たちの家なのよ。」兵士たちは、ホルボノスさん一家に「君たちが家に戻りたいなら戻ればいい。一緒に住んだらいいことだ。」と言った。結局、ホルボノスさん一家は、家に戻りロシア兵と一緒に住むことにした。

5人のロシア兵と3週間ほど一緒に過ごし、一緒に食事をし、一緒に歩き、一緒に話をした。ロシア兵たちは、自分たちの任務について意味不明な宣誓をしたり、ウクライナについて驚くほど基本的な質問をした。また同時にロシア兵たちの動機や士気についての知見が深まった。ホルボノスさん一家は、彼らの主張に反論をしたり、怒りのあまり彼らに向かって叫んだり、また一緒に酒を飲んだり、その信頼の度合いを確かめながら、ウラジミール・プーチンの戦争についてロシア兵たちは自信があるのかたずねてみたりもした。

ホルボノスさん夫妻は私と同僚のアンドレイ・バシュトヴィに次のように語ってくれた。数週間にわたって、ルカシフカの地下室は戦争のプロパガンダ戦線の縮図と化したのだった。一方では、ロシア人たちが自分たちの攻撃について聞かされた数々の虚偽を何度も繰り返した。もう一方では、ウクライナ人たちが虚構に駆り立てられた侵略者によってなぜ自分たちの故郷が壊滅的な打撃を受けているのか不思議に思っていたのだ。

しかし、私はホルボノスさん夫妻と会った後で、同じ週にウクライナの指導者であるヴォロディミル・ゼレンスキー大統領と会い、ホルボノスさん一家の体験が、戦争を終わらせようと必死に努力している国内外の多くの政治家や官僚、ジャーナリスト、活動家を悩ませている問題に対する答えを非常にはっきりと示していることに衝撃を受けた。嘘八百を並べ立てられてきたロシア人に、プーチンのウクライナ侵攻への支持をやめさせるにはどうすればいいのだろうか。

最初は、ホルボノスさん一家も同居人のロシア兵たちが怖くて話しかけられなかった。兵士たちは、いつも銃にしがみついていた。ウクライナ軍とロシア軍がチェルニヒフ近郊で交戦していたので、頭上から砲撃を受けるのを恐れていたのだ。

しかし、数日経つと、両者は打ち解け、最初は食べ物やウクライナの人気レシピなどの中立的な話題についての話をした。ホルボノスさん一家は、5人のロシア兵が軍の整備士であることを知った。1人は隊長で、最年少の31歳だった。 他の3人は40代であり、そのうち2人はシリアで従軍した経験があった。そのうちの1人は、ルカシフカに向かう途中、地雷を踏んで顔に火傷を負い、軟膏を塗りながら口汚い言葉を言っていた。ロシア兵のうち4人はシベリアの人だった。

5人目のロシア兵は40代で、ロシア中部に大きな共和国を持つタタール人であった。タタール語の歌をひっきりなしに歌う彼を、他の兵士たちは迷惑に思っていた。 砲撃が始まると、いつも真っ先に地下室に逃げ込むので、臆病者だとからかわれた。

最初は、隊長はクレムリンのプロパガンダを熱心に何度も繰り返して言った。彼と彼の仲間はホルボノス家を救出するためにウクライナにいるのだ、兵士たちはウクライナではなくアメリカと戦っているんだ、これは「戦争」ではなく「軍事作戦」なんだ、この作戦が終われば、プーチンの支配下でみんな幸せに暮らせるのだ、と。

イリーナさんは反発して言った。「私たちは何も助けなんか必要としてないわ。ルカシフカにも、ウクライナのどこにも、米軍も米軍基地もないのよ。プーチンの元で暮らしたくなんかないわ。」

隊長が「ウクライナ人はロシア語を話すことを禁じられていると聞いている。」と言うので、彼女は「ウクライナではどんな言語で話してもいいのよ。」と彼に言った。(私はホルボノスさん夫妻とはロシア語で話した)。

イリーナさんの抗議だけでなく、戦争の厳しい現実を目の当たりにして、隊長は徐々に疲弊していった。戦争が始まったばかりの頃は、征服が間近に迫っていると信じ、浮かれていた。 彼は、地下室に駆け込み、「キエフは包囲された!キエフは包囲された! チェルニヒフは陥落寸前だ!」と言った。しかし、数週間経ってもキエフもチェルニヒフも陥落しないので、彼の気分は沈んでいった。ある時、隊長にキエフの位置を地図で示したところ、キエフは隊長が思っていたような近場ではなく、100マイル近く離れていることを知り驚いたとセルゲイさんは話してくれた。

他のロシア兵たちは、隊長ほど熱狂してはいなかった。ロシア人からの報告もウクライナ人からの情報も信用せず、シニシズム(冷笑主義)に陥っている兵士も2人いた。顔を火傷した兵士は、隊長が親プーチン派であるのと同じくらい反プーチン派であった。彼は公然と大統領を罵倒し、大統領をヤギと呼んだ。彼は今までに一度もプーチンの政党に投票したことはないと言っていた。

徐々にホルボノスさん一家とロシア兵との間に信頼関係みたいなものができてきた。ある夜、酔っ払ったロシア人少佐が、革ジャンにソ連軍のピンバッチをつけてルカシフカをうろつき、「殺された兵士の復讐として住民を殺す」と脅してきた。彼は酔っぱらっていて、脅しを実行には移せなかったが、この事件だけが特別だったわけではない。若い兵士たちは、酒を飲んでハイになり、ウクライナ人に向かって「ウクライナ人はみんな「罰」を与えられないといけない。」と叫んでいた。ホルボノス家は、果樹園の外に出ることはめったになかった。5人の兵士がいる地下室が一番安全だと感じていたからである。

ロシア兵は酒やタバコを吸いに地下室を出る時に、セルゲイさんを誘ってきたので、一緒に酒を飲んだりタバコを吸ったりした。生酒を水で薄め、セルゲイさんが新聞紙でタバコを巻いてくれる。そうすると、会話がはずんだ。「君たちは一体ここで何をしてるんだ?」とセルゲイさんが聞いた。「君たちがこの戦争に来た目的は何なんだ?」と。するとロシア兵たちは、「戦争ではなく、勝利の祝いを期待して来たんだ。」と、落胆した様子で答えた。兵士のうちの1人は、「キエフで勝利の行進をするために来たんだ。」と言った。

兵士たちの士気の低さ、冷笑と不信感は、ある意味で当然ともいえる。プーチンの有名なプロパガンダ組織は熱狂を煽ることよりも、疑念と不確実性を広めることに常に重点を置いている。「真実」の多くのバージョンを増殖させ、人々は迷いを感じ、その暗闇の中で彼らを導くために権威主義的指導者を頼る。国内政治の文脈では、こうした戦術は理にかなっている。何が本当に起こっているのかわからず、人々を受動的にさせることができるからだ。しかし、戦争に必要とされる狂信的支持の方向へ国を動かそうとすることには限界がある。

私は、プーチンが大統領に就任した2000年から2008年までロシアに滞在し、テレビプロデューサーやドキュメンタリー・ディレクターとして働いていた。当時、プーチンのスピンドクター(政治家のメディア担当アドバイザー)の1人が私に言ったように、クレムリンは常に人々を動機づけることに問題を抱えていた。政府主催のデモが必要なときは、公務員がバスで駆けつけ、エキストラに報酬を支払わざるを得なかった。注目すべきは、検閲が横行しているにもかかわらず、戦争に抗議したために何千人もが投獄されたことである。クレムリンの主張によると国内では侵攻が支持されているはずなのに、ロシア国内の都市では政府の行動を支持する大規模なデモが行われていない。

自国が米国の脅威にさらされている、ロシアは帝国になるべきだ、といった陰謀論を信じる多くのロシア人にとっても、クレムリンがそうした野心を追求するのに十分な能力があるかどうかという問題はある。戦争が長引けば長引くほど、クレムリンは何をlしているのかわかっているのだろうかという疑問が表面化する。ホルボノスさん一家と一緒に暮らした隊長のようなロシア人たちは、現実に直面したとき、この国に何ができるかを疑い始めるだろう。

ロシア人がクレムリンが語ることに完全には納得していないことを示す証拠もいくつかある。最近ロシアのインターネット検索で上位を占めたのは、戦況が上手くいかないことの責任を取らされて、一時期職務を離れていたセルゲイ・ショイグ国防相の所在に関するものだった。また、ロシア軍がキエフ郊外のブチャから撤退した際に行った残虐行為に関する検索も上位を占めた。独立研究機関であるPublic Sociology Laboratory(公立社会学研究所)の研究者たちは、ロシア人に134回の詳細なインタビューを行った。その結果、自国が敵に囲まれていて、ウクライナ戦争はNATOのせいだという根本的な考えを持つ人たちでさえ、モスクワが提供する明白な証拠を疑っていることがわかった。この調査を行った研究者の一人、ナタリア・サヴァリエヴァは、「支持と反対の間でバランスをとっている人たちが多い。彼らは侵攻の理由を理解していない。その代わりに他人から聞いた意見を繰り返し言う。侵攻に関わった全ての人々による「情報戦」と、双方からの「プロパガンダ」に直面し、混乱している」と結構づけた。

独裁国家での世論調査は、最盛期であっても怪しいビジネスである。戦争という言葉を使うだけでも15年の懲役刑になる可能性があるのに、人々にどれだけ正直になることを期待するだろうか?しかし、ホルボノスさん一家の家に滞在した兵士たちだけでなく、一般のロシア人の士気も低いことを示す証拠がある。侵攻開始直後、私が入手した少数の学者の間で行われた調査によると、全国を対象にした世論調査では、プーチンの「特別軍事作戦」を支持する人が半数近くいたが、彼らの感情は希望と誇りといった浅い感情であった。これに対して、戦争に反対した約5分の1の人々は、恥、罪悪感、怒り、憤りなど、もっと深い感情を抱いていた。約4分の1の人々は、「特に強い意見はない」、「条件付きで支持する」としながらも、「悲しい」と答えている。プーチンのプロパガンダ戦略は、案外脆弱であるようだ。

数週間が経つにつれ、ホルボノスさん一家は、ロシア兵たちがどれだけ不必要な損害を与えてきたかを理解し始めているのがわかるようになった。

30年がかりで建てた自宅は全壊し、ホルボノスさん一家の書庫は2日間燃えて瓦礫と化した。イリーナさんは耐え切れず、地下室の暗がりの中で、兵士に向かって泣きながら叫んだ。「私たちは何もかも満たされていて幸せだったのよ。 一体ここで何をしているのよ!」ロシア兵は暗闇の中で、ただ黙って座っているだけだった。

ある朝、彼女は兵士たちを連れて、お茶の材料となる野草を摘みに行った。ホルボノスさん一家に残されたわずかな生活の場を歩きながら、兵士たちは自分たちがもたらした破壊を詫びた。「いつの日か、客としてもう一度ここを訪れることができたら、もっときちんとした形でお詫びをするのだが…」と、ある兵士が言った。セルゲイさんは怒った。「お前たちは私を殺し、私の家を壊すために、ここに来たのに、友だちになれというのか?私たちは敵になるしかないんだ。ロシア兵たちは再び謝罪し、やがて全員が「戦争は無意味だ」と言い始めた。「戦争」とまで言い始めたのだった。

ホルボノスさん一家は、ロシア兵たちの動機についても珍しい知見を得た。私がセルゲイさんに「ロシア兵たちを戦争へと駆り立てたものは何だと思いますか?」と聞くと、彼はきっぱりと言った。ロシア兵を戦争へ駆り立てたのは、国への誇りでもなく、膨れ上がった熱意でもなく、金だと。

ロシア兵たちは皆、口を揃えて言った。住宅ローンやローン、医療費などの借金があり、軍人の給料が必要なのだと。しかし、それでも足りない。彼らの仕事は戦車の修理だが、戦車を分解するのもお手の物だ。砲撃の合間を縫って、ダメージを受けたり壊されたりしたロシア軍の車両を見つけ、金の配線が入った板を溶かし込んでいく。1枚あたり1万5千ルーブル(約200ドル)を手にすることができた。

ロシア兵の中には、彼らより創造性が劣っている者もいた。ロシア軍が村を去る日、多くの兵士が持ち去ることが可能なものは全て持ち去った。戦車にはマットレスやスーツケースが積まれ、装甲車にはベッドシーツ、おもちゃ、洗濯機が詰め込まれた。 (タタール兵が別れを告げに来た時、彼はセルゲイさんに「もうすぐ引退する」と言い、ホルボノスさん一家に年金の一部を送る約束をした。)

表面的には、ロシアの高官たちは、プーチンの新しいモデルである見事な孤立を称え、国民は制裁を気にしていない、他の国は必要ない、ロシアは独自の文明であると主張するかもしれない。しかし、ロシア人の行動を見るとそのようには考えていないことがわかる。スウェーデンの家具チェーン店イケア(IKEA)が国内での店舗を閉鎖する前にイケア(IKEA)の商品を買い占めようと躍起になったり、InstagramやNetflixを利用するために仮想プライベートネットワークやミラーサイトが広く利用されていることを考えてみると、ロシア人たちはそのような考えではないことがわかるだろう。

経済学者たちは、人々が望んでいると言っているもの、つまり「表明選好」と、行動からわかる人々が本当に望んでいるもの、つまり「顕示選好」とを区別している。ロシア人は西洋を必要としないと主張するかもしれないが、結局のところ、ウクライナでロシア兵が熱心に物色していた商品の多くは西洋製であったのだ。

ヴォロディミル・ゼレンスキー大統領ほど、ロシアの聴衆を惹きつける方法を考えている人はほとんどいないだろう。彼は、観客との共感、共通点を見いだすことを大切にしている。俳優として、スタンダップ・コメディアンとして、そしてスケッチショーの風刺作家として、彼はずっとそうしてきたからである。私は、『The Atlantic』の取材で、ジェフリー・ゴールドバーグやアン・アップルバウムと共に彼に会ったが、私がキエフ生まれであることを告げると、彼は目をそらすことなく私に話しかけてきた。というのは、彼は私との共通点をすでに認識していたからである。これは、個人に対しても国に対しても、あらゆるレベルにおいて、彼のコミュニケーション戦略において重要なことなのである。彼は他国の議会で演説するたびに、彼と彼のチームはその国の歴史を調べ、ウクライナが今経験していることとその国の共通点を探しているのだという。イギリスならロンドン大空襲、アメリカなら9・11というふうに。

彼は、侵攻を始めた当初から、ロシア人に直接語りかけ、彼らの中にも良い人がいることを知っていると言ってきた。確かに、ウクライナを本当の国だと思っていないロシア人は昔からいたが、ウクライナを本当の国だと思っているロシア人もたくさんいて、ウクライナを訪れることを楽しんでいた、と彼はインタビューの中で話してくれた。彼は話を続けた。困難なのは、この後者のグループがもう彼の呼びかけには応じてくれないことである、と。亡命したロシアの民主主義者たちの小さな団体の外側には、彼の訴えも他のウクライナ人たちの訴えも全く届かないようだ。

世論調査は、問題を孕んでいるが、ロシアでは侵攻への圧倒的な支持を集めていることを示している。ウクライナ人がロシアにいる親族に戦争のことを伝えるために電話をかけたという話によると、電話をかけたウクライナ人たちは意気消沈したと言う。というのは、電話を受けた彼らの大部分が自分の親族が提供した証拠を拒否しているように思えるからである。「ロシアは情報バンカー(information bunker)の中にいる」とゼレンスキー大統領は言う。それは技術的なものというよりは心理的なものだと。

ゼレンスキー大統領は私たちに次のように説明をしてくれた。ロシア人は、罪を認めることを恐れている。それをどう克服するか。彼はそのために必要な3つのステップについて説明してくれた。情報環境を変えること、政治的エリートが侵略の責任を認めること、そして最後に一般市民が自ら責任を負うことの3つのステップが必要だという。

責任逃れをすることに、クレムリンは非常に執着している。プーチンは最近、ウクライナで「特別軍事作戦」を開始する以外に選択肢はなかったと述べた。それを変えるのは、文化、メディア、教育、そして裁判所の役割であろう。しかし、そのようなプロセスには時間がかかる。第二次世界大戦末期、ほとんどのドイツ人は自分たちを加害者ではなく、ナチスの指導者や連合軍の爆撃の被害者として見ていた。ホロコーストの恐怖の全貌を明らかにしたニュルンベルクでの戦争犯罪裁判と、その後数十年にわたる文化的、教育的介入だけが、この状況を変えたのである。

ホルボノスさん夫妻の地下室の状況は特異なものであった。ロシア人は、現実や被害者と直接向き合うことはほとんどない。しかし、ホルボノスさん夫妻の経験は、ロシア人と関わり、プーチンの戦争の終結を早めるのに可能な戦略を示しているのである。直感に反して、戦争は必ずしも注目されるべきテーマではない。住宅ローン、医療、学校、子供たちの将来、そして広い世界の一員でありたいという願いなど、ロシア人の生活に影響を与え、彼らの行動の基準を定める問題こそが、本当に重要なことなのだ。

プーチン体制を機能させるために、プーチンは医者、兵士、学者、警察官など、何百万人もの人々に意欲的に協力してくれることを期待している。しかし、そのような意欲は、プーチン体制から吸い取られてしまっているのだ。プーチンが純粋に恐怖による支配に必要な抑圧的なメカニズムを持っているかどうかは不明だ。刑務所はすでに満員である。ロシアの終盤戦には、革命はおろか、政権交代ほど劇的なものは必要ない。必要なのは、政府がもはや有能ではなく、自分たちの利益のために行動していないことがわかるので、ロシア人がプーチンを支持するのをやめることだけである。

1980年代半ばにソビエト連邦で同じようなことが起こった。人々が見切りをつけると体制が崩壊し、エリートたちが軌道修正することになった。当時は、アフガニスタンでの無意味な戦争が人々を失望させた。今日、ウクライナはそれに似た役割を果たすかもしれない)。

ロシアの独立系情報源、西側諸国、あるいはウクライナからの民主化推進メディアや報道は、このプロセスを早めることができる。ロシアでは、ウェブサイトや一部のソーシャル・メディア・プラットフォームが禁止されているが、ロシア国民と関わるための技術的な通信手段としては、ラジオ、テレグラム・チャンネル、衛星テレビ、安全なメッセージング・グループ、ミラーサイト、VPN(仮想プライベートネットワーク)などが利用可能である。

ロシアの国営メディアは現在、四六時中政治的プロパガンダを発信しているが、これは常に破滅的な配信コンテンツの決定方法である。ロシア人はすぐに代替のエンターテイメントを探すだろう。そのような需要により、従来とは異なる情報源を支援する機会が増えるのである。

ロシアの独立系メディア(現在は大部分が亡命している)を支援することは極めて重要である。過去には、こうしたメディアや組織は、すでに民主主義を支持する聴衆に訴えるのが普通だった。こうしたメディアや他のメディアに、自由主義のネットワーク(liberal bubble)の外側にいる独自の優先順位を持つグループと関わるように促す必要がある。

考慮しなければならないのは、議題や聴衆だけではない。形式も考慮しないといけない。。トロールファーム(偽情報を大量に拡散させる拠点)、陰謀論を展開する国営メディア、そして彼らを批判する勇気のある人物を軽蔑し侮辱する虐待的な高官などを使いクレムリンがどのように対外情報戦を展開しているかは誰もが知っている。民主党政権が一般のロシア人に働きかけるには、まったく異なる方法をとらなければならない。アーノルド・シュワルツェネッガー(最近公開されたロシアのファンへ訴える動画は数百万回も再生された)のようなロシアに多くのファンを持つ欧米の著名人が、一般ロシア人を巻き込んだオンライン対話集会(online town halls)で、異なるロシアを思い描くことを考えてみてほしい。ロシア人が戦線で起こっていることの詳細を尋ね、証拠に基づいた答えを受け取ることができる応答の早いメディアを考えてみてほしい。医師が迫り来るロシアの健康危機に一般の人々がどのように対処できるかを議論するオンライン公開討論会(online forum)や、心理学者がロシア人が経験している心理的ストレスについて掘り下げて研究するYouTubeチャンネルを考えてみてほしい。

ルカシフカの話に戻ると、イリーナ・ホルボノスさんは、奇妙なことに、自分が幸運だと感じることがあると話してくれた。彼女の村は、プーチン軍がキエフとチェルニヒフから撤退する際に行った最悪の残虐行為から免れていたのだ。そう、彼女の家は瓦礫と化し、彼女とセルゲイさんが生涯をかけて築き上げたものはすべて失われてしまったが、もっと悪い状況になることもありえたからである。

車でキエフに戻りながら、彼女の話と、その数日前にゼレンスキー大統領が話してくれた話を思い返した。イリーナさんは、ただ生き延びただけだと思っていたようだが、実は彼女や彼女の家族はそれ以上のことをやっていたのだ。ゼレンスキー大統領は共感への果てしない探求を通して、そしてホルボノスさん夫妻は敵であるロシア人との驚くべき対話を通して、この戦争が実際にどのように終わりうるかということを私たちに示してくれていたのである。

翻訳:虎の巻