[韓国のタブー] 済州島四・三事件 半島人の日本密入国の歴史

密航してでも日本に行きたい

1948年4月3日に在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁支配下にある南朝鮮(現在の大韓民国)の済州島で起こった島民の蜂起にともない、南朝鮮国防警備隊、韓国軍、韓国警察、朝鮮半島本土の右翼青年団などが1954年9月21日までの期間に引き起こした一連の島民虐殺事件を指す。
韓国政府側は事件に南朝鮮労働党が関与しているとして、政府軍・警察による粛清をおこない、島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺された。また、済州島の村々の70%が焼き尽くされた。また、この事件は麗水順天の抗争の背景にもなった。
歴史的に権力闘争に敗れた両班の流刑地・左遷地だったことなどから朝鮮本土から差別され、また貧しかった済州島民は当時の日本政府の防止策をかいくぐって日本へ出稼ぎに行き、定住する人々もいた。韓国併合後、日本統治時代の初期に同じく日本政府の禁止を破って朝鮮から日本に渡った20万人ほどの大半は済州島出身であったという。日本の敗戦後、その3分の2程は帰国したが、四・三事件発生後は再び日本などへ避難あるいは密入国し、そのまま在日韓国人となった人々も多い。日本へ逃れた島民は大阪などに済州島民コミュニティを形成したが、彼らは韓国人コミュニティからは距離を置いた。済州島では事件前(1948年)に28万人いた島民は、1957年には3万人弱にまで激減したとされる。
Wikipedia

在日半島人86「韓国で数万人が虐殺される中、密航船で大阪へ逃げた」 …済州島四・三事件
https://www.youtube.com/watch?v=ph628MKATZk
済州島 4・3事件 在日コリアンの記憶1/2

済州島 4・3事件 在日コリアンの記憶2/2