岸信介とCIAの関係
概要
- 岸信介(元内閣総理大臣)は、戦後日本の政界復帰と権力掌握の過程で、アメリカの中央情報局(CIA)と深い関係を持っていたことが、近年の公開資料や研究で明らかになっています。
戦後の経緯とCIAとの接点
- 岸信介は第二次世界大戦後、A級戦犯被疑者として収監されましたが、不起訴となり、その後アメリカの支援を受けて政界に復帰しました。
- CIAは、冷戦下で日本の共産化を防ぐため、反共主義を掲げる岸信介を支援し、秘密資金の提供や政治的後押しを行ったとされています。
- ジャーナリストのティム・ワイナーによると、「世界の有力国で、将来の指導者をCIAが選んだ最初の国は日本であり、その指導者が岸信介だった」とされます。
具体的な協力と影響
- 岸信介は1951年の日米安保条約改定や、その後の新安保条約締結において、CIAおよびアメリカ政権の強い影響を受けて行動しました。
- アメリカ側は岸に対し、スパイ防止法(秘密保護法)などの立法措置を要請し、岸もこれに応じる姿勢を示していました。
- CIAは自民党への資金援助や、国内の反米・左翼運動の妨害活動にも関与しており、岸が首相となるプロセスでもその影響力が及んでいました。
評価とその後
- 岸信介の政権は、アメリカの意向を強く反映したものとされ、反共体制の構築や日米安保体制の強化に重要な役割を果たしました。
- しかし、安保闘争後にはアメリカ側も岸政権への支援を縮小したとされています。
まとめ
- 岸信介は、戦後日本の反共体制構築と日米関係強化の中で、CIAから資金や政治的支援を受け、アメリカの政策意向に沿って行動した政治家です。彼の政界復帰と首相就任には、CIAの積極的な関与があったことが、複数の公開資料や証言から裏付けられています。
資料が公開されたのはいつ?
岸信介とCIAの関係を示すアメリカの公文書や資料は、主に2000年に制定された「日本帝国政府情報公開法(Japanese Imperial Government Disclosure Act)」に基づき、クリントン政権末期から2000年以降に機密解除され、公開が進みました。この法律のもと、戦時・占領期の日本関係資料約10万ページが機密解除され、その中にCIAが収集した日本人に関する個人ファイルも含まれています。
また、これらの資料の一部は2007年までに公開が進み、さらに2017年12月には岸信介首相とCIAに関する文書が「機微区分情報(SCI)」として別途保管されている可能性も指摘されており、全ての資料が完全に公開されたわけではありません。一方で、NHKによると、岸信介のアメリカ訪問記録などが2019年12月19日に公開された例もあります。
まとめると、岸信介とCIAの関係を示す主な資料は、2000年以降、段階的に公開されてきましたが、機密性の高い一部資料は今なお未公開の可能性があります。