人生のターニング・ポイントは50歳

幸福感は20代から下がり続け、60代でようやく上がる

幸福感は、10代から20代にかけて下降し、50歳頃まで低迷、その後60代で上昇するというパターンが世界中で共通して見られます。

  • 若い世代に比べて経済的に安定している
  • じゃあ若い時はどうすればいいの?
  • 若年層は「幸福感のセットポイント」が低い
  • 年齢を重ねるのを待たずに幸福感を高めるには?
  • 不確定要素=「人生の冒険」として楽しむ
  • 今目の前にあること・コントロールできることに集中
  • ないものは忘れて、できることに集中しましょう。

幸福の達人 科学的に自分を幸せにする行動リスト50
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人生100年時代と考えるなら、50歳は折り返し地点

人生100年時代の元気になる言葉 (TJMOOK)
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子育てから開放される年齢

確かに自分も50代から60代になったころから幸福度が高くなっている。それまではいくらお金があっても足りない気がして不安だったが、人生折り返しを過ぎたと思えて、お金に振り回されることがなくなったからだろう。それと、とんでもない職場や家族や友人と縁を切ったのも、自分にとってはよかった。

人それぞれ

実際の所どこまでの幸福を望んでいるか、という所は人それぞれだよな。勿論最低限の安全や健康、飢えのない生活は誰しも望むものだろうが、そこだけでも幸せを感じられる人は沢山いるだろう。海外セレブ的生活を望む人も、逆に毛嫌いする人もいるだろう。高収入を喜ぶ人も、より自由な生活を望む人も色々だ。あまりに幸せになると心配だから、ちょっと冷たい風に当たっている位が、自分的には正気でいられる気がして安定する。維持する為に酷い努力をしなくて済むし、無くす事を心配しなくてもいい。利用しようと寄ってくる人もいないし、時間も十分取れる。

上をみたらきりがない

すごく嫌な思考ではあるが、「自分が幸せと思えるかどうか」は自分の認知できる範囲での比較対象との相対評価で決まりやすい。パチンコを1日打って10万円浮いたと充実感に浸っていたら、その日別行動だった友人は競馬で100万円近く勝っていた、とか。だから、上をみたらきりがない、と自分で自分を納得させられるか次第。「今楽しければいい」と刹那的に暮らすもよし、堅実なライフプランを立て1つ1つ実現することに満足を覚えるもよし。言えることは、どういう生き方をしても必ず時間は経過していくこと。楽しみを後にとっておきすぎると、時間と健康が足りなくなることも。

現役世代は幸福度が低い

この結果だと、現役世代は幸福度が低いことになってしまいますよね…。自分のことを振り返ると、20代前半が一番幸福度が高かったように感じるのですが、それは無知だったからとも言えるかもしれません。同じ体験をしても年代によって感じ方は違うでしょうし、その時、その時を楽しめば良いのではないですかね。

幸福感を定める主な要素は「比較」

凡そ人間の幸福感を定める主な要素は「比較」だと思う。長ったらしく書かずとも、若年層はその「比較」するものが少なく、経験と共に判断の基準も移ろう事から低下する時期があるだけの話だと思う。どうするもこうするも経験値を増やすか、比較する事を放棄するかのいづれか。

他人と比較、高過ぎる理想、見栄、世間体、善人を演じると不幸

他人と自分を比べて、溜息をついたり、身の丈に合わない高過ぎる理想を追い求めたり、見栄を張ったり、世間体を気にしたり、善人を演じてばかりだと、幸福感は得にくいはずです。他人との比較を止めるだけでも、心は軽くなります。他人の幸せを喜べる心の余裕を持てるなら、20代でも幸福度は上げられるはずです。

60代で頭がボケてきて自分をモニタリングする機能が壊れるから

若い時は身体能力にも自信があり、脳も活発に脳内ホルモンみたいのを出している為、それによって同じ景色を見ても世界の見え方が脚色(バラ色に)されているのだと思う。今となっては、本能的に堤防の縁を歩くのも怖いし、世界の見え方が数字や論理しかない鉄の色のように冷めて見える。自分で同じ人間だろうかと思う。60代で上がるのは単に蝋燭の最後のゆらめきみたいなもので、頭がボケてきて自分をモニタリングする機能が壊れるからだと思う。今からそうなるんだろうが止める事は出来ないし、そうなったらなったで主観的には幸せだろう。

何歳でも、その時その時の幸福感や大変さが違うだけ

10代は、少々勉強するのが面倒臭かったが、友人と遊んでばかりで幸福だった。20代は、金は無くて大変な思いを沢山したが、沢山の恋愛・旅行・コンパ等忙しく幸福だった。30代は、とにかく社会人として学ばなければならない事や社会人としてのプレッシャーも多いが、同僚との飲み・趣味のゴルフやスキー・結婚等幸福だった。40代は、独立して将来への不安や仕事が軌道に乗る為にがむしゃらに働き大変だったが、子供に恵まれ・ゴルフ仲間が増え・家族と過ごす時間・ゴルフに行く回数が増え幸福だった。50代の今、健康に気を付け40代の幸福感を維持出来ればと思う。60代以降、健康を維持し、どれだけ老後までに貯蓄出来るかにもよるが、子供達が巣立ち妻とゆっくり旅行や外食を楽しんで幸福でいられればと思う。何歳でも、その時その時の幸福感や大変さが違うだけじゃないかな

  • 若い力でやりたいことを全力でやってみることが幸せの鍵だと思うぞ。自分も少々リスクのあることをしたが、今は想像もしなかった人生を謳歌している。

幸福度が一番高いのは「未婚女性」で、一方一番低いのが「未婚男性」

ある調査では幸福度が一番高いのは「未婚女性」で、一方一番低いのが「未婚男性」だそうだ。また平均寿命では未婚男性のみ極端に短命でわずか67歳と驚くべきデータである。これら性別属性別のデータは、あまり知られていないが、社会を上げて未婚男性を支援できる仕組みがないと結局は日本全体の幸福度は上がらないと思う。

「50歳で花開く人」と「50歳で止まる人」

結局、花開いているか、止まるかなんて自分の気持ちしだいのとこもあると思う。自分では満点とは言わないけど、まぁそれなりに楽しくやってきたつもりだけど、めちゃくちゃアクティブな人からみれば、物足りなく見えるかも知れないし、色々ハプニングにあって来た人からすれば、穏やかで良い人生かもしれない。こういう話って結局正解は無いし、振り返った時に自分がどう思うかが大事だと思う。同じことでも、その人の性格とかで良い事にも悪いことにもとれる。失敗したとか後悔したことでも、死ぬ時にあの経験があったから、結果オーライだったなと思えるような事だったらそれで良いと思う。何歳であっても良い事だけの人生は無いのだから。

「50歳で花開く人」と「50歳で止まる人」の違いとは?「自分優先」「“したい”で選ぶ」がカギ

人生で後悔している事はチャレンジしなかった事

80代以上の方に「人生で後悔している事は?」というアンケートがあって、大半の方が[チャレンジしなかった事] と回答したそうだ。興味深い回答である。しかし、記事を読んでいて、かなり恵まれた人を想定しているような違和感を感じた。ましてやこれからロスジェネが50代に突入して行くので尚更そう思う。誰の助けもなく、特に一馬力で踏ん張っている人にはなかなか難しいと思うし、やりたい事をやる事は否定しないが、それにしても「しなければいけない事」は避けて通れない。どちらか、二者択一ではないと思う。しなければいけない事を日々やりつつ、またその中でやりがいとか、人に感謝されたりといった細やかな幸せを感じながら、それがやがて「やりたい事」に繋がればいいな。そう思う。

定年の年齢を下げたら、やりたかった事ができるのでは?

今、定年の年齢が上がってますが…。逆に定年の年齢を下げたら良いと思います。例えば50歳を定年とすればそこから今までやってみたかった仕事に転職するとかキャリアを活かした仕事に転職するとか「新たな自分」へリセットする時間が出来てやり甲斐などが復活する可能性もありますから…。若い人材を積極的に採用するのも良いとは思いますが、人口から考えれば高齢者の数の方が圧倒的に多いのですからそこから採用しなければならない機会は多くなると思いますし、人手不足がどの業界でも叫ばれていますがそれは「若手」に限られていますので、高齢者層を積極的に採用して高齢者対応のノウハウをいち早く構築した企業が一人勝ちすると思います。本来なら企業存続の為に若手を育成しなければならないと思いますがそれに固執して高齢者の採用を蔑ろにしてしまえば企業を存続させる為の絶対人数が不足して廃業に追い込まれると思いますので…。ご一考を…

責任や世間体を脱ぎ捨てれば自由になれる

作者が伝えたいことは、個人的な事ではなく、全体的に伝えたい事であり、主に具体的に花開く事に特化していない。それは、自分らしく生きれば輝けるという解釈で、作者の自慢とかではない。自分が自由ではないという人は、責任や世間体を脱ぎ捨てていないから、そうとしかとらえられない。生き方はそれぞれ違うのは当たり前。私はあなたみたいな人生に生まれてないから無理という思い込みは捨て、自分に目を向けて欲しい、と、作者は伝えているんです。
それを実行するかしないかだと思います。要はもう少し視野を広げてみると自分らしく生きれるし、その姿ははたから見ると素敵に見えますよ、が、花開く意味です。

今の自分に満足していればいい

50過ぎて、若い頃のような働き方ができなくなって痛感したのは、自分が今の自分に満足していれば、側から見て花開いていようがいまいが関係ないということです。肩書きがあっても無くても、安心して生きていられればそれで。ただこの記事の「経験というアドバンテージ」という考え方は良いなと思うし実際そうだと思います。老いを実感して初めて分かることはたくさんありますし、老いても死ぬまでは生きなければならないので、年齢や経験を良い方向に使えたらいいなと思います。

40代で心身が不調

もうすぐ50歳になる。この5年ぐらいは更年期なのか心身の調子が優れず低調も低調。でもどうにか元気になって来て、動く気持ちになって来て、年齢なりの洞察力も増していると自覚し、これからに向けて得体の知れない満足感がある。私はこれから自由に生きると思う。これがやりたかった、を実際に実現できるのは50代までらしい。やりたい事をやって好きなように成長する。

50歳、親の介護が本格的になってくる年齢

50歳、自分の健康面で色々出てくる、親の介護が本格的になってくる年齢。最近の出産年齢だとまだまだ子供に手がかかる人もいる。まずは自分と、親や家族が健康でいることが大前提。その後時間があってお金があって。何かチャレンジしたいことがあって、できる環境ならしたほうがいいけど、毎日我慢やしなければならない事を積み重ねている人も十分花開いていると思う。

色んな人が居ていい

50歳で花開くとか止まるとか、人それぞれにターニングポイントが違うように思う。節目はそう、体力面とか精神面有るだろうが、歳で一括とはいかない様にも感じる。その人の今までの経験が今後に影響する事も有るだろうし、これから経験する事が転機になるかも知れない。これから出会いがあり、結婚するかも知れない人。家族の介護が始まる人。新しい事に挑戦する人。大病を患うかも知れない人。色んな人が居ていい、その立場で何を考えどう生きていくか。どんな風に豊かな人生を送るかは、自分がこれまでに生きて来た学びで決まって来る年代でも有るのかな。

活躍できる場所を上手く選ぶ事が重要

先日52歳になりました。この手の記事はよくありそうなのですが、なぜかしっくりくる内容でした。50歳で転職し、その際自分のスキルを棚卸したことで “案外色々経験しているな” と自覚でき、その経験を活かせる会社に落ち着いています。フィールドを上手く選ぶ事が重要ですが、それさえ押さえればやりたい事をやれる環境は世の中にはまだまだありそうだと感じました。

50代では今迄してきたことの結果が出る。それに正対しなければならない

50代では今迄してきたことの総括が必要。健康、仕事、財産、家族など全てに関して今までやってきたことの結果が出る。それに正対しなければならない。当然、満足なこともあれば、思い知らされることもある。その成績でこれから、やれること、やるべきこと、やるのが許されることが決まってくる。一律に自分優先とかしたいで選ぶとか、何となくいい事言ったみたいなのは止めてほしい。

知らないと後悔する「読まずに死ねない名著」

誰も教えてくれない“定年後の10万時間の過ごし方”

キケロ 老年について
セネカ 生の短さについて
モンテーニュ 随想録
鴨長明 方丈記
吉田兼好 徒然草
シェイクスピア リア王
トルストイ イワン・イリッチの死
チェーホフ 退屈な話
井伏鱒二 厄除け詩集
谷崎潤一郎 鍵 瘋癲老人日記
田辺聖子 姥ざかり
高見順 死の淵より
古井由吉 白暗淵
山田風太郎 人間臨終図巻
佐野洋子 がんばりません
富士正晴 どうなとなれ

がんばりません
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50歳から花咲く人生にするために

  1. 自分のやりたいことをやっていること
  2. 得意なことを生かしていること
  3. 社会から求められ貢献していること

自分の強みの見つけ方

  • 自分ではなく他人に見つけてもらう

自分から相手を認めて若者を味方につける

  • 褒める
  • 自分から挨拶する
  • 話を聞く
  • ありがとうを言う
  • 名前を呼ぶ
  • お菓子を差し入れ

50歳から花開く人と止まる人の習慣

  • 年齢を気にしない
  • 人の意見を聞く
  • 若者を味方につける

50歳から花開く人、50歳で止まる人
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