YouTube動画「【エジプトの歴史】古代から現代までをわかりやすく解説!」(教養としての世界史ch)は、エジプトの歴史を古代から現代まで、約20分でわかりやすくまとめています。以下にその内容を時代ごとに簡潔に要約します。
古代エジプトの成立と王朝時代
- 紀元前5500年ごろ:ナイル川流域で農耕文化が始まる。ナイル川の氾濫が肥沃な土地を生み、文明発展の基盤となる。
- 紀元前3000年ごろ:ナメル王が上下エジプトを統一し、王朝時代が始まる。
- 王朝時代は5期に大別(初期王朝、古王国、中王国、新王国、末期王朝)。
- ピラミッド建設:ジェセル王の階段ピラミッド、スネフェル王の屈折ピラミッド、クフ王のギザの大ピラミッドなどが有名。
中王国・新王国時代
- 中王国時代:メンチヘテプ2世が再統一。中央集権化が進むが、ナイル川の氾濫減少やヒクソスの侵入で衰退。
- 新王国時代:ヒクソス追放後、アメン神信仰が中心に。アメンホテプ4世(アクエンアテン)の宗教改革(アテン神唯一信仰)も短命で終わる。
- ラムセス2世の時代、ヒッタイトとカディシュの戦い・世界最古の和平同盟締結。
- “海の民”の侵入やアッシリアの台頭で新王国も崩壊。
外国支配とプトレマイオス朝
- アッシリア・新バビロニア・アケメネス朝ペルシアと次々に支配される。
- アレクサンドロス大王がエジプト征服、アレクサンドリア建設。
- 後継者プトレマイオス1世がエジプト支配、プトレマイオス朝が成立。クレオパトラの時代、ローマの属州となる。
ローマ・ビザンツ・イスラム支配
- ローマ帝国支配下でキリスト教化が進み、伝統文化が衰退。
- 東ローマ帝国(ビザンツ)支配を経て、7世紀にアラブ・イスラム勢力が征服。以降、ウマイヤ朝・アッバース朝・ファーティマ朝などイスラム王朝の支配下に。
中世~近世:マムルーク朝・オスマン帝国
- サラディンがアイユーブ朝を建国し、十字軍と戦う。
- マムルーク朝が成立し、モンゴルの侵入も撃退。ペスト流行やオスマン帝国の台頭で衰退、1517年にオスマン帝国領となる。
近代:ナポレオン、ムハンマド・アリー朝、イギリス支配
- 1798年ナポレオン遠征、ロゼッタストーン発見。
- ムハンマド・アリーが実質的な独立を果たし、近代化を進めるも、スエズ運河建設で財政悪化、イギリスの影響力が強まる。
- 1882年ウラービー運動失敗でイギリスの事実上の植民地に。
現代:独立と中東戦争
- 第一次大戦後、1922年エジプト王国として独立するも、イギリスの影響は残る。
- 第二次大戦後、イスラエル建国と中東戦争(4次まで)に関与。
- 1952年ナセルらのクーデターで共和制へ。スエズ運河国有化、第2次中東戦争勃発。
- 1979年サダト大統領がイスラエルと和平条約締結(シナイ半島返還)。
- 1981年サダト暗殺、ムバラク政権へ。2011年アラブの春でムバラク退陣、現在はシシ大統領が統治。
ポイントまとめ
- ナイル川の恵みを受けた古代文明から始まり、ピラミッドやファラオの時代が約3000年続く。
- 外国勢力の支配が長く続き、イスラム化・近代化・植民地化を経験。
- 20世紀以降は独立と中東戦争、現代は安定と発展を模索する時代。
中王国時代にナイル川の氾濫が減少した理由
中王国時代にナイル川の氾濫が減少した主な理由は、気候変動や火山噴火などによるモンスーン降雨量の減少です。
- ナイル川の氾濫は、上流エチオピア高原のモンスーンによる降雨に大きく依存していました。
- 近年の研究では、火山噴火が大気中に硫黄ガスを放出し、地球規模で気温を低下させることで、モンスーンの勢いが弱まり、エチオピア高原の降雨が減少したことが明らかになっています。
- これにより、ナイル川の水量が減り、例年のような大規模な氾濫が起こらない年が増えました。
- 氾濫の減少は農業生産の低下や飢饉、社会不安の一因となり、中王国時代の衰退にも影響を与えました。
このように、中王国時代のナイル川氾濫の減少は、主に自然環境の変動(特に火山噴火による気候変動)によるものと考えられています。