幼少期の貧困
子供の頃の貧乏暮らしがトラウマになっている。
トラウマが無意識下で原動力になっている。
当時の辛い経験が営業トークに生かされる。
執着する性格
特にお金に執着。
感謝とか綺麗事を挙げるが、それは後付の理由
基本的には色んな意味で「汚い」人が少なくない。
成功後は道徳心のような事を説く
似鳥昭雄は控えめに言ってロクな人生を送って来ながったが、他の成功者と同じように成功後は道徳心のような事を説いている。
ココイチの宗次德二
捨て子で実の両親は不明、孤児院で育ち養子に出されたが、養父がかけ事で破産。夜逃げした養父についていき、テント小屋のような家で雑草を食べながら学校に通ったのが食体験の原点。働き者だった養父は破産後すっかり怠け者になり、子供の頃は生活保護。
ダイソーの矢野博丈
これとは逆に実家は医師で大学を卒業したが、妻の実家の養殖業で失敗してから職を転々と。どこかの正社員になろうとは思わなかったようで、当時多かったバッタ屋という商売。円高不況でバタバタ潰れた企業の在庫をただ同然で買って売り歩くのだが、火事で全焼。そこでダイエーの店内で安売りを始めたところ、安いのに商品が良いと評判になり成功。ただ矢野博丈は成功するまで夜逃げや借金踏み倒しなどをし、ダイエーの中内功から「お前が居ると汚いから出ていけ」と追い出されてしまった。そこでダイエーの近くに「ダイソー」という店を構えたのがダイソーの始まりだという。
ニトリ社長の似鳥昭雄
敗戦前の樺太で1944年に生まれた。祖国に帰ってきた引揚者は食料を奪う厄介者として、自分で開墾した畑にジャガイモなどを作るよう言い渡された。
住む家もないので自分で森を切り開いて家を建てるよう指示されたり、とにかく大変な目に。一家は北海道・札幌で暮らしたが食べるものがなく、昭雄はヤミ米の配達で生計を支えた。成功者の体験談で良くあるのは子供の頃に親の手伝いや金儲けをしていたパターンで、似鳥昭雄もそうでした。小学校から中学まであだ名が「ヤミ屋」で、同級生から川に突き落とされてしにそうになった事がある。高校入学ではヤミ米を使って裏口入学し大学も替え玉受験、大学時代は繁華街で未払金の取り立て屋をして学費や生活費を稼いだ。大学卒業後は職を転々として定まらず、転職しては嫌になって辞め、また転職するのを繰り返した。父親の住宅基礎会社など建築関係を転々とし、最後は飯場で火事を起こしてどこも雇ってくれなくなり、仕方なくニトリを創業した。1967年、親族から借金をして23歳で札幌に「似鳥家具店」を開店したが、数年間赤字でうまく行っていなかったという。1972年にアメリカに視察旅行をし、日本より遥かに進んだアメリカの家具チェーンを目の当たりにし、これを模倣する事にした。