男女の筋肉量・骨密度・心肺能力の差。不公平や危険を防ぐために生物学的性別による区分は正当

クレーマー

最高裁判所:州はトランスジェンダー選手の女子スポーツへの参加を禁止できる

  • Supreme Court: States Can Ban Trans Athletes From Girls’ Sports

アメリカ最高裁判所は、トランスジェンダーの女子生徒が女子スポーツに参加することを州が禁止できるとする判決を、6対3の多数派で下しました。

この判決により、ホルモン治療の有無などに関わらず、生物学的性別に基づいた出場制限を設けることが合法と認められました。

最高裁判決の概要

アメリカ最高裁判所は、ウェストバージニア州とアイダホ州の法律をめぐる裁判(ウェストバージニア州対B.P.J.事件など)において、州による制限を支持する判断を下しました。

多数派意見をまとめたブレット・カバノー最高裁判事は、連邦教育法第9編(タイトルナイン)や憲法の法の下の平等(平等保護条項)は、トランスジェンダーの選手のために例外を設けることを学校に義務付けていないと言及しました。

裁判官が選手一人ひとりの公平性を個別に審査する必要はなく、州は出生時の生物学的性別を一律の基準として適用できると結論付けています。

背景とこれまでの経緯

全米の約27の州が、女子スポーツの公平性や安全性を守ることを目的に、出生時の性別に基づく参加制限を法律で制定していました。

アイダホ州のリンジー・ヘコックス氏とウェストバージニア州のB.P.J.氏(ともに出生時は男性で、トランスジェンダー女性として女子陸上競技などへの参加を希望)が、これらの州法を違憲・違法として提訴していました。

下級裁判所(第4および第9連邦巡回区控訴裁判所)は、州法が性差別やトランスジェンダーへの差別に当たるとして執行を差し止めていましたが、最高裁がこれを覆した形です。

裁判における主な論点

州側(およびトランスジェンダー選手の参加制限を支持するトランプ政権など)は、筋肉量や骨密度、心肺能力といった生理学的な差による不公平や危険を防ぐために、生物学的性別による区分は正当であると主張しました。

一方で原告(トランスジェンダー選手)側は、思春期ブロック薬やホルモン抑制治療を受けている場合は競技上の優位性が少ないこと、一律の排除は精神的な傷や機会の奪取につながるため、個別の評価を行うべきだと主張していました。

結果として最高裁の保守派判事を中心とする多数派は、教育やスポーツにおける州の裁量権を認め、従来の性別区分の維持を支持しました。

 

 

リベラル派と民主党が主導したジェンダーフリー運動

アメリカにおけるリベラル派や民主党が推進してきたジェンダーフリーおよびトランスジェンダーの権利擁護運動は、個人の自己決定権の尊重や差別解消を目的として展開されてきました。

しかし、スポーツの分野においては「多様性の確保」と「競技の公平性」が真っ向から衝突する形となり、今回の最高裁判決によってリベラル派の方針は法的な転換点を迎えることになりました。

リベラル派・民主党の主な施策と主張

オバマ政権やバイデン政権などの民主党政権は、連邦教育法第9編(タイトルナイン)が禁じる「性差別」の定義に、性自認や性的指向も含めるべきだという解釈を一貫して支持してきました。

学校現場におけるトイレや更衣室の使用、あるいはスポーツチームへの参加について、出生時の性別ではなく「自認する性別」に基づいて認められるべきだという方針をガイドラインなどで提示しています。

リベラル派は、トランスジェンダーの若者が排除されることによる精神的な孤立や、スポーツという教育の機会から奪われる不利益を防ぐことが、人権擁護の観点から不可欠であると主張してきました。

運動が直面した反発と今回の判決の影響

こうしたジェンダーフリー運動の拡大に対し、保守派や一部の女性アスリート、さらには一部のフェミニストグループからも、「女子スポーツにおける生物学的女性の機会や安全が脅かされる」という強い反発が起きていました。

今回の最高裁による6対3の判決は、まさにリベラル派が推し進めてきた「性自認を基準とする政策」に対し、司法の最高機関が明確にブレーキをかけた形となります。

これにより、民主党やリベラル派が主導してきた全米規模でのトランスジェンダー選手の権利拡大運動は、各州の法律によって法的に制限されることが確定しました。

 

 

こんな当たり前を事を「差別」と言って批判する

この問題は、生物学的性別による「競技の公平性や安全」を重視する立場と、性自認による「個人の尊厳や機会の平等」を重視する立場の双方が、それぞれ異なる正義を主張しているため、激しい対立が生じています。

批判側が「差別」と主張する論理

トランスジェンダー選手の参加制限を批判する人々やリベラル派の多くは、出生時の性別だけを理由に一律で排除を行うことは、特定のアイデンティティを持つ人々に対する不当な扱い(差別)に当たると考えています。

特に、幼少期からホルモン治療を受けているケースなどでは、肉体的な優位性がほとんどないと主張されることもあり、個別の事情を考慮しない一律の禁止は、当事者を社会的に孤立させ、スポーツに参加する権利を奪う行為として非難の対象となっています。

議論が平行線をたどる理由

この議論の一端には、1970年代に制定された「タイトルナイン(連邦教育法第9編)」の解釈をめぐる、根本的な視点の思想的な違いがあります。

  • 保守派や多くの女性アスリートの視点
    タイトルナインは、肉体的な差がある男性から「女性の競技機会を守るため」に作られたものであり、生物学的性別で分けることこそが公平であるという考え方です。
  • リベラル派や擁護団体の視点
    タイトルナインは、「あらゆる性差による障壁をなくし、全員に平等な機会を与えるため」のものであり、トランスジェンダー女性も女性として内包されるべきだという考え方です。

このように、何をもって「公平・平等」とするかの前提自体が異なるため、一方の立場から見れば「当然のルール」であることが、もう一方の立場からは「不当な排除(差別)」と映る構造になっています。

 

 

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