島田紳助親分の終末
親分肌とは
「面倒見がいい」という人物評の本当に意味するところは、親分肌で顔が広く、多少強引な行動力があって怒らせると怖い、ちょっと厄介だけどいると便利な事もあるから誰も文句を言わない、というあたりだと思う。
- もんのすごく同意!うちの近所にも〇〇ジャイアンと△△スネオがいるけどまさにコメ主さんの言うとおりです。
- この件に関してはそうかもね。
- 強く同意!
- 同意!
- ジャイアンってことだよね。お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの
やっぱりヤクザとつきあっていたんだ
2011年11月29日 1 ディスコで番組打ち合わせ
紳助親分がテレビ界から姿を消してから、3カ月余りがたとうとしている。その間、怒濤のごとく「裏の顔」が報道され、親分は裁判を起こすという実力行使に打って出た。はたして親分はなぜ、こうした転落人生を歩むことになったのか。かつて漫才ブームをともに過ごした名物ディレクターが、「人間・島田紳助」の明と暗を大いに語った。
今回の引退騒動が起きた時、「あぁ、(やっぱり)ヤクザとつきあっていたんだ‥‥」と思いました。何しろ昔の吉本興業の芸人は、ヤクザ主催のイベントなどに平気で出ていましたから。「昨日、××親分の町内の盆踊り大会に余興で出た」なんて、「ひょうきん族」の楽屋などで話していましたから。そういうことが、ごく当たり前にあったんです。だから今回の一件も、しょうがないなという感じですよ。
元フジテレビのディレクター 佐藤義和
80年にスタートした「THE MANZAI」、そして、その翌年から放送された「オレたちひょうきん族」。2つの巨大ヒット番組を、フジテレビのディレクターとして手がけたのが佐藤義和氏だ(現フリープロデューサー)。空前の漫才ブームに乗った島田紳助(55)もまた、この番組で全国区の知名度を獲得し、のし上がっていった。佐藤氏が知る紳助とは、いったいどういう男だったのか。そして、芸能界引退を余儀なくされた不祥事が生まれる背景には何があったのか。
佐藤義和引退 右翼とのトラブルが原因だった
でも(引退が)右翼とのトラブルが原因だったと聞いた時、何で紳助が動いたんだろう、と不思議に思いました。そもそもテレビ番組での(右翼を茶化すような)発言がもとだということですから、元来はテレビ局が事態の収拾に動かないといけない。それを知らんぷりして、紳助にケツを拭かせたのはいけませんよ。テレビ局の怠慢であり、ある意味、紳助は気の毒だったとも言える。ところが、そのあとから不動産売買にまつわる話なんかが出てくると、「あ、これはちょっと(同情すべきこととは)違うな」とも思いましたが。
紳助で思い出すことといえば‥‥「THE MANZAI」が80年4月に始まりましたが、その数カ月前に大阪で打ち合わせをしたのが初めての顔合わせだったわけです。当時はまだ吉本が東京進出をしていない頃。だから、大阪の漫才師が東京の番組に出るというのはけっこうな騒ぎでした。しかも、その番組の担当者(佐藤氏)が大阪まで来て打ち合わせをするわけですから。
紳助は打ち合わせの席に大学ノートを持って来た。テーブルに置き、開くとそこにはバーッとネタが書いてあったんです。ずいぶん緊張してかしこまっていました。それからのつきあいですね。
六本木のディスコにもよく行きましたね。そのあとの「THE MANZAI」の打ち合わせも、東京ではディスコのVIPルームでやっていましたから。キレイな女のコのいるようなところで紳助をリラックスさせるためです。何しろ大阪の芸人が東京進出するというのは、物凄いプレッシャーがかかるわけですから。
紳助はさんまを凄く意識していた
2011年11月30日 2 さんまと張り合って女優と…
「ひょうきん族」では「ひょうきんプロレス」というコーナーがありましたが、あれは、もともと、紳助が僕に「プロレスごっこ、やりませんか」と言ってきたことがきっかけです。1回目はオール阪神・巨人VS紳助竜介でしたね。
そういえば「ひょうきん族」時代には紳助に相談を受けたこともありました。「僕、これからどうしたらいいんですかね」と。僕はこう答えました。「簡単だよ。髪型を変えればいい」。アドバイスを受け入れた紳助はその後、リーゼントをやめて、イメージが変わっていきました。
その後、85年に竜介とのコンビを解散した紳助の、ピン芸人、司会者としての活躍ぶりは周知のとおり。と同時に、不動産業、飲食店経営など、実業家としての才能も開花することになる。
彼の実業家としての顔は、僕は知りません。当時の芸人たちは、売れなくなった時のことを考えて、売れている時にためたお金で飲食店を出したりしました。紳助の実業家としての一面は、僕にとっては意外でした。そんなに儲かっているんだ、と驚きましたね。
当時はやんちゃな男でしたが、紳助が大病をして入院した時のこと。確か、84年前後あたりでした。開腹手術をしたんですが、また腹膜炎を起こして2回(腹部を)切ったんです。僕が大阪の病院までお見舞いに行ったら、病室にダウンタウンと(同期の)ハイヒールがいましたね。
で、そのあと88年に、今度は僕が胃の3分の2を取る手術をするために入院した際は、紳助が(同期の)明石家さんまと一緒に見舞いに来てくれました。手術の2、3日前でしたね。紳助は自分の腹を見せながら「おなかを切るとこんなことになるんですよ」と言うんです。そして「手術する時、チ○チ○に管を入れられるの、痛いんですよ」と(笑)。僕は紳助の話を聞いて不安になり、手術前は眠れなくなりましてね。で、実際に手術して胃を切ったら、潰瘍が5つもできていたんです。
同期のさんまといえば、紳助は彼を凄く意識しています。どっちが売れているか、自分の冠番組を何本持っているか─。
とにかく、凄い遊びましたね、かつては。さんまが女優と結婚したら、紳助はその悔しさで女優とつきあったりと、張り合っていました。いろんな意味で、ライバル関係でもあるんですね。
今、紳助に助言をするとしたら、「女には気をつけろ」ですよ(笑)。手を出した女は(何か事が起きると)足を引っ張りますからね。女とのつきあい方をもっとうまくしていれば、紳助のいろんな女性関係の情報がマスコミに出ることがないものを‥‥。
繊細で小心で策略家
2011年12月1日 3 繊細で小心な策略家の失敗
コンビ解散後、快進撃を続ける紳助は89年4月、新たな境地へと進出した。政治や社会事件などを扱う硬派の報道番組「サンデープロジェクト」(テレビ朝日系)のキャスターに抜擢されたのである。求められた役割は、視聴者の代弁者。当初は「お笑いの人間にできるわけがない」と罵られたこともあったが、その予想に反して、長期間在任。04年3月に15年の節目を迎えるにあたり、「華があるうちに」と、紳助みずから降板を申し出たのだった。
紳助が「サンデープロジェクト」に出演している間は実質的に、バラエティ番組に対してはブランクができました。そもそもこの仕事は、さんまとの差別化を図る意味もあり、木村政雄さん(吉本興業元常務)が「やってみないか」と紳助に持ちかけたものだったわけです。
バラエティ番組に出ない間、彼の性格からすると、全ての番組をチェックしていたと思いますよ。ノートにビッシリと内容を全部書いて分析するような人間なんです。繊細で小心で策略家ですから。
大崎洋社長の出世 紳助の居場所がなくなった
その繊細な策略も、闇社会との交際をきっかけに崩壊。引退という負債を背負わされた。
(吉本の)大崎洋社長はダウンタウンの育ての親として、彼らとともに出世した。それで吉本では紳助の居場所がなくなったのかな、と思いますね。今回の騒動も、ヤクザとのつきあいであれば謝って済むことなのに、なぜ謹慎ではなく引退だったのか。吉本の方針というか、切られたんですよ。大崎社長の路線から外れたんです。原因はダウンタウンの親分ヅラをしていたからかな、と思いますが。
紳助を裸の王様にしてしまった
もう一つ。(東京03の恫喝事件は)先輩芸人が後輩を正すのは当たり前だけど、あれはちょっとやりすぎだったと思います。女性マネジャー暴行も、あそこまでやっちゃいけない。だけど(東京03事件は)昔だったら、周囲が止めていました。局スタッフ、芸人仲間、会社(吉本)の人間とか。でも止める人がいないということは、紳助は孤立しているんだなと思いましたね。裸の王様だったわけです。
そもそも「サンデープロジェクト」を降板してバラエティの世界に戻った時には、各局の担当プロデューサーは、すでに大スターになった紳助の姿しか知らない世代。フジテレビのクイズ番組のプロデューサーなんか、全然若いですから、大物然とした紳助に「それ、違いますよ」とは言えない。結局、紳助を裸の王様にしてしまったのは周囲が悪いんですよ。吉本も(今回の引退騒動で)トカゲの尻尾切りみたいで、そうしてみると、これは紳助だけの問題ではないんだろうなと思いますね。
結果として1人の貴重な才能がいなくなったことは寂しいけど、新陳代謝、世代交代が早まった。引退後、「行列のできる法律相談所」(日本テレビ系)では(司会者の)ネームバリューが紳助ほどでなくとも番組は続くんだ、ということにテレビ局が気づいた。高いギャラを払わなくても新しい人材を使ってできる、と。だから各局とも、もう紳助なんていなかったことになっていますよね。「そんな人、いたっけ?」みたいな。
島田紳助「白石美帆、見た目は純粋だけど腹黒い女。性格に裏」
2011年12月2日 4 紳助を絶対に許さない女たちの「絶縁状」
電撃の引退会見から3カ月、島田紳助(55)の行方は闇に消えたままだ。ただし、世の関心が沈静化しようとも「永遠に紳助を許さない!」と胸に秘める女たちは存在する。
「出るたび賞金を持って帰って、おかしいなあ」
その瞬間、白石美帆(33)の表情がこわばった。TBSの名物特番「オールスター感謝祭」で、司会の紳助から皮肉を言われたのは03年秋のこと。00年春に優勝を飾っただけでなく、常に上位の成績をキープしていた。とはいえ、何やら「ウラ」があるかのような紳助の口ぶり。さらに、
「見た目は純粋だけど純粋でない」
「腹黒い女や」
「性格に裏がある」
画面上は苦笑いするばかりだったが、この回を最後に白石は同番組には出演していない。デビューが「スーパーサッカー」で、以降も「ワンダフル」や「Pooh!」など、「TBS専属」のような立ち位置だったのに。
「白石宛てのファンレターがTBSアナウンス部に届いたこともあったという笑い話も。世話になった局の改編期特番に出なくなったのだから、よほど紳助のイジリが腹に据えかねたんでしょう」(TBS関係者)
藤原紀香にセクハラ
あの藤原紀香(40)は、デビュー直後の93年から4年にわたり、「クイズ!紳助くん」(朝日放送)のアシスタントを務めた。当初こそ「中古車センターにフェラーリが来た!」と評して歓迎した紳助だったが、番組が始まってしまえば「超B級」の扱いだったという。
「もはや紀香の名前やのうて『チチ!』って呼んでたで(笑)。番組のエンディングには罰ゲームがお約束で、特に『おっぱいダーツ』は強烈やった。紀香を椅子に座らせて縄でグルグルに縛って、強調されたおっぱい目がけてレギュラー陣がマグネットのダーツを投げよるんや」(関西在住の放送作家)
さらに、紀香に目隠しをさせて触った物体が何かを当てるゲームでは、とんでもないセクハラがあった。
「そら、もう気持ちえ~指の感触やったわ」かつて本誌に明かしたのは、アホの坂田こと坂田利夫。テーブルに坂田がパンツ一丁で寝そべり、その股間目がけて紳助らに無理やり「握らされた」のが紀香だった。
「アイマスクを取った紀香は、絶叫して床にうずくまっていたね。その直後に上京して女優業にシフトしたのは、この屈辱がバネだったかもしれません」(バラエティ班スタッフ)
遅刻魔 福田沙紀、紳助の逆鱗に触れた?
さて、近年の紳助を代表する番組といえば「クイズ!ヘキサゴンⅡ」(フジテレビ系)。そこで一時は紳助の寵愛を受けながら突然レギュラーの座を追われたのが福田沙紀(22)だ。女優業に専念するためとか本人がおバカキャラを嫌ったためとか、諸説あるが‥‥。
「福田自身が遅刻魔で、紳助の逆鱗に触れたと言われていますが、いずれにせよ、福田の降板後にPabo(スザンヌ、木下優樹菜、里田まい)が大ブレイク。逆に福田はドラマ『ライフ』のイジメ役で反感を買った。最近はクイズ番組でも平均的な答えしか出せず、あそこでレギュラーを降ろされていなければ‥‥と恨んでいるみたいです」(ドラマライター)
母親が紳助と同世代と発言したとたんに、紳助が引いた
2011年12月3日 紳助親分の終末(5)悩み事の相談で「貞操防衛」
紳助は新人アイドルを常にチェックし、みずからの番組にキャスティングすることもあった。
紳助が引退する少し前の「クイズ!ヘキサゴンⅡ」。これから売り出そうというアイドルタレントがゲストとして呼ばれた際のこと。
「このアイドルはトークのレッスンを受けるなど、しゃべりの技術を磨いていたんです。ところが、紳助という大物芸人の番組に出演する緊張感もあってか、その成果を何も発揮できないまま終わってしまい、意気消沈」(番組関係者)
というのも、何やら紳助の様子が変だったのだという。関係者が続ける。
「どうやらそのアイドルが、自分の母親が紳助と同世代などと発言したとたんに、紳助が引いてしまったらしいんです。そりゃ、紳助には下心がありましたが、このひと言で萎えたんですね」
勝手に下心を抱き、張り切る新人のトークを潰すとは、迷惑な話である。
仕事をチラつかせ口説こうとしたが、マリエはなびかなかった
だが、そんな紳助に敢然と立ち向かうツワモノもいる。ある時、紳助が自分の番組に、お気に入りの女性タレントだったマリエ(24)を呼ぼうとした。お笑い番組関係者が明かす。
「仕事をやるからとチラつかせることで、ついでに口説こうとしたんですが、マリエはなびかなかった。何しろ大資産家令嬢ゆえ、金や仕事欲しさに相手に従うという気持ちがないからです。ダメ出しを食らった紳助は、手を引くしかなかったといいます」
里田まいとスザンヌ、先手を打ってわざと恋の相談
ヘキサゴンファミリーの一員である里田まい(27)とスザンヌ(25)は、タッグを組んで「防衛策」を講じていた。構成作家が言う。
「2人は周囲の関係者から、紳助が気に入った女性タレントを口説き落とし、深い関係に持ち込むことを聞かされていました。そこで、紳助に口説かれないため、先手を打って、わざと恋の相談を持ちかけていたんですよ。『今、こんな彼氏がいて‥‥』と、悩み事を打ち明けるんです」
里田の交際相手は楽天・田中将大(23)。スザンヌはソフトバンクの斉藤和巳リハビリ担当コーチ(33)と熱愛中だ。構成作家が続ける。
「そんな恋愛相談にアドバイスをしたあとでは、紳助といえど、なかなか“踏み込む”ことはできない。この方法が有効であることに2人は気がつき、何とか難を逃れたんです」
おバカタレントも実は賢かったのである。
エド・はるみを干すように命じた
一時は大ブレイクしたエド・はるみ(年齢不詳)。ところが、しばらくするとテレビではあまり見かけなくなった。芸人としての限界なのか、それとも‥‥。
「背景には、紳助との衝突があったんです」と話すのは、日本テレビ関係者だ。
「エドは08年、日テレの『24時間テレビ』でマラソンを完走した。通常、マラソン出演者は日テレがその後1年間、『面倒を見る』ことになっている。ところがエドは、1年を待たずしてハシゴを外された。紳助の番組で、何か意見するような発言をしたとかで、紳助は『あんなヤツ、使わんでもええ』と、干すように命じたんです。被害を受けたエドは頭に来ていますよ」
憤懣、やる方なし─。