事実関係の整理:過去の強硬策
インドネシアが違法漁船を「見せしめ」として爆破・沈没させる政策は、ジョコ・ウィドド前政権下のスシ・プジアストゥティ海洋水産相(2014〜2019年)が主導したものです。
実績: 5年間で合計500隻以上の外国漁船(ベトナム、フィリピン、マレーシア、中国など)を爆破・沈没させました。
対中国: 中国漁船も対象となりましたが、外交的配慮から他国に比べると沈没処理される数は少なめでした。しかし、2015年や2016年には実際に中国漁船が爆破・沈没させられた記録があります。
目的: 「海洋大国」を掲げるインドネシアの主権誇示と、年間数兆円にのぼる漁業被害を食い止めるための抑止力として行われました。
現在のインドネシアの政策
現在のプラボウォ政権(2024年10月〜)やその直前の時期は、環境負荷や外交関係を考慮し、「爆破・沈没」よりも「没収・活用(地元の漁師に譲渡)」や「罰金による行政処分」へと軸足を移しています。
2025年の実績: 11月までに255隻の違法船を拿捕していますが、これらを一斉に爆破・沈没させるような大規模な「パフォーマンス」は近年行われていません。
1. 「スシ大臣」の強硬姿勢と中国の反発
2014年に就任したスシ・プジアストゥティ海洋水産相は、「Sink the vessels(船を沈めろ)」というスローガンのもと、拿捕した漁船を爆破するパフォーマンスを公開しました。
- 中国の論理: 中国政府は、自国の漁船が操業していた海域(ナトゥナ諸島周辺)は中国の主張する「九段線」と重なる「伝統的な漁場」であると主張しました。
- インドネシアの論理: インドネシアは「九段線」を国際法(国連海洋法条約)上認めておらず、自国の排他的経済水域(EEZ)内での違法操業は主権侵害であると一蹴しました。
- 外交摩擦: 中国外務省は当時、公式に「深い懸念」を表明し、インドネシアに対して「建設的な協力」を求めましたが、インドネシア側は沈没処理を継続。これにより、両国間に一時的な緊張が走りました。
2. 「配慮」と「毅然」の使い分け
興味深いのは、インドネシアが中国に対して極めて高度な外交的バランスを取っていた点です。
- 数の調整: 実は、爆破された漁船の圧倒的多数はベトナムやフィリピンの船でした。中国漁船も沈められましたが、その数は外交的影響を考慮して意図的に抑制されていたという分析があります。
- 名称の変更: 中国との緊張が高まった2017年、インドネシアはナトゥナ諸島北方の海域を「北ナトゥナ海」と改称しました。これは、そこが中国(南シナ海)の一部ではなく、インドネシアの海であることを明確にする外交的な「攻め」の姿勢でした。
3. 経済協力と主権問題の切り離し
インドネシアは、中国からの巨額のインフラ投資(高速鉄道プロジェクトなど)を受け入れつつ、海上の主権問題については譲歩しないという**「経済と安保の切り離し」**を徹底しました。
- 結果: 中国側も、インドネシアを完全に敵に回すとASEAN内での影響力を失うため、漁船が撃沈されても大規模な経済制裁などの報復には踏み切りませんでした。これが、インドネシアの「毅然とした態度」が成功したと言われる理由の一つです。
4. 国際的な波及効果
この政策は、他の近隣諸国にも大きな影響を与えました。
- ASEANへの刺激: 中国の海洋進出に悩むベトナムやフィリピンにとって、インドネシアの行動は「中国に対してここまで強く出ても決定的な破綻は免れる」という一つのケーススタディとなりました。
- 抑止力の形成: 実際に爆破映像が世界に流れることで、「インドネシアの海域に入ると船を失う」という強烈なメッセージが近隣諸国の漁師や業者に伝わり、一定の抑止効果を生んだことは間違いありません。
専門家としての分析
- インドネシアのこの政策は、「実力行使(爆破)」という極めて強いメッセージを、あえて「国内法執行(違法操業対策)」という枠組みで実行したことに戦略的な妙味がありました。軍事衝突ではなく「警察権の行使」として振る舞うことで、中国側も軍事的な反撃の名目を見出しにくかったのです。
- 現在は、プラボウォ新政権下で中国との協調路線も模索されていますが、海洋主権に関しては「スシ時代の遺産」である毅然とした姿勢が、現在の交渉力の土台になっています。

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