史実とは異なる部分やフィクションが多く含まれています
主な歴史的な間違いや創作部分は次の通りです:
- オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェとアンドレ・グランディエは実在の人物ではなく、漫画のオリジナルキャラクターです。オスカルは史実の女性軍人を象徴的に表現した架空の存在であり、アンドレとの恋愛もフィクションです。
- 首飾り事件は実際にあった歴史事件ですが、『ベルサイユのばら』ではアントワネット王妃本人は無関係だったという史実と違い、物語の中で関わり方が創作されています。
- マリー・アントワネットに関しては、浪費家の悪妻というイメージは民衆の誤解や悪評の影響があり、彼女の実際の支出額は国家予算の一部に過ぎません。また、有名な「パンがなければお菓子を食べればいいのに」という発言も別人によるもので、作中ではそうした誤解も反映されています。
- フェルゼン伯爵は実在の人物でアントワネットの愛人でしたが、作品内では彼との関係がややロマンチックに美化されています。
全体として、『ベルサイユのばら』は史実をベースにしていますが、ドラマ性を高めるための創作やキャラクター設定、エピソードの省略・脚色が多く、細部の正確性には誤りや解釈の違いがあります。歴史学的な厳密さを求めるよりは、フランス革命の時代背景のエッセンスを楽しく伝える歴史劇として理解されるのが適切です。
革命の勝利、性的解放、フェミニズムで美化されている
『ベルサイユのばら』が作ったフィクションと歴史認識の危うさ
『ベルサイユのばら』と日本人の歪められた革命イメージ(全5回)
第1回:革命と宮廷の幻想
『ベルサイユのばら』は、池田理代子による1972~73年の少女漫画であり、恋愛小説のジャンルに属する作品です。多くの日本人にとっては、フランス革命やヴェルサイユ宮廷のイメージの基盤となっていますが、その内容には歴史的に著しい誤りや偏見が多く含まれていると指摘されています。主人公オスカルは架空の人物でありながら、物語はあたかも事実のように描かれ、歴史に詳しくない読者には誤解を生みやすい構成です。
漫画と映画版はいずれも、1950~60年代に流行した革命史学の固定観念を反映し、革命の勝利や性的解放、フェミニズムなど当時の思想背景を濃厚に持っています。しかし、当時の宗教的・政治的複雑性や真の歴史的事実は大幅に省略・単純化されています。例として、18世紀の宮廷生活は実は江戸将軍時代の日本情勢を西洋風に置き換えたような描写にとどまり、宗教関係の重要テーマはほぼ扱われていません。
さらに、作品が作り出した日本における革命イメージは、実際の歴史とは大きく異なる疑似歴史的側面を持ち、日本の歴史の暗く暴力的な側面がアンシャン・レジームのイメージに投影されるという興味深い文化的現象も示しています。著者の意図に関わらず、『ベルサイユのばら』は歴史認識に誤解を与えやすく、日本の社会におけるフランス革命のイメージ形成に大きな影響を与えていることが問題視されています。
簡単に言えば、『ベルサイユのばら』は華やかな恋愛ドラマとして名高い一方で、歴史的事実の歪曲や単純化が甚だしく、多くの日本人の革命や旧体制への見方に偏った影響を及ぼしている作品です。
「レディ・オスカル」の同性愛的転覆と歴史の歪曲
第2回:旧体制と女性像の真実
『ベルサイユのばら』は、18世紀後半のフランス革命前夜の激動の時代を舞台にした少女漫画であり、作者の池田理代子がフランス革命の歴史を題材にしつつ、独自のドラマとキャラクター設定を加えて描かれています。この作品は、マリー・アントワネット、ルイ16世、そして男装の麗人オスカルなどのフィクションを通じて歴史的な出来事を物語りますが、実際の歴史とは異なる虚構の要素も多いと指摘されています。
特に問題視されるのは、主人公オスカルが女性でありながら男性として育てられ、フランス王妃の近衛隊長として活躍する設定です。歴史上、女性が男性として政治や軍事の指導的立場に立つことは極めて稀であり、当時の社会・旧体制の価値観や慣習からしても実現不可能な描写です。作品内のオスカル像は同性愛的な転覆運動の影響があり、旧体制の女性像や性別役割を大きく歪めて描いているという見解が示されています。
また、当時のフランス社会では、女性は家族や王家の血統を保つ重要な存在として敬われ、必要に応じて摂政を務めることもあったものの、それはフェミニズム的な平等運動とは異なり、伝統的な社会規範に根ざしたものでした。革命期にはむしろ女性に対する憎悪や迫害も強く、女性が男性になるような社会は不幸であるという価値観が存在しました。
このように、『ベルサイユのばら』は歴史的事実とは異なるフィクションや思想的転覆が盛り込まれており、特に日本での革命イメージやジェンダー観に歪曲をもたらしているという批判がなされています。作品は1970年代の日本の社会状況に影響され、抑制のない快楽主義や同性愛的な転覆運動の幻想を反映していると論じられています。
作品自体は日本の少女漫画界で金字塔的な存在となり、多くの世代に読み継がれてきましたが、その歴史的解釈には注意が必要です。
革命の血塗られた幕開けと歴史の再考
第3回:バスティーユ襲撃の真実
ポール・ド・ラクビビエ氏による記事「虚構が作る歴史『ベルサイユのばら』と歪められた日本人の革命イメージ」第3回で、1789年07月14日のバスティーユ襲撃に関する真実の再考を論じています。記事は、『ベルサイユのばら』などの歴史描写がフランス革命の重要な出来事である7月14日を過大評価し、また王党派の兵士が激しく抵抗して多くの血が流れたとする従来の公式見解を否定しています。実際にはバスティーユの指揮官は発砲を拒否し要塞の門を開放したが、その後殺害されたとされ、7月14日は革命軍による虐殺の始まりの日だったとも述べられています。記事はこうした見解が著者の意見であり、大紀元の公式見解を必ずしも反映しないことも明記しています。
このように、1789年のバスティーユ襲撃についての一般的イメージと異なり、指揮官の対応や実際の戦闘の激しさなどに関しては研究者間で異論があること、歴史的事実の捉え方が時に文化的フィクションやプロパガンダに影響を受けていることを指摘しています。
要点まとめ:
- 1789年07月14日のバスティーユ襲撃は公式見解が実態を誇張している可能性がある。
- バスティーユの命令者は発砲を拒否し、門を開放したがその後殺害された。
- この日は革命の血塗られた幕開けとして知られている。
- 『ベルサイユのばら』をはじめとした物語は歴史を虚構化し、日本での革命イメージを歪めている。
日本式封建ドラマとしての『ベルばら』
第4回:江戸がヴェルサイユを覆う
旧日本社会、特に江戸時代の封建制度の実態が投影されていると指摘しています。例えば、作中のルイ15世が臣下を即断で死刑にする場面は、キリスト教的な法の支配が強かったフランス旧体制ではありえないとしており、日本の家長制的支配が反映された虚構だと論じています。また、貴族が農民を暴行する場面も、フランスの騎士道精神や法治主義とは相反する、日本の封建時代の権力構造を反映していると述べています。
この分析は、『ベルサイユのばら』が日本の歴史観—特に封建的な自己認識や革命イメージ—をフランス革命という歴史に重ねることで、史実とは異なる歴史の歪みをもたらしていると理解されています。
まとめると、『ベルサイユのばら』は日本独自の歴史的感覚をフランス革命史に投影したフィクション性が強い作品であり、その描写は実際のフランス旧体制とは本質的に異なるものです。日本の江戸時代的封建在り方が映し出された形であり、結果的に日本人の革命イメージや歴史認識に大きな影響を与えていることが指摘されています。
「ベルばら革命」に警鐘を鳴らす
第5回:虚像が歴史を支配する時
『ベルサイユのばら』は1970年代初頭に池田理代子氏によって描かれた少女漫画で、フランス革命直前から革命期のベルサイユを舞台にしている。物語は1770年代、ルイ15世の治世後にルイ16世が即位し、彼の妻マリー・アントワネットを中心に展開するが、財政難に陥ったフランス王政の不安定な状況と、民衆の不満が膨張しバスティーユ襲撃へと至る歴史的背景が描かれている。
ただし、本作品は「少女漫画」や「恋愛小説」というジャンルの中でフィクションとドラマが大きく入り混じっており、日本の一般的な歴史認識とは異なる傾向がある。作品は江戸時代の封建社会の影響や固定観念が反映されている部分も指摘されており、マリー・アントワネットやルイ16世に関しては愚か・軽薄という定型的イメージを強化する側面があるが、近年の歴史学ではルイ16世が複雑な状況で懸命に職務を果たした偉大な王であることや、マリー・アントワネットも公共の利益を意識していたことが明らかにされている。
漫画の虚構的イメージは日本の読者に革命の歪んだイメージを植え付けているとの批判があり、歴史的な真実の理解と娯楽作品としての創作には大きな落差があることが問題視されている。
つまり、『ベルサイユのばら』はフランス革命の歴史的事実を基にした華麗で感動的な物語である一方で、革命の複雑な現実を単純化し、王族の人物像を偏ったイメージに固定化していることが多い。歴史研究と娯楽コンテンツの違いを踏まえつつ、本作は日本国内で革命史のイメージ形成に影響を与えている重要な文化的現象であると言える。
コメント