[悲報] 15歳で校長に処女を奪われたまんさん(24)の人生が壮絶
@rrrrunn18
高島雄平とは、フィリピンで買春をしたとして児童ポルノ禁止法違反等の罪で逮捕された人物である。
買春の撮影記録から、相手にした女性の人数は述べ1万2660人に上るとされる。
逮捕当時64歳であり既に定年退職していたが、定年までの数年間は公立中学校の校長を務めていた。
以下、一部の記述において「校長」の呼称を用いる。
なお一部のテレビニュース報道などでは「高島」ではなく「髙島」と表記されていたようであり、ネット上にアップされた卒業アルバムと思われる画像においても「髙島」と記載されている。おそらく正式な表記は、いわゆる”はしごだか”を用いた「髙島」であると思われる。
我が秘密の概要編
1975年、横浜市に教員として採用される。
1988年には文部科学省の在外教育施設派遣試験に合格し、フィリピンのマニラにある日本人学校へ赴任。このときから買春を始めた。
1991年に帰国し、市立中学校に教諭として着任したが、以降もフィリピンへの渡航・買春を26年間続けていた。
2008年から2011年までは校長を務めた。
2015年4月8日、児童買春・児童ポルノ禁止法違反(製造)の疑いで神奈川県警に逮捕された。容疑は前年1月にマニラのホテルで13~14歳の少女3人と淫らな行為をし、その様子をデジタルカメラで撮影したというものなのだが、これは氷山の一角にすぎなかった。
家宅捜索の結果、26年にわたって買春したフィリピン人女性の写真を収めたアルバムが見つかり、その数は410冊、合計およそ14万7600枚にも上った。高島は「思い出にするため」と女性をカメラで撮影し、ひとりひとりに番号を振って保存しており、最後の女性が12660番であった。このほか「我が秘密の生涯編」と題したノートに記録を残していた。
調べに対し「仕事のプレッシャーが強く、倫理観のたがが外れたときの解放感を味わった。」「女性は14歳から70歳くらいで、うち1割は18歳未満と思う。」と供述し、1日に10人以上を相手にしたこともあったという。
2015年12月、横浜地方裁判所において懲役2年、執行猶予4年の判決が言い渡された。なお、あくまで上述した少女数人との行為に対する判決である。
相手にした人数があまりにも桁違いであること、それが自称に留まらず写真により裏付けられていること、ストライクゾーンが広すぎることなどからインターネット上で話題となり、いつしか高島は教職員等の性犯罪が報道されるたびに「校長の足元にも及ばない」などと引き合いに出される存在となってしまった。「校長」と画像検索するだけで上位にヒットする始末である。
校長コピペ
高島が引き合いに出される際、以下のコピペが貼り付けられる。
出典元はソースの無い2ちゃんねるの書き込みである。
この内容を信じて高島を聖人扱いする者がいるが、信憑性を欠く部分もあるため鵜呑みにしないように。
校長は労働の対価を相場の3倍女の子にブローカーに内緒で払ってた
校長は女の子の学費を援助していた
校長は女の子の性病のために特効薬を多数揃えて女の子に渡し、次に来た時には薬を渡した女の子指名して横流ししてたら叱ってた
校長は女の子の水揚げ担当者としてブローカーからは信頼されていた
校長は1万2千人もの女の子と関係を持っても誰一人として被害届が出なくて警察が頭を抱えた
校長は冊子で「政府の援助は中間搾取のため、末端には行き渡らない。直接末端に金をばら撒くべき」と主張していた
校長はいつか姉ちゃんの為に学校を作りたいと、ブローカーに相談していた
校長は「抱かなきゃ失礼」と言って70歳の売春婦も抱いてきっちり10代の姉ちゃんと同じ金を払ってた
校長は写真やビデオに嫌がる子には決して写真やビデオを回さなかった
校長は自分と同じ世界に入れなければならなかった娘を慮る母親に「君のせいじゃない」と諭し慰めて母娘ともに抱いた
とはいえ、ノンフィクションライター・水谷竹秀の取材によれば、高島が女の子に学費を援助したという話は確かにあり、彼に女性をあてがった現地の人いわく「誰ひとり彼を悪く言う人はいない」とのことである。横浜市の教育文化研究所の機関誌に「住民と共に寝起きしてみて非常なやすらぎを覚えた(意味深)」「学校へ来る機会に乏しい子供たちに、学校は何かしてあげられないのでしょうか」など、スラムで育ち学校に通えない子供に心を寄せる寄稿などもしている。以上のことから、上述のコピペはかなり尾ひれがついているきらいはあるが、あながち全て間違いとも言い切れない。
なお、彼が買春につぎ込んだ総額は約3300万円にも上り、これはフィリピンで実施されている小規模な政府開発援助(ODA)事業に相当する額である。