和歌山県(紀州藩)が最も栄えた江戸時代 林業・木材産業 農業(特にみかん栽培) 漁業 繊維産業 製鉄 漆器(黒江塗)

和歌山県 紀州藩が最も栄えた時代

紀州藩(現在の和歌山県を中心とする地域)が最も栄えた時代は、徳川御三家の一つである紀州徳川家の5代藩主・徳川吉宗が藩主だった江戸時代初期から中期にかけて、特に享保元年(1716年)以降の時期です。

紀州藩の成立と基盤づくり(17世紀初頭)

  • 紀州藩は1600年に浅野家によって立藩され、1619年に徳川家康の十男・徳川頼宣が55万5千石で入部し、紀州徳川家が成立しました。
  • 徳川頼宣は幕府から銀2,000貫(約25億円相当)を受け取り、和歌山城の大改修や城下町の整備を行い、藩の基盤を固めました。
  • 頼宣は産業振興(黒江塗やみかん栽培奨励)や藩士の質素倹約を推進し、儒教に基づく国づくりを進めましたが、浪人登用や城下町整備の負債で財政難に陥りました。

徳川吉宗による財政改革と藩の全盛期(18世紀前半)

  • 5代藩主・徳川吉宗(1684年生)は、紀州藩の財政難を徹底した質素倹約や藩札停止、訴訟制度改革などで立て直しました。
  • 1716年、吉宗は8代将軍に就任し、享保の改革を行って幕府の財政を改善。これにより紀州藩は政治的にも経済的にも全盛期を迎えました。
  • 吉宗の将軍就任により、紀州徳川家は幕府内での影響力を強め、御三卿制度の創設などで紀州藩の権勢は盤石となりました。

まとめ

紀州藩が最も栄えたのは、徳川頼宣による藩の基盤確立から始まり、特に5代藩主徳川吉宗の時代に財政改革と政治的飛躍を遂げた江戸時代初期から中期(17世紀後半~18世紀前半)です。吉宗の将軍就任後は、紀州藩は御三家の中でも特に栄え、和歌山城を中心に文化・経済が発展しました。

江戸時代の和歌山県の主産業

  • 江戸時代の和歌山県(紀州藩)の主な産業は以下の通りです。

林業・木材産業

  • 紀州は「木の国」と呼ばれ、豊かな紀伊山地の森林資源を活かして杉やヒノキなどの木材生産が盛んでした。木材は江戸や大阪へ廻船で大量に輸送され、建築用材として高く評価されました。
  • 熊野地方では木材の集積と製材が盛んで、建築用の挽角材や板材のほか、梱包用木箱や木工品の生産も行われました。
  • 紀州備長炭の製造も江戸時代から続く伝統産業であり、林業と密接に結びついていました。

農業(特にみかん栽培)

  • 温暖な気候を活かし、有田地方を中心にみかん栽培が盛んで、江戸時代には「紀州みかん」として江戸や大阪の市場で高い評価を得ていました。寛永年間(17世紀中頃)から江戸への出荷が記録され、享保年間には大量の出荷が行われました。
  • 米作も重要でしたが、みかんは特産品として藩の経済を支えました。

漁業

  • 紀伊水道や熊野灘に面した地域ではカツオやマグロなどの漁業が盛んで、地域の食文化と経済に寄与しました。

繊維産業

  • 紀州藍(藍染め)などの繊維産業も地域経済の一翼を担い、綿フランネルの製造も行われていました。

その他の産業

  • 熊野地方ではたたら製鉄が行われ、農具や武器の生産が地域産業を支えました。
  • 漆器(黒江塗)などの伝統工芸も藩が奨励し、地域の特色ある産業となりました。

まとめ

江戸時代の和歌山県は、豊かな森林資源を背景に林業・木材産業が中心で、特に紀州杉やヒノキの木材は江戸・大阪市場に大量に供給されました。加えて、みかん栽培が有田地方で発展し、江戸時代を通じて紀州みかんは全国的に有名な特産品となりました。漁業や繊維産業、伝統工芸も地域経済を支える重要な産業でした。

過疎化対策は無駄 廃村になる未来はおそらく変えられない

個人的には強引な過疎化対策は無駄の極みだと思う。そこに特別な魅力や産業があったり、結婚出産を後押しして内側から人口を伸ばせる余地があるなら別だが、他の地域から金で現役世代を釣るのでは田舎同士で限りある予算を使ってゼロサムゲームの潰し合いをすることにしかならない。 そんな予算の使い方をするなら、過疎化した地域を安定的に放棄し、地方都市への集住を促す方にお金を使った方がいい。そうすればインフラの維持コストは削減できるし、高齢者にしても買い物や医療、行政サービへのアクセスが改善するだろう。仮に過疎化対策を続けたところで、廃村になる未来はおそらく変えられないだろうし……。

移住支援策、ニーズとずれ 過疎化止める切り札ならず <参院選・暮らしどこへ>

富国強兵政策や戦後の復興で一次産業をになうため人が必要とされたから

過疎地への移住の為にお金を使うのは無駄だと思います。 過疎地が栄えていたのは、明治以降の富国強兵政策や戦後の復興の担い手がいるので産めよ増やせよのスローガンのもとに人口を増やし、そのために食料、材木、薪炭、石炭など一次産業をになうための人が必要とされたからです。 つまり当時としては重要な産業の集積地だったのです。 現在は食料、石油、材木などの資源は海外からの輸入にたよるようになり、一次産業の需要が少なくなったわけです。しかも人口が減って行く日本において過疎地に無理やり人を移住させる必要性がありません。 同じお金をつかうなら移住にお金をかけるのではなく、過疎地の最低限のインフラが維持できるように、住居地域を集約化する政策にお金を使った方がよっぽど有意義だと思います。

補助金を出してまでやることではない

補助金を出してまでやることではないと思う。公務員は「あそこの自治体がやっているからうちも」と同じことをやろうとする。もうやめましょう。

過疎化するには理由がある

過疎化するには理由があります。最近では利便性が大きな理由になるかと思いますが、ライトアップして綺麗にするのは観光客を増やすことはできても移住者を増やすのは難しいですね。道路の整備、交通機関の充実化などすべきはそこですよね。財源の確保と立地など課題はあるかと思いますが。

インスタ映えする「日本のアマルフィ」 移住促進へ美しき奇策

なぜ人が減ったのか考えればわかるはず 逆移住も

過疎化したから移住を募る、という茨の道を選ぶのではなく、現在の住民が時間をかけて都市部へ逆移住 (転出)し、綺麗に野に返す道を選ぶ過疎地が出てきたら、積極的に応援したくなる。なぜ人が減ったのか?シンプルに考えれば答えはすぐにわかるはず。ライトアップで解決するならそれで良いと思うが、ライトアップしたら人口が何%増えたのか、数年後に是非教えてほしい。

こうした漁村の空き家問題はまず道路幅が狭く、消防法で家の建て替えが出来ない。消防自動車が侵入して消火活動ができる道幅4mが必要だからだ。この矢櫃地区も幅1m程の人道しかないみたいで、重機も入らず取り壊しも困難なのでは無いだろうか。リフォームなら可能だろうが、資材搬入も人力だし、家電搬入も通常以上に人手が居る。こうした地区への移住を増やしたいなら、各所に消火栓を設置し4m規制を外す整備をするか、道路幅を広げるかが必須になってくる。でも幅を広げると各家庭に車庫も作り出し、景観はアマルフィではなくなる。付け焼刃で移住者を増やそうとしても無理だと思うが・・・。

観光が成り立つようになると、観光関係の人達が住む。その人達向けの店や行政サービスも充実してくる。そのサービス目当てで住む人がでてくる。という感じでしょうか。子育て等の移住への目玉サービス等、行政が先に動くこともありますが、資金あってのサービス。せっかく注目されるようになったなら、機会を逃さないように同時に行政サービスも充実していくできだと思います。また、観光と私生活との明確な隔たりも必要だと思います。

現行の地方行政や市町村運営 (税収)の向上を図る目的の一つとして、安易な人口増加の発想は長年住み続けている人々にはストレスでしかない。地域の文化・風土に理解を示し、尊重し、馴染むよう理解を示す人々の移住が必要に思う。長年住んで地域を見守ってきた人々と、安易な移住者との些細な意識のずれが大きな軋轢に発展したり、無益なトラブルと支出が増加しないような対策も重要と思われる。国内では人口減少は必ず進む、それも少子高齢化をともなう世界でも類のない現象となって、あと25年程度で1億人を割り込むと国も推計している事実である。人口減少が続いても、都市や地域住民の生活がある程度維持できるのであれば、外国人を含めた無謀な移住者計画は、これまでの生活や治安、防災、環境保全にとって反対に障害にならないとも限らず、今よりもっと大きな社会問題につながることも頭にとどめる必要がある。

イタリアの観光都市アマルフィはアマルフィ海岸が世界遺産に登録されていて、世界中から観光客を呼び込める観光スポットでもある。和歌山県有田市櫃地区は、地形的に似ている部分もあると思うが、イタリアを真似するのではなく、独自の移住定住促進の方法も考えて欲しいと思う。まず、過疎化になった原因を分析し、この地区に人が定住するために何が必要なのか考えて欲しいと思う。今は、まだコロナ禍で十分な観光客を呼び込むことは難しいが、陸路、海路の両面から、まず交通の利便性の悪さを解決することからでも行ったら、住んでみようかという人が出てくるのではないだろうか。

批判的、懐疑的な意見も目立ちますけれど、観光も一つの産業なのでこうした試みは悪くないと思います。そもそも過疎化の最も大きな理由は地場産業が無いことでしょうから、観光産業が賑わうなら必ず定住者も増えます。一方、「インスタ映え」を狙う戦略はそれ自体悪くは無いのですが、おそらく最終的な観光地としての定着にはつながらないと思います。インスタ映えを狙ってやってきたお客さんが、「また来たい」と思い、「人にも勧めたい」と感じられる他の何かが無ければいけません。かつライトアップだけでは、極端な話、大坂からドライブでやってきて、写真をSNSにアップした後また大阪に帰っていくというお客さんが増えるだけの可能性があります。滞在したいと思わせる何かを育成しなくてはなりません。何もしないよりは良いと思いますが、インスタ映えだけでは絶対にすぐ息切れすると思います。

有田市の矢櫃の大波止には、50年近く前にカーバイトランプを照らした小あじの夜釣りに行ったことがあります。それから50年経って高速道路も紀南まで伸び、我々の行動範囲も広がりました。結果として近場の景勝地を見逃していることにもなっている感じはあります。人口低減の日本国としては、やはり観光に目を向けて、全国津々浦々、着実に整備していってほしいと思います。電車の駅番号と同じく、既存の道の駅も含めて、W195とか、外国人にも解りやすい番号をつけていってほしい。恐らく全国では、万を超える箇所が出てくるのだろうと思います。

いい結果は見込めないと思うよ。衣食住なのか精神的なのか、今いる環境より良くならないと移住は無いだろうから、取り敢えずインフラや先輩住民の雰囲気などのPRの方がいいと思う。
因みに都会から引退してきた人を狙ってるなら相手が好き勝手出来ると思って来る可能性もあるのでその辺の我慢とかも必要だと思う。予めガチガチなルールを決めて公開し、それでも良いよって人を集めたほうが良いと思う。
軽く考えてると双方にとって良い結果にはならない。

美しい歴史ある港町は、日本中に沢山あります。その景観は、長い年月かけ、その地に住むための千恵や工夫の文化があってこその美しさだと常々考えます。最近、空き家を「カフェ」や民泊、「アート」にして若者の気をひこうという試みが当たり前のように安易な手段として行われてますが、成功している例をほとんど見ません。何をもって成功というのかもわかりません。SNSでBuZZれば成功なのでしょうか?その地に根付く生活文化や歴史のありのままこそが美しく残すべきものであって、そのためにどうするかをもっともっと深く考えていくべきだと思っています。行政は、耳障りの良い外部の企画会社の提案に安易に乗るのではなく、真剣に伝統文化と景観の継承を考えるべきだと思っています。