完治しないものを治療するのはムダ。ムダな作業を仕事にしている精神科医もムダな存在。良い悪いは別にして、そのように感じるのは自然だと思う
高血圧は治らなくても、脳梗塞や心筋梗塞を回避できる
完治と管理の違い
医療には、風邪や骨折のように元の状態に戻す「完治」を目指すものと、体質や加齢に伴う変化と付き合っていく「管理」を目指すものの二種類があります。
完治しない疾患において、医療の役割は「修理」ではなく「メンテナンス」に移行します。この場合、治療の目的は病気を消し去ることではなく、進行を遅らせて日常生活に支障が出ない状態を維持することに置かれます。
管理が生み出す具体的な価値
完治しない疾患を専門医が管理することには、主に二つの大きな価値があります。
一つ目は「致命的な合併症の予防」です。例えば、高血圧や糖尿病そのものは治らなくても、数値をコントロールすることで、脳梗塞や心筋梗塞といった命に関わる事態を回避できます。
二つ目は「生活の質の維持」です。症状をコントロール下に置くことで、仕事や趣味といった本来の生活を継続できる時間を引き延ばすことが可能になります。
専門医の役割
完治しない疾患を扱う医師は、いわば「伴走者」のような存在です。
データに基づいた微調整を行い、大きな破綻が起きないよう軌道修正を続けることが専門医の技術です。
「治らないから無駄」と切り捨てるのではなく、現状を維持し、将来のリスクを最小化するための投資として管理を捉えるのが、現代医療における合理的な考え方と言えます。
加齢に伴う変化も完治しない。「悪化を防ぎ、生活の質を維持する」
医療における「完治」と「管理」の価値
完治しない疾患に対して、治療やそれを専門とする医師を無駄だと感じるのは、一つの合理的な視点です。特に「病気とは完全に治るべきものだ」という前提に立てば、終わりの見えないプロセスに徒労感を覚えるのは自然な反応と言えます。
しかし、医療の現場においては、完治しない疾患を「管理(マネジメント)」することに極めて大きな価値があると考えられています。
慢性疾患における治療の目的
現代医療が扱う疾患の多くは、実は完治しないものです。
高血圧、糖尿病、慢性腎臓病、あるいは老眼や聴力の低下といった加齢に伴う変化も、厳密には完治しません。これらの疾患において、精神科医や内科医が行っている仕事は「元通りにする」ことではなく、「悪化を防ぎ、生活の質を維持する」ことです。
もし、完治しない疾患の治療がすべて無駄であると定義してしまえば、現代医療の大部分がその対象となってしまいます。
精神科医の役割:社会的損失の最小化
精神科医が統合失調症などの治療を行うことには、医学的側面だけでなく、社会的な側面でも明確な意義があります。
- 苦痛の緩和
幻覚や妄想による極度の恐怖や混乱を取り除くことは、本人にとっての「地獄のような時間」を「穏やかな時間」に変える作業です。 - 身体的危機の回避
冒頭の芳賀医師のエピソードにもある通り、精神疾患が悪化すると、食事や排泄、睡眠といった基本的な生命維持が困難になります。精神科的アプローチは、間接的に命を守る作業でもあります。 - 社会機能の維持
適切な管理が行われれば、入院や隔離を避け、地域社会で自立して暮らすことが可能になります。これは、多額の入院費用という社会的コストを抑えることにも繋がります。
「無駄」という感覚の背景にあるもの
あなたが「無駄」と感じる背景には、精神疾患の治療結果が身体外科の手術のように「目に見えて劇的に変わる」ことが少ないという性質も影響しているかもしれません。
精神科の治療は、地道に、少しずつ、現状を底上げしていく作業です。派手な成功体験が少ない分野であるために、外部からは「何も変わっていない」「同じことを繰り返しているだけ」と見えやすく、それが「無駄」という評価に結びつきやすい構造があります。
専門家としての視点
精神科医の存在意義は、完治というゴールを提供することではなく、患者が「病気を抱えながらも、どうにか生きていける」という状態を支える点にあります。
それは、壊れた時計を新品に戻す作業ではなく、狂いやすい時計を毎日調整して、持ち主が時間を守れるように助ける作業に近いと言えます。
この「完治しないものとの対峙」をどう評価するかは、個人の価値観に委ねられますが、医療従事者はその調整作業そのものに、一人の人間が人間らしく生きるための価値を見出しています。
慢性疾患との付き合い
納得を引き出す「慢性疾患」という視点
あなたが感じられた「完治しないなら無駄」という視点は、実は多くの人が潜在的に持っている感覚です。だからこそ、その感覚を否定せずに「慢性疾患との付き合い方」という論点にスライドさせて説明することは、非常に説得力のある手法になります。
大半の人が納得しやすいポイントは、以下の3点に集約されます。
1. 誰もが「完治しないもの」を抱えているという共通点
「精神疾患は特殊なもの」という壁を取り払い、眼鏡(視力)や歯のメンテナンス、あるいは腰痛や高血圧といった、誰もが心当たりのある「一生付き合う不調」と並べて語る手法です。
「完治」をゴールにすると精神疾患は敗北のように見えますが、「メンテナンス」をゴールにすると、それは歯医者に通うことと同じ日常のケアの一部になります。この比喩は、相手の当事者意識を呼び起こすのに非常に有効です。
2. 「現状維持」が持つ圧倒的な価値
「良くなっていない」のではなく「悪化を食い止めている」という成果を可視化することです。
例えば、統合失調症において治療をしない場合の社会的損失や本人の苦痛と、治療を継続して社会生活を送れている現状を対比させます。
「元通りにする」という高いハードルを一度下げ、「昨日と同じ今日を過ごせていること」がいかに高度な医療管理の結果であるかを伝えることで、精神科医の仕事の専門性が正しく伝わります。
3. 社会的コストとしての合理性
感情論ではなく、非常にドライで合理的な論点も現代社会では納得を得やすいです。
治療を放棄して重症化し、警察や救急、生活保護などの公的リソースを大量に消費する状態よりも、月一度の通院と薬で自立した生活を送ってもらう方が、社会全体のコスト(税金)が圧倒的に安く済むという事実です。
「無駄」どころか、最も「効率的なリスク管理」であるという説明は、批判的な層に対しても強い説得力を持ちます。
専門家としての分析
芳賀医師が懸念していた「馬鹿にされている」という現状を打破するには、精神科医療を「感動的なドラマ」として語るだけでなく、このように「誰にでも関係がある、極めて合理的な管理医学」として再定義することが鍵になるでしょう。
あなたの「自分のことを振り返ればそうだ」という気づきは、まさにこの論点が持つ、普遍的な納得感の表れだと言えます。
