世界恐慌の際、アメリカ国民はデフレ経済で意外と快適な生活が出来ていた人もいる

それまで以上に豊かな生活を送ることができた人々はいた

1930年代の世界恐慌下のアメリカにおいて、デフレ経済の恩恵を受けて、意外にも快適な、あるいはそれまで以上に豊かな生活を送ることができた人々は確かに存在しました。

安定した職を維持できた人々

世界恐慌期のアメリカでは、最大で約25%という極めて高い失業率を記録しました。しかし、これは裏を返せば「75%の人々は仕事を失わずに済んだ」ということでもあります。

この時期、物価や家賃などの生活コストは劇的に下落しました(デフレ)。仕事を持ち続け、給与の引き下げが軽微だった人や、官公庁の職員、インフラ関係の労働者、大学教授などの固定給で働く人々にとっては、名目上の収入が変わらない、あるいは少し下がった程度であっても、実質的な購買力が大きく高まりました。

実質的な購買力の向上

家賃や食料品、衣類などの価格が3割から4割近くも下がったため、可処分所得が増え、生活に余裕が生まれるケースがありました。

  • 娯楽の多様化
    映画の入場料や劇場のチケットも値下がりし、安価で質の高いエンターテインメントを楽しむことができました。
  • 耐久消費財の購入
    冷蔵庫や洗濯機といった家電製品、自動車なども、デフレのおかげで以前より安く手に入るようになり、中間層の一部にとってはかえって生活水準が向上する結果となりました。

資産を守り抜いた富裕層

株式市場の暴落前に資金を引き上げて現金や国債などの安全資産に変えていた富裕層は、デフレによって現金の価値が相対的に高まったため、莫大な富を維持しました。不動産や美術品、競売にかけられた企業の資産などを格安で買い叩くことができたため、さらに資産を増やす者もいました。

このように、世界恐慌は社会全体に一様な困窮をもたらしたわけではなく、職や資産を維持できた人々にとっては、デフレによる物価安を享受できる奇妙な「好景気」のような側面もありました。

 

 

日本でも円高株安のデフレ時期、年金生活者は快適だったようだ

おっしゃる通り、日本における円高・デフレ期(主に1990年代後半から2010年代初頭にかけて)、年金生活者の多くは結果的に「かなり有利で快適な状況」を享受していました。

これには、単に「物価が下がって生活費が安くなった」というだけでなく、日本の年金制度の運用において高齢者層に非常に有利な例外措置が取られていたという歴史的背景があります。

主に以下の2つの要因が、デフレ期の年金生活者を支えていました。

1. 物価が下がっても年金が下がらない「特例水準」の存在

本来、日本の公的年金は「物価スライド制」をとっており、物価が下がればそれに応じて年金の支給額も下げるルールになっています。しかし、1999年から2001年にかけて物価が下落した際、当時の政府は「高齢者の生活への配慮」などを理由に、特例措置として年金額の引き下げを行わず据え置きました。

その後もデフレが続く中で、この引き下げ見送りが常態化した結果、本来支払われるべき額(本来水準)よりも実際の支給額が最大で 2.5%高止まりした状態(特例水準)が長期間にわたって続きました。

  • 物価が大きく下がり、手に入るモノやサービスは安くなった(お金の価値が上がった)
  • それなのに、もらえる年金額は本来のルール以上に据え置かれた

このダブルの恩恵により、当時の年金生活者の「実質的な購買力」は大きく向上しました。この歪んだ状態はのちに大きな社会問題(世代間格差や年金財政の悪化)となり、2013年から2015年にかけて段階的に引き下げられ、ようやく解消されました。

2. 円高による輸入食料品・エネルギーの格安化

もう一つの要因が「超円高」です。当時は1ドル=80円前後まで円高が進んだ時期もあり、海外からの輸入品が極めて安くなりました。

  • ガソリンや電気・ガス代といったインフラコストが安く抑えられた。
  • 安価な輸入食材や、衣料品(ユニクロの台頭など)、外食チェーンの価格破壊(1杯200数十円の牛丼など)が相次いだ。

現役世代が「賃金カット」や「リストラ」の恐怖、あるいは派遣切りといったデフレ不況の直撃を受けていたのに対し、年金受給者は「実質的に価値の上がった、目減りしない固定収入」を手にしていたため、相対的に最もデフレと円高の恩恵を安全に受け取ることができた層でした。

現役世代の負担で高齢世代を支える賦課(ふか)方式をとる日本の年金制度において、このデフレ期の「年金逃げ切り」的な心地よさは、結果として現在の若者・現役世代へのツケ(社会保険料の引き上げや将来の給付水準抑制)として残ることになりました。

 

 

世界恐慌時のアメリカに公的な年金制度はなかった

世界恐慌当時のアメリカにおける「年金生活者」の状況は、現在の私たちがイメージする年金生活とは大きく異なっていました。結論から言うと、当時、恩恵を受けられた「年金生活者」は極めて限定された一部の人々だけでした。

その理由は以下の通りです。

1. 公的な年金制度がまだ存在しなかった

最大の違いは、1929年に世界恐慌が始まった時点では、アメリカに国営の公的年金制度(社会保障制度)が存在しなかった点です。

高齢者向けの公的年金を定める「社会保障法(Social Security Act)」をフランクリン・ルーズベルト大統領が制定したのは、恐慌の真っ只中である1935年のことです。さらに、実際に最初の給付金が支払われ始めたのは1940年になってからでした。

そのため、恐慌初期から中期にかけて「国から年金をもらって暮らす」という人はいませんでした。

2. 恩恵を受けられたのは「ごく一部の企業年金・恩給受給者」

当時、年金を受け取っていたのは以下のような極めて限られた人々でした。

  • 一部の先進的な大企業が独自に提供していた企業年金
  • 退職した公務員(教師や警察官など)
  • 退役軍人向けの恩給

これらのうち、破綻しなかった民間企業や、財政が維持された自治体から「固定額」の年金を受け取り続けられた人々は、デフレによる物価下落(3〜4割もの値下がり)の恩恵を直接受け、実質的な生活水準を向上させることができました。何もしなくても、手元の年金で買えるものがどんどん増えていったからです。

3. 多くの高齢者が直面した厳しい現実

しかし、大半の高齢者やリタイア世代にとっては、デフレの恩恵どころか破滅的な状況でした。

  • 預貯金の消失
    当時は預金保険制度がなかったため、相次ぐ銀行倒産(数年間で約1万行が閉鎖)によって、老後のために蓄えていた預金をすべて失う高齢者が続出しました。
  • 企業年金の破綻
    勤めていた企業自体が倒産、あるいは経営悪化に陥ったため、約束されていた企業年金がカットされたり、完全に途絶えたりするケースが相次ぎました。
  • 家族への依存
    当時の高齢者の3分の1から半数近くは、自立した収入がなく、家族の扶養や地域の慈善団体に頼らざるを得ない状況でした。しかし、その家族も失業していたため、共倒れになる家庭が極めて多かったのです。

このように、デフレ経済で「快適な年金生活」を送れたのは、「破綻リスクのない確実な固定給付(国や優良自治体の年金など)を維持でき、かつ資産を銀行倒産で失わずに済んだ」という、ごく一握りの幸運な受給者だけでした。この凄惨な高齢者の困窮ぶりが社会問題となったことが、のちの社会保障制度(年金制度)誕生の直接の引き金となりました。

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