日本人と外国人は死生観が違う

日本人と外国人は死生観が違う

ブラジル人ベトナム人タイ人が多く住む地区に住んでいます。彼らの隣で生活をしていて知ったのは、彼らにとっては友人や家族が不慮の事故によって早世することはそれほど大事ではないらしいということ。もちろん悲しんで、同朋さんたちをたくさん呼んで夜通しにぎやかにお葬式をしたりしますが、日本人が以後の人生ずっと薄暗い感情を抱えて生きるようになるのとは違って、彼らは現実の受け入れや死者との決別がすごく早いです。なにが言いたいのかというと、日本人と在住外国人では死生観がわりと違うので、だから警告の看板を出しても効果は薄いように思えるということです。

外国人に川遊びの危険性、伝わらない?…「大丈夫」と気にとめない人も

日本も「自己責任」で良いのでは

ヨセミテの公園行った時、滝壺の中や、巨石の上で遊ぶ家族連れが沢山いた。周りには日本なら必ずあるであろう柵や、殺風景な看板は無かった。あるとしても、見落とすレベルの小さな鉄板に危ないよ〜程度の言葉しか書いてなかった。アメリカだけではないと思うが、自然相手には、ほぼ自己責任で成り立っている。日本もそれくらいで良いのではと思う。

死亡した事実を看板に書く

外国語で注意書きを書くだけでは気に留めることもなく、ただの看板ぐらいにしか思わないのでしょうから、死亡した事実を明記し、何年何月、どこの国の人が亡くなったと書くのが良いと思ってます(むろん日本語でも)。そのくらい書かないと自分は大丈夫!と、思う人は後をたたないでしょう。地元の遊泳禁止の浜でも外国籍の人が毎年のように亡くなるとニュースでみるのが辛いです。

オランダ技師は日本の川を見て「これは川ではない。滝だ」と言った

明治時代、西洋の治水技術を導入しようと欧州で最も治水技術にたけたオランダから技師を招いたら、日本の川を見て驚き、「これは川ではない。滝だ」と言ったという。オランダを流れているライン川やマーズ川は日本人から見れば細長い湖にしか見えないくらい流れが緩やかだから仕方がないが、隣の韓国でさえ川の流れはびっくりするほど緩やかで、日本の川の流れは下流付近でさえ、非常に速いのです。「日本の川とはお国では滝です」と伝えたほうがわかりやすいと思います。

海外の人は安全性よりも自分の判断を重要視する

海外の方が日本の河川より整備されていない国も多いだろうし、川遊びの危険性は海外の人の方が知っているのでは?日本は安全性を重要視しすぎる傾向があるが、記事に出てくる国は安全性よりも自分の判断を重要視するのでしょう。言葉の問題では無い気はする。

国によって価値観は違うから意味はない

国によって価値観は違うんだから啓蒙しても意味はないかと。日本でも「旅の恥はかき捨て」ってあるだろう。粛々と日本の法令に合わせて救助、その後の医療費請求をすればいいんでないの。税金払ってない外国人に金使うのはおかしいならそうのように法改正すればいい。まあ、外ずら優先の日本ではなかなか難しいとは思うけど。

地元の子供達はここから先は危険、というのは肌で感じて覚えているがそんなのは旅行者には伝わらない。かといって外国語の看板を設置すれば良いかというと、そうでもない。というのも川は水量や季節によっても危険個所が変わるし、そもそも外国人は看板があっても気にしないタイプの人も多い。

今は毎年死者や怪我人が出て遊泳禁止になったけど、京都の保津峡駅の川も25年位前までは市民や外国人で崖からよく飛び込んでた。市民は一番高い8m位の崖から飛び込んでたけど、外国人は更に道無き道を登って10m以上高い崖から飛び込んで、当時はスゲーと思ってた(私の高校時代)。遊泳禁止になってから行ってないけど、最近保津川で外国人が亡くなったってニュースがあったし、遊泳禁止でもまだ川遊びしてる人がいるんでしょうね。

こういう場所は大体、昔から「︎︎ナントカ岩」なんて呼ばれてて、地元のルールがあって、子供が多かった時代は年長の少年たちが幼い子供たちに泳ぎ方の作法を厳しく指導してきた歴史があったりする。