1.相手の自尊心を踏みにじる意味のない論争はしない
論争が始まると相手は元々の考えよりもさらに自分の意見を強く主張しがちである。実際のところ論争には何の意味もない。論争に負ければ何も言えなくなり、逆に相手を完全に打ち勝ったとしても一体何の得があるのだろうか。一時的に勝利を得ることはできるかもしれないが、その快感は長続きしない。それどころか論争での勝利とは相手の自尊心を踏みにじった代償として得たものにすぎず、結果として相手の恨みを買い、思わぬトラブルに巻き込まれることもあるかもしれない。相手と論争する時には2つの結果を考えなければならない。1つは意味のない表面的な勝利であり、もう1つは相手からの好意である。この2つは同時に手に入れることはできない。それならば自分が本当に求めているものが何なのか、じっくりと考えてみる必要がある。
2.謙虚な態度で心を開く
傲慢にならず、謙虚であり、他人の批判を素直に受け入れ、自らの誤ちを正し、広い心で他人の長所を取り入れてこそ自分の長所もより一層向上させることができる。実際のところこれは言うほど簡単なことではなく、実践するのは難しい。表面的な謙虚さではなく本当の意味での謙虚さこそが人生において最も誠実な態度である。世界は広く大きくさまざまな不思議な出来事が日々起っている。その中でどんなに力が強く、どんなに聡明であっても、人間とは広大な宇宙の中のほんの1粒の塵にすぎない。世の中には自分よりも優れた人間が必ずいるものなのだ。
3.自分の才能を過度にひけらかさない
賢い人間とはむやみに自分の才能を誇示することなく、むしろ愚かに見せるものである。「光を隠し、愚かさを見せる」ということは、決して自分が本当に愚かであることを示すのではない。自らを守り、無用な災いを避け、才能を最大限に生かすための手段である。目立とうとすること自体は積極的な人生態度の現れであるが、自分の事ばかり誇示し、周囲の環境を無視してしまえば、他人と調和することができず、嫌悪感を抱かせることになる。古来より「才能はむやみに表に出さず隠すべきである」と言われてきた。この道理を理解してこそ、小人の嫉妬を避け、物事を順調に進めていくことができる。美しい人は、例え家の外に出なくても、多くの人が会いたがるものである。自らを無理に誇示しようとするのではなく、内面を磨く事こそが大切である。
4.賢い人は、時と場所、そして相手を見極めることができる
賢い人と賢いふりをする人は異なる。賢い人は自分の知恵を深く隠し必要な時だけそれを使う。一方で賢いふりをする人は「他人を陥れる事」を才能と誤解し、機会があるごとにそれを使おうとする。しかし最終的には自分が仕掛けた罠に自ら落ちてしまうものである。実際のところ、知恵は財産であり、重要なのはその財産をどこでどのように使うかということである。小細工を弄してばかりいると、いずれは災いを招くことになる。
5.小人に立ち向かう技術と、適切に避ける技術が必要である
人は大きく分けて君子と小人の2種類がいる。君子は公明盛大であるが、小人は常に他人の利益を計算し、わずかな得を求めて動くものである。小人は時に他人を無理に利用しようとし、その勢いは止まることを知らない。従って小人と付き合う際には慎重でなければならず、できるだけ距離を置く方が懸命である。君子の恩は買っても小人の恨みは買うな」と言われるように、小人の恨みは一生つきまとい人生を妨害することさえあるのだ。だからこそ小人を決して軽視してはならない。君子は小人と友人にはならなくとも、適切に対処し必要に応じて距離を置くことを心得ている。
6.お世辞ばかり言う人を側に置かないことが大切である
多くの人は家庭や社会の中で、他人の機嫌を損ねないように気を使う。そのため相手の気分を害さないように心地よい言葉だけを選び、耳の痛い話を避ける傾向がある。もちろん優しい言葉を使うこと自体は悪いことではない。しかし問題は、もし友人が聞こえの良い言葉ばかりを口にし、本当に必要な助言をしないのであれば、それは友人としての役割を果たしていないということだ。
7.自分を空にしなければ、他人を受け入れることはできない
驕りは人を包む悪しき物のように、助言をくれる友人を遠ざけてしまう。他人の意見が自分と異なるからといって、決して傲慢な態度を取るのではなく、まずは自らを顧みるべきである。そうすることで心を開き、より成長することができる。心を空にすることで他人を受け入れることができるが、傲慢になれば自分以外の誰も受け入れることができない。人は知らぬ間に満杯のコップのようになってしまうものである。しかし傲慢さを捨て、心を開いて他人から学ぶことができれば、今まで気づかなかった多くのことを発見することができる。
謙虚には2種類がある。地位が低かったり能力が不足していたりする時に謙虚でいることはそれほど難しいことではない。しかし成功を納め他人から賞賛されるようになった時にこそ謙虚さを保つことが真に尊敬される姿勢である。全ての人が相手を思いやることができれば強者が弱者を抑えつけることはなく、富める者が貧しい者を踏みにじることもなく、高貴なものが身分の低いものを圧迫することもなく、賢い者が愚かな者を欺くこともない。叩けば音が鳴るが、叩かなければ音は鳴らない。君子は尋ねられれば答えるが、尋ねられなければ自ら語ることはしない。
言葉には3つの種類がある。
「考えた上で話す場合」「推測して話す場合」「そして行動に基づいて話す場合」である。
考えて話すとは、自分が口にしようとしている言葉が古の聖人たちの言葉や行動と矛盾していないかをよく考え、それに反しないと確信できた時に初めて口にすることである。
推測して話すとは、自分の言葉が相手にどのように受け取られるかを考えた上で慎重に発言することである。
行動に基づいて話すとは、自分の言葉が実際にどのように実行されるのかを熟考し、他人の立場に立って計画を立てた上で話すことである。君子は自分の姿を水に映して見るのではなく、人を鏡として己れの行いを省みるべきである。水に映る自分の姿は外見しか映さない。しかし人を鏡とすれば自分の行動の正否を判断することができる。根本が濁っていればその末端が澄むことはない。行動の基盤がしっかりしていなければ必ず失敗する。人の心を理解することができればその人を味方にすることができるが、人の心を知らなければその人とは遠ざかってしまう。世の中に争いや恨みが生まれないようにするにはまず相手を思いやることが大切である。争い事はその根本を見極めなければ真の解決には至らない。世の中の浅はかな君子は小さなことには精通していても、大きなことには無知である。どれほど賢い王であっても道理を知らなければ民を導くことはできない。どれほど慈悲深い父であっても、不肖の子を無条件に愛することはできない。だからこそ人は常に思慮深くあり、他人にとって有益な存在でなければならない。
昔、夏王朝の桀王は暴政を敷き天下を混乱に陥れた。しかし殷の湯王はその後を継ぎ、乱れた国を立て直した。殷の紂王もまた暴虐な政治で国を乱したが、周の武王がそれを正し、見事に国を納めた。
どれほど国が荒れ果てていても、それを立て直すことができる人物が現れれば、必ず回復する。天下の盛衰は運命では決まらない。天命や運命論を盲信するのは愚か者のすることである。正しい道理を深く守ることができず、物事を広く見渡すことができず、善悪を見極めることができないものは、世において成功することはできない。善行を行うのは非難を避けるためでもなく、名誉を得るためでもない。ただ人として当然のことをするだけである。
布を染めるには赤い染料や青い染料に浸す必要がある。それと同じように人も最初に触れる環境によって大きく影響を受け変化していく。だからこそ日頃から環境を慎重に選び、正しい道を歩むことが大切である。
人には限られた時間がある。それを無理に急いで使おうとする者は、まるで弓の弦を限界まで引き絞り、一切緩めることをしないようなものだ。そうなれば弓はすぐに壊れてしまう。人間には常に適度な余裕が必要なのだ。
水は土に勝るが、土は水を吸収する。土は木に勝るが、木は土に根を張る。木は斧に勝るが、斧は木を切る。鉄は火に勝るが、火は鉄を溶かす。火は水に勝るが、水は火を消す。これがこの世の道理である。
国を納め、家庭を守る上で最も重要なのは、無駄な支出をなくすことである。これは古の聖賢の教えであり、また天下にとって最も利益となることである。道義が失われた社会において、地位につき財をなすことは正しき者の喜ぶことではない。100の門のうちたった1つの門を閉ざし他の門を開けたままにしていれば、それは泥棒への防備にはならない。1つだけ備えても他の準備が愚かであれば意味がないのだ。
1つの目で見るより2つの目で見る方がよりよく見える。1つの耳で聞くより2つの耳で聞く方がより正しく聞こえる。正しい言葉には耳を貸さず、誤った理屈ばかりを聞き入れるものは、まるで実るべき作物を捨て無価値な雑草を拾い集めるようなものである。苦労ばかりして得る物は少ない。正義を掲げながら他国を侵略し、それを功績とし、正しい行いだと称する。それこそが不正義である。
本当に安らげる場所がないのではない。心の安らぎがないから不安になるのだ。心さえ満たりていればどのような状況でも安らぎを得ることができる。自分の心を理解し、適切に対処することが大切である。人間は努力によって全てを変えることができるのだ。
バカのふりをしろ
1832011/01/02(日) 07:19:22 ID:ZX2LVpRG
アホが出世するシステムを変えないとダメだな。「アホが出世するとアホを引き立てる」「自分を追い抜く人間を遠ざける」「自分のいうとおりにやらないとパワハラ(配属、昇給)で仕返しする」程度の低い指令をだすが、自分ではそれがわからない。「朝早く来るとか、サビ残を強要する」「しかもそれが当たり前だと思っている」上司の指令に対して間違っていても意見を言わず、そのまま下に指令する。ゴマすりや贈り物に対して、配属や昇給で差をつける。
[コラム] 「日本の生産性」は、なぜこれほどまでに低いのか バラマキで企業が抱え込む「社内失業者」が原因?
- サビ残や雇用の流動性の低さってことに起因してるだろうけど、根本として、お客様は神様ですなんてアホなことを続けてるかぎり、サビ残もなくならないし、生産性など上がるはずもないと思う。
- 社員より株主の利益評価を優先するような経営者が増えているのも一因でしょう!?
- 株主よりも社員の利益を優先してきたから生産性が低い。それを今、改善しようとしている。
- そんな会社にしがみついてる社員がバカなんじゃないの?
- その意見は一理あるよな。現状は、日本では転職回数はネガティブな印象を持たれるから、DQN企業でもなかなか辞められない。採用面で企業側が強いのも問題のひとつかもしれん。これは別の見方をすれば、解雇面で従業者が強いとも言えるけどね。つまりは流動性が弱いの一言だね。
- 社内失業者を社外に放り出せばよい。
- 毎年1%くらいの社員は無条件で整理解雇できるように法改正すればいいのに。
- 日本の完全失業率の低さは世界優秀。「労働者の待遇良くして、失業者を大量に生み出せば労働生産性が上がる」「逆に労働者の待遇低くして失業者を極力減らすか」どっちが幸せか
低賃金長時間労働なだけだろw - 無駄メシ食いといえば公務員をおいて他にない
- この労働生産性がいい国は富をあまり生み出さない企業がバンバン潰れて失業者が溢れてる国の方が上がりやすかったりするので高いからと言って喜べない側面もあるのです
- 社会主義は必ず破綻する。支那のようなぺてん師経済が通用してしまうから、資本主義が永遠に続くとは言わないが差をつけて(競争して)自動調節機能を働かせなければならない。資本主義が破綻する原因は、ルールを無視したぺてん師経済ではないか、と最近考えている。原因は共産社会主義が破綻し、ルール平気で無視するゴロツキどもが資本主義経済でデカイ顔をしだしたからだ。サヨク・リベラルの連中は世界共通の社会のガンだ。
- 給料に見合わない仕事しかできない人は、給料をダウンすべきだと思うが、現実世界では労基法で禁止。病気・事故等で以前の能力を発揮できない場合は仕方ない。企業はセーフティーネットの役目も負っており、そういう人の給料ダウンはしない方がいいし、雇用も 回復するまで継続するが、そうではない、寄生虫の様な人もむやみに解雇できない。生産性をうんぬんするなら、不要社員の退職や給料ダウンができる労基法にするのが先じゃないか?
- 怠け者を切ったらまた怠け者が出来るだけって話良く聞くけど簡単に生産量の規模にあった人数に調整できないのが問題だよね
- 昔、松下幸之助氏存命中に、時の総理大臣が失業率の低さをあたかも自分の功績であるかのように自慢した所、幸之助氏は、我が社には社内に1万人の失業者を抱えていると言って叱咤した事があり、そのニュースが、海外でも紹介された。諸外国は、この事が日本型の経営の特質、会社に対する強い忠誠心の源泉だと賞賛した。この会社社会主義、会社型福祉政策は、80年代までは、非常に上手く働いた。
- 日本の会社員は本当に仕事してるのか、それとも仕事のふりをした儀式をしているのかよくわからない。わざと仕事薄めて残業して、その残業がサービス残業。ちゃんと仕事して定時に帰ればいいのに。
- 確かに日本の会社って儀式が多いよな。エクセルの表計算でやればいいのに何故か電卓でひたすら叩けと言われたり、逆に非生産的な作業をして長引かせる事で人員が必要だから雇用を守ってるみたいな。手段と目的が入れ替わる事が多々ある。結局適正な量の仕事になったら人を切って残業させようとする欲張り経営が結果的に損してるってだけなんだけど日本はさっさとサビ残の処罰厳格化と監視をするべきだわ
- 日本の企業は正しく人事評価するのが苦手だからな。どうしても残業してる者=頑張ってる奴になる。人や成果を見抜く目がない
- 日本の会社員は本当に仕事してるのか、それとも仕事のふりをした儀式をしているのかよくわからない。わざと仕事薄めて残業して、その残業がサービス残業。ちゃんと仕事して定時に帰ればいいのに。
- 給料に見合わない仕事しかできない人は、給料をダウンすべきだと思うが、現実世界では労基法で禁止。病気・事故等で以前の能力を発揮できない場合は仕方ない。企業はセーフティーネットの役目も負っており、そういう人の給料ダウンはしない方がいいし、雇用も回復するまで継続するが、そうではない、寄生虫の様な人もむやみに解雇できない。生産性をうんぬんするなら、不要社員の退職や給料ダウンができる労基法にするのが先じゃないか?
- 仕事も無いのに付き合い残業する奴が多いからじゃねえの。さっさと帰れよ。
- 「管理職は、部下がみな定時で上がると上役からの目が気になる」「部員は残業しないと収入が減り困る」業績が良ければ良いほどこの傾向が強まる。また、業績が悪い場合は+「部員はみながんばってるぞ」の雰囲気を、管理職も部員も演出しなければならない。これが全てw
- 定時で100の量をこなしても、残業して100の量をこなす奴の方が給料が良いんなら、前者も残業して100の量こなすわな。