無抵抗主義のガンジーの活動が成功したのは、運が良かったから
- マハトマ・ガンジーの非暴力・無抵抗主義(サティヤーグラハ)が成功した背景には、たしかに「時代の運」ともいえる歴史的条件が大きく関係していました。
 
成功を支えた時代的要因
- イギリス帝国の変化
・第二次世界大戦後、イギリスは経済的に疲弊し、植民地を維持する力を失いつつありました。道義的にも「民主主義国家が他民族を支配する」ことへの批判が強まっていた時期でした。
・これはガンジーの「非暴力抵抗」が正当性を得やすい国際的環境でした。 - 国際世論の影響
・戦時中の人権意識の高まりや国際連合の設立など、「暴力ではなく道徳的正義が勝つべき」という空気が世界に広がっていました。
・ガンジーの運動は「倫理的な抵抗」として、海外からも支持されました。 - インド国内の成熟
・インド国民会議派などによる長年の政治運動で、すでに「民族自決」の機運が高まっており、ガンジーの思想が受け入れられる準備が整っていました。
・時代が思想を受け止める「土壌」を持っていたのです。 - 「運が良かった」という見方について
・確かに、もしガンジーがもっと早い時代(19世紀の帝国主義最盛期)に活動していれば、非暴力運動は強権によって簡単に鎮圧され、歴史に残らなかったかもしれません。
・つまり、彼自身の信念と行動力に加え、時代の流れが味方についたことが成功の鍵だったといえます。 
ガンジーの偉大さは、「その時代の風を最も道徳的な形で利用した」ことにあります。運が良かっただけではなく、運を「道義」という力に変えた点に真価があります。
抵抗したほうがマシ
非暴力・無抵抗で戦争を放棄した結果、成功したのはインドだけ。その他は侵略され支配され、虐げられている。
- チベットは非暴力を掲げたが、中国の武力侵攻により実効支配を失った。
 - チェコスロバキアの「プラハの春」も非暴力的改革運動だったが、ソ連軍の介入で弾圧された。
 - 第二次世界大戦中の多くの国(ポーランド、フランスなど)は非抵抗では侵略を防げなかった。
 - ベトナムやアルジェリアの独立は、むしろ武装抵抗によって達成された。
 
戦争放棄と現実的防衛
- 非暴力の理念は道徳的に高いものですが、現実的な安全保障体制では「自衛」や「威嚇力」も必要とされます。完全な無抵抗は、侵略者に対して抑止力を失うことになるため、結果的により大きな被害を招く例が多いです。
 
要するに、非暴力の成功は相手の政治的状況・国際世論・経済的関係などが有利に働く場合に限られます。多数の歴史例を見る限り、「抵抗しない選択」は理想としては崇高でも、現実ではほとんどの場合に悲惨な結果となっています。
2025年10月15日 質問「インバウンドの人々に布教できれば、世界に平和の心を伝えられるのでは?」 – 我知(がち)ーお坊さんに聞いてみる
この記事は、奈良新聞の連載「我知ーお坊さんに聞いてみる」における、興福寺執事長・辻明俊氏の回答記事です。内容は、日本の宗教的寛容さを通じて「インバウンド(訪日外国人)に平和の心を伝えるにはどうすればよいか」という質問への仏教的視点からの答えになっています。
- 新型コロナ収束後、南円堂には外国人旅行者が多く訪れ、それぞれの言語で祈願が捧げられている。辻氏は、これを「仏さまの多言語対応」として微笑ましく紹介し、信仰が国や宗教を超えて広がっている現状を肯定的に見ている。
 - ヨーロッパの巡礼文化(例えばサンティアゴ・デ・コンポステーラ)や、エルサレムの三大一神教の聖地を例に出し、信仰の場がいかに人々の心に根付いているかを説明。一神教ではそれぞれの信者が自らの聖地を目指すが、日本人は複数の宗教施設を一度に訪ね、信仰と観光を自然に融合させる傾向があると指摘する。
 - その背景として、日本人が八百万の神を受け入れてきた「寛容な宗教観」があると述べる。実際に辻氏自身も、インドでマザーテレサの教会、ヒンドゥー寺院、釈尊の大菩提寺を巡る体験を紹介している。
 - 外国人を寺社に案内する際には「たとえ自分の信仰が別でも、その土地の神仏には必ずあいさつを」と伝えている。これは誰にもできる平和の実践であり、相互敬意の象徴であると説く。
 - 最後に、マハトマ・ガンジーの言葉を引用し、「それぞれの信仰を尊びながら理解し合い、祈り合う世界」を願って締めくくっている。
 
要するにこの記事は、宗教の違いを超えた「敬意」と「祈りの共有」を通じて、平和の心を世界に伝えることができるという視点を示しており、日本的な宗教観の価値を再確認するものです。
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