沖縄県石垣市長選 中山義隆氏が5選 出直し選で領土・防衛が争点
沖縄県石垣市長選は、2025年8月17日に投開票され、前市長で無所属の中山義隆氏(58歳)が5期目の当選を果たしました。中山氏は自民党と公明党の推薦を受け、無所属新人の砥板芳行氏(55歳)を1799票差で破りました。この選挙は中山氏が市議会の不信任決議を受けて失職したための出直し選挙であり、日本復帰後初の首長不信任による市長選となりました。
選挙の主要な争点は市政の運営方針と国の防衛力強化への対応でした。中山氏は「日本一幸せあふれるまち石垣市」をスローガンに掲げ、台湾航路の貨客船事業やゴルフリゾート施設などの経済振興策を訴えました。また、尖閣諸島を行政区域に含む石垣市の領土保全に積極的に取り組み、国が推進する防衛力の南西諸島シフトに対しても理解を示しています。具体的には陸上自衛隊石垣駐屯地の機能強化や日米合同訓練の継続に賛成の立場です。
一方で、砥板氏は市政刷新や基地機能強化への反対を掲げ、石垣駐屯地の拡大や共同軍事訓練に慎重な姿勢を表明しました。投票率は63.00%で過去最低となっています。
また、沖縄県内の主要な11市で「オール沖縄」系の市長は不在となり、石垣市でもその構図が続いています。中山氏は2010年に初当選し、2025年6月の公文書改ざん問題で市議会の不信任決議を受けて失職しましたが、今回の再選で引き続き市政を担当することになりました。
この選挙結果は、石垣市の領土防衛にとって重要な意味を持ち、国の防衛政策の南西シフトに弾みをつけるものとみられています。尖閣諸島の安全保障が市政の大きなテーマとなった選挙でした。
オール沖縄 辺野古移設反対の親中派
オール沖縄は、沖縄県の基地問題に関わる保守と革新の枠を超えた政治的連携グループです。2012年頃から、保守の翁長雄志元那覇市長が掲げた「保革を越えた沖縄」という政治スローガンのもと結成されました。主な目的は、辺野古への新基地建設反対やオスプレイ配備撤回、普天間基地の閉鎖・撤去を求める「建白書」の精神を実現することです。
2014年の沖縄県知事選で、辺野古移設反対の保守派翁長雄志候補を革新勢力が支援して共闘し、それがオール沖縄の始まりとなりました。その後、社会民主党、日本共産党、自由党、沖縄社会大衆党など複数の政党や市民団体、首長たちが参加し、県議会や那覇市議会で過半数を確保する勢力となりました。
2015年には「辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議」が発足し、多様な団体が結集し辺野古移設反対を掲げ、政治的影響力を持ち続けています。ただし、近年は名護市長選や那覇市長選などで敗北が相次ぎ、議会の過半数も割り込むなど苦戦も見られています。
全体として基地移設反対を軸に保守と革新が協力し、沖縄の政治を動かす大きな政治勢力として存在していることが特徴です。最新の参院選(2025年)でもオール沖縄系の候補者が当選確実となるなど、引き続き影響力を持っています。
尖閣など158離島に命名 政府、中国念頭に領土明確化
2014年08月01日
2014年8月1日、日本政府は日本の領海の基点となる約500の離島のうち、名前がなかった158の無人島に新たに名称を付け公表しました。この中には沖縄県の尖閣諸島の一部も含まれています。これらの名前は今後、海上保安庁の海図や国土地理院の地図に示され、所有者のいない島は国有財産台帳に登録される予定です。
命名の背景には、中国の海洋進出や尖閣諸島周辺での挑発行為への対応があります。2012年に日本政府が尖閣諸島を国有化した際、中国は強く反発し、その後も挑発が続いています。また、中国人が日本の離島の土地を購入する動きもあり、政府内で懸念が高まっていました。これに対し、日本政府は島の名前を明確にすることで、日本の領土であることを国内外に示し、領海管理を強化しようとしています。
今回命名された158の島は全国22都道府県にまたがり、東京都の小笠原諸島39島、鹿児島県31島、北海道15島、島根県14島、沖縄県11島などが含まれます。尖閣諸島では新たに5つの島に名前を付け、久場島周辺に「東小島」「西北西小島」「南東小島」、南小島周辺に「南東小島」「南西小島」としました。
離島への命名は、日本の実効支配の強化には直接つながらないものの、国内外に領土であることをはっきり主張する材料となり、政府も海洋政策や防衛の観点から取り組みを進めています。菅義偉官房長官は「領海の線引きの中で名称を付与する方針は以前からあった」と説明しています。
領海は沿岸国の海岸線から12海里(約22キロメートル)までで、その範囲の水面や水中の主権が沿岸国に及びます。また、排他的経済水域(EEZ)は海岸線から200海里(約370キロメートル)で経済活動の管轄権が認められています。これらは国連海洋法条約で定められています。
明治31年(1898年)に帆船・龍睡丸が太平洋で難破し、16人が小さな珊瑚礁の無人島に漂着した実話の冒険記です。飲み水や食料がない中、彼らは協力し合い、火の確保や見張り櫓の設置、海亀牧場づくりなど工夫を重ねて生き延びようと奮闘します。日本男児らしい規律と助け合いの精神が描かれており、感動的な実録冒険譚として高く評価されています。椎名誠氏の解説も付いており、「十五少年漂流記」に勝るとも言われる名作です。
須川邦彦は東京生まれで、商船学校卒業後に海運や戦争の経歴を持ち、のちに商船学校の校長などを務めた人物です。本作は彼の著作の中でも代表的な作品の一つとされています。
内容としては、実際の漂流事故を基にしたノンフィクションで、16人が無人島でどのように生き抜いたかを詳細に描写しています。孤独ではなく規律ある共同生活と日々の創意工夫が中心テーマです。
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