漫画BEGINには「米軍基地の上空は飛行できない。着陸できていれば墜落しなかった」と書いてありました。
JAL123便にはTRONの技術者が17人も乗っていた
日本の国産のOSとして注目されていた「TRON(トロン)」の技術者がごっそり乗っていたのが、この日航ジャンボ機(JAL123便)であった。「TRONプロジェクト」と言われるプロジェクトを手がけていた天才エンジニアの17人が乗っており、全員亡くなった。
1985年08月12日に起きた日航123便の墜落事故
2018年09月23日
有力な分析が出てきたのは、事故が起きた1985年08月12日からほぼ1年が過ぎた1986年07月、二人の航空自衛隊パイロットの『自殺』がきっかけとなった。というのは、この二人の隊員の自殺に続いて、同年09月12日14日には、さらに二人の航空自衛隊員が自殺したからだ。これがトリガーとなって、航空自衛隊員が次々と謎の自殺を遂げるようになった。
自衛隊員の自殺は、事故の翌年の1986年の1年間で90人以上
自衛隊員の自殺は、事故の翌年の1986年の1年間で90人以上という異常さ。この内訳ははっきりしないが、航空自衛隊員が大半を占めていることは誰にでも想像がつく。
航空自衛隊の戦闘機によるミサイルの誤射が原因?
この異常な自衛隊員の大量自殺は、航空自衛隊の戦闘機によるミサイルの誤射が原因だとする説を主流にした。
確かに、航空自衛隊のファントム機2機が日航123便を追尾していた
確かに、航空自衛隊のファントム機2機が日航123便を追尾していた。墜落するまで、自衛隊機が123便を追っていたのだ。
事故当時、123便の近くにはオレンジ色の物体が飛んでいたことが判明
事故当時、123便の近くには謎のオレンジ色の物体が飛んでいたことが後の画像解析で判明している。
この物体は、自衛隊が使っていた敵機に見立てた無人機である可能性
この物体は、自衛隊が使っていた敵機に見立てた無人機である可能性が高いとされている。
訓練中の航空自衛隊機が、日航123便を撃墜してしまった
つまり、訓練中の航空自衛隊のファントム戦闘機が、日航123便を訓練用の敵機に見立てた無人機と勘違いして迎撃ミサイルを発射して撃墜してしまったという分析がある。
御巣鷹のふもとで慰霊式 「若い世代が引き継いで」
[2019/08/13 06:15]
- 520人が犠牲になった日航ジャンボ機の墜落事故から34年が経った12日、墜落現場に近い群馬県上野村の追悼施設で慰霊式が営まれました。
- 追悼慰霊式は「御巣鷹の尾根」の麓にある「慰霊の園」で営まれ、墜落時刻の午後6時56分に172人の遺族と日本航空の関係者らが犠牲者に黙祷(もくとう)を捧げました。それに先立ち、遺族は犠牲者の数と同じ520本のろうそく一本一本に火をともしました。父親の遺品の時計を置いたり、刻まれた大切な人の名前にそっと手を添えて、今年の夏も多くの遺族が慰霊碑に語り掛けていました。遺族の高齢化も進むなか、参列した一人は「御巣鷹の尾根を優しさと命の大切さの象徴として、若い世代が引き継いでほしい」と話していました。
日本航空123便に搭乗予定だった著名人には、以下のような方々がいます。
- 明石家さんま(お笑いタレント):事故当日、ラジオ出演の関係で123便に乗る予定だったが、番組収録が早く終わったため一便早い全日空の便に振り替え、搭乗を回避した。
- 麻実れい(女優):123便の搭乗予定だったが、仕事が早く終わったため別の便に変更し難を逃れた。
- 逸見政孝(フジテレビアナウンサー)と家族:飛行機嫌いの妻や新幹線のほうが安いとの理由で新幹線に変更し、乗らなかった。
- 稲川淳二(タレント):健康番組の収録中に体調不良となり、翌日の新幹線で移動したため搭乗をキャンセル。
- 少年隊のメンバー(錦織一清、植草克秀、東山紀之)とジャニー喜多川氏:舞台の応援のため乗る予定だったが、前倒しの用事などでキャンセル。
- 木戸克彦(阪神タイガース選手)夫人:直前にキャンセルして難を逃れた。
- 舛添要一(当時東京大学助教授):搭乗券を持っていたが乗らなかった。
- 深田恭子さん(当時2歳):東京モノレールの遅延により乗り遅れて助かった。
- 当時の笑点メンバー(桂歌丸、五代目三遊亭圓楽ほか):阿波踊り参加のため予約した徳島便が悪天候で条件付き運航となり、123便に振り替え案もあったが結局は予定通り徳島便に乗り、命を救われた(同行の広告代理店数名は123便に乗り犠牲に)。
また、坂本九さんなど搭乗し犠牲となった著名人もいます。
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