アブサヤフのアメール・カタヤマ・ママイト(Amer Katayama Mamaito)広島県出身で1947年生まれの伊藤敏雄





2010年07月19日

フィリピン警察、武装集団と衝突 邦人誘拐に関与か
フィリピン南部スルー(Sulu)州パングタラン(Pangutaran)島で16日から日本人男性が行方不明になっている事件で、フィリピン警察は19日、日本人男性の誘拐に関与した可能性のある強盗集団と衝突し、同集団のリーダーを殺害したと発表した。
警察は、パングタラン島から200キロ北東にある港湾都市ザンボアンガ(Zamboanga)沖の島で、武装集団のPingli-Akilanと衝突。声明で「政府治安部隊は誘拐犯を追跡中に、悪名高い強盗集団と衝突し、その集団のリーダーとみられる男を殺害した」と発表した。殺害されたのは、Pingli-AkilanリーダーのJun Akilan容疑者だという。
Pingli-Akilanはフィリピン南部スルー島で活動する小規模の武装集団の1つで、身代金目的の誘拐にも関与していた。警察は現在、Pingli-Akilanが日本人男性の誘拐に関与した可能性を調べている。
■日本人男性は「イトウ・トシオ」さんか
行方不明の日本人男性は当初、アメール・カタヤマ・ママイト(Amer Katayama Mamaito)さんとの名前で報じられていたが、この名前が現地での呼び名だったことが判明。警察は男性の自宅で見つかった書類から、実名がイトウ・トシオ(Toshio Ito)であると発表した。また、書類によれば、イトウさんは広島県出身で1947年生まれ。
一方、イトウさんがフィリピンに入国した年月は判明しておらず、政情不安定な辺境地域に暮らしていた理由もわかっていない。イトウさんが2004年から暮らしていたスルー州は、旅行者が立ち寄らないよう忠告されている地域だった。
イトウさんが財宝探しをするトレジャーハンターで、パングタラン島で小さな薬局を開業していたとの報道もあり、警察は事実関係を調査している。
日本の外務省は、在マニラ(Manila)日本大使館が報道の事実関係を現在確認中で、確定した情報はまだ得ていないと述べた。






12016/11/14(月) 13:32:13.98 ID:???

比イスラム過激派アブサヤフに「69歳日本人」の衝撃
家族とは10年以上会っていない(右がI氏)

公安関係者が「誌面に絶対掲載しないこと」を条件に、本誌記者に一枚の写真を提示した。
そこに写っていたのは一人の日本人男性だった。彼は銃弾や手榴弾を装備した戦闘服を身にまとい、自動小銃カラシニコフ(AK‐47)を構えている。白髪の交じった長いあご髭をたくわえ、日焼けした精悍な顔の男は、深いシワの刻まれた目尻を下げて、薄笑いを浮かべている──。公安関係者はこう続けた。
「今年撮られたと思われるこの写真を入手したのは7月頃だ。“フィリピンのIS(イスラム国)”と呼ばれるアブサヤフのメンバーの集合写真を拡大したもので、この日本人も組織の一員だと思われる。驚くのは、彼が2010年にフィリピンで拉致されたI氏である可能性が非常に高いということ。
これまで安否不明だったI氏が、テロ組織の一員になっていたことを示唆する写真だと考えている」
I氏の拉致事件は、当時日本でも報じられていた。報道によれば、広島県出身のI氏は、2010年7月にフィリピン南部スールー州パングタラン島でイスラム過激派組織とみられる約10人の武装集団に拉致された。犯行声明や身代金要求などはなく、犯人グループの狙いは不明のままで、その後の消息はわからなくなっていた──とされる。
イスラム過激派組織に拉致された日本人は、これまで悲惨な末路を辿っている。2014年、元ミリタリーショップ経営者の湯川遥菜氏、ジャーナリストの後藤健二氏は、共にシリアでISに拘束された。ISは日本政府に対し2億ドルの身代金を要求。しかし解放交渉は成らず、2人は首を斬られて殺された。
しかし、同じくイスラム過激派に拉致されたはずのI氏は、湯川氏や後藤氏とは状況がまったく異なる。I氏は拉致事件から約2週間後、拉致現場から約40キロ離れたスールー州ホロ島で姿を目撃されている。ホロ島はアブサヤフの活動拠点だ。前出の公安関係者はこう語る。
「I氏は拉致された時、イスラム名も持っていたといわれる。イスラム教に改宗し、現在はアブサヤフと同行できる立場にあるのかもしれない。I氏が戦闘員となり外国人の拉致、誘拐に関与している可能性はないか注視している」
かつて日本に妻子がいたI氏だが、マニラで知り合ったフィリピン人ホステスのJさんと1988年に結婚、2人の息子をもうけた。中部ビサヤ地方でレンタルビデオ店を経営していたという。が、1990年代後半にI氏はJさんの元を去り、ミンダナオ島のディポログに引越し鍼灸院を開業した。
戦闘員に昇格した
だが2004年頃、ミンダナオ島のアパートの改築を機にI氏は消息を絶ち、その後の足取りははっきりしない。Jさんや交流のあった現地邦人とも疎遠になった。知人たちの間で彼の名前が久しぶりに上がったのが、2010年7月の拉致事件だった。報道こそされたが、日本政府が救出しようとした形跡は窺えない。
拉致直後、フィリピンに渡る前に日本で結婚していた元妻を、所轄の警察官が訪ねている。元妻が言う。
「Iの近影写真を見せられて、“本人に間違いないか”と聞かれました。すごく痩せていたけど間違いなくあの人だったから、“そうです”と答えました。日本で身寄りがない人だから、何かあれば私に連絡が入るとは思います。結局、事情を聞かれたのはその時の一度だけで、その後は何の問い合わせもありません」
当初、公安当局はI氏の消息を掴むため、イスラム過激派に接触を試みていた。
「I氏を拉致したのはアブサヤフだと判明し、すぐに情報を探った。するとI氏がイスラム教に改宗し、複数の過激派組織と繋がりがあったとの情報が入ってきた。その後も、I氏は“アブサヤフのコックになった”“戦闘員に昇格した”などの情報も寄せられ、“彼は拉致被害者なのか?”という声もあがった」(前出・公安関係者)
そんな中、公安はI氏がアブサヤフのメンバーであることを示唆するような写真を入手したのである。I氏の現状について、スールー州警察の本部長はこう話す。
「I氏はアブサヤフのメンバーとして、医療関係の活動に従事している可能性がある。なぜ彼がそのような状況なのか、調査にはもう少し時間が必要だ」
去る10月、安倍首相は訪日したドゥテルテ大統領と会談し、フィリピンでのテロ掃討作戦を支持したばかりだ。日本政府がI氏の消息に興味を失う間に、彼がイスラム過激派のメンバーになっていたとなれば、日本国籍を有する者がフィリピン政府を相手にした不法行為に加担している、という構図になりかねない。公安の動揺には、そうした背景も透けて見える。
それでも外務省はI氏の現状について、「2014年9月に“アブサヤフに拘束されている日本人がいる”、と海外の通信社が報じたことは把握しているが、それ以上は回答できない」(邦人テロ対策室)とするのみだった。
拉致から6年。放置され続けたI氏の消息は、日比外交の大きな懸案事項になる可能性が出てきた。
2ch

22016/11/14(月) 13:32:50.88 ID:???

※過去のスレッド
[国際] フィリピン武装集団が邦人男性誘拐、島に監禁か
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1279475866/
1ちゅら猫 ◆CHURa3Ewlc @ちゅら猫ρ ★2010/07/19(月) 02:57:46 ID:???0
★フィリピン武装集団が邦人男性誘拐、島に監禁か
フィリピン南部スルー州パングタランで16日に男性が約10人の武装集団に誘拐される事
件があり、地元警察は18日、この男性が伊藤敏雄さん(63)=広島県出身=であることを
明らかにした。パングタランの自宅からパスポートが見つかったという。
犯行声明や要求などはなく、犯人グループの実態は不明だが、政府軍や警察は伊藤さんが
近くの島で監禁されている可能性が高いとみて捜査している。
軍当局などはこれまで、男性の名前を「アメール・カタヤマ・ママイト」だとしていた。
伊藤さんがイスラム教に改宗し、名前を変えたとの情報がある。
伊藤さんは自宅で医療施設を営んでいたミンダナオ島から数年前にパングタランに移り、
地元住民には財宝探しをしているなどと話していたという。
周辺地域ではイスラム過激派アブサヤフの活動が活発だが、事件との関係は不明。 (共同)
[ 2010年07月18日 16:03 ]
http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20100718048.html