ヒャダイン 体育科教育 頼むからそっとしておいてください

『体育科教育』 2019年3月号

頼むからそっとしておいてください

僕は体育の授業が大嫌いです。体育の教師も大嫌いです。

なぜあなた達体育教師は僕達にクラスメイトの前で恥をかかせようとするのでしょう?手本のように上手に出来なくてまるで死にかけの虫のようにバタバタと手足を動かす僕をクラスメイトが笑う。笑ってくれればまだマシ、軽蔑しきった顔で僕を見るんです。

「被害妄想が強いね」そう思いましたか?いいえ。あなた達にはわからないのです。だって経験したことないから。体を上手く動かせる人間にはこの感覚は死んでもわからないでしょう。惨めな劣性の印を押される感覚。授業で恥をかかされるのです。

「他の科目でも同じこと言えるじゃないか」ですか?他科目と大きな違いはチームワークを要することでしょう、体育って。自分が圧倒的に足を引っ張ったせいで気まずい雰囲気になったバスケの授業は今でも思い出します。他科目で誰かの足を引っ張ることなんてないでしょう。たとえそこにあなた達教師がフォローに入ろうがそれはただの隣慨。「劣性だけど仲良くしてやれよ」という哀れみです。

「努力して上手になればいいだろう!」あなた達が顔を真っ赤にして言いそうですね。あのね。それなり努力しましたよ。クラスメイトにばれないように明け方駐車場で父とキャッチボールをしたり、狭い部屋で家族総出でバレーのサーブのフォーム研究したり、夏休みの公園で毎日走ったり。それでも無理でした。球は見えないし足も遅いまま。何よりクラスメイトたちが見つめる中、自分の運動神経が奇跡を起こせるわけもなく、また惨めマイレージは貯まっていきます。

「そんなん努力のうちに入らない!俺が運動部現役だったころは・・・・・・」なんて、ご自身のスパルタ経験を引き合いに出す方もいらっしゃるでしょう。ちょっと待ってください。なぜ自分がやりたいと言ったわけでもない、この歪な科目「体育」にそこまでストイックに時間と体力を使わねばならない義務があるでしょう。あなた達はスパルタ部活動を自分の意志で選択したのでしょう。一緒にしないでください。

「体育」と「スポーツ」は同義ではありません。スポーツ観戦は楽しいものです。しかし小学生が「体育」と「スポーツ」の違いをわかるでしょうか。体育で惨めな目にあうことでスポーツまで嫌いになります。他国に比べてスポーツ熱が薄いとしたら、スポーツが得意なあなた達が都合のいいように体育をカスタマイズした結果です。

この号は「運動が苦手な子どもが輝く授業をつくろう」なんて特集のようですが、それは常日頃、「運動が得意な子は輝いている」と思ってるってことですよね?上から目線の差別意識丸出しじゃないですか。それは「運動が得意な子」だったあなた達体育教師の自己肯定でもあるのでしょう。根底の差別意識がある限り何も変わりません。

最後になりますが僕から「頼むからそっとしておいてください」とお願いしたい。上手い人、やりたい人はやればいい。先天的にできない人間はそっとしておいてほしい。休んでもそっとしてくれ。どうせあなた達には我々の気持ちなんてわかりゃしないんだから、したり顔での憐憫で恥をもうかかせないでほしい。以上です。ありがとうございました。