バングラデシュとパキスタンの関係が悪化した主な理由は、1971年のバングラデシュ独立戦争とその背景にあります。この戦争とそれに至る経緯には、政治的・民族的・経済的な対立が複雑に絡んでいます。
以下に、関係悪化の主な要因を整理します:
1. 歴史的背景:東西パキスタンの不均衡
- 1947年、イギリス領インドが分割され、「パキスタン」は東西に分かれた国として誕生しました(現在のパキスタンとバングラデシュ)。
- **東パキスタン(現在のバングラデシュ)と西パキスタン(現在のパキスタン)**は、言語、文化、経済構造が大きく異なっていました。
- 中央政府(西パキスタン側)は東パキスタンを政治的・経済的に差別し、資源の配分や公職の機会が不平等でした。
2. 言語運動と民族アイデンティティの衝突
- 西パキスタン政府がウルドゥー語を国語としようとしたことに対し、東パキスタンでは**ベンガル語の使用権を求める運動(1952年の言語運動)**が激化。
- これがベンガル人の民族意識を高め、パキスタン政府への不信感が強まる原因となりました。
3. 1971年のバングラデシュ独立戦争
- 1970年の選挙で、東パキスタンの政党「アワミ連盟(Awami League)」が勝利しましたが、西パキスタン政府は政権移譲を拒否。
- その結果、独立運動が激化し、1971年に**内戦(バングラデシュ独立戦争)**が勃発。
- パキスタン軍が東パキスタンで行った大量虐殺(推定30万人~300万人)や人権侵害、レイプは国際的にも非難され、現在もバングラデシュ人の強い怒りと記憶として残っています。
- インドがバングラデシュ側を支援して戦争に介入し、最終的にバングラデシュが独立しました。
4. 戦争責任と謝罪の問題
- バングラデシュは、パキスタンに対して戦争中の残虐行為に対する公式な謝罪と責任追及を求めています。
- しかし、パキスタン政府は一貫して公式な謝罪を行っておらず、戦争責任についても曖昧な態度を取ってきました。
- この問題は、外交関係に大きな影を落とし続けています。
5. 現在の外交関係
- 両国は形式的には国交を持っており、大使館も存在しますが、信頼関係は非常に低く、協力は限定的です。
- 時折、バングラデシュ国内の親パキスタン派勢力への対応や、過去の戦争犯罪人の処刑などを巡って緊張が高まることもあります。
要約
- バングラデシュとパキスタンの関係悪化の核心は、1971年の独立戦争におけるパキスタン軍の行為と、それに対する謝罪・和解がなされていないことです。
- それに加えて、歴史的な差別、不平等、文化的対立が背景にあります。