スマホ・タブレットはアプリ依存させられるのが鬱陶しい 情報の一覧性が低く、一度に表示できる情報の量は限られ、文字の入力やコピペなどは手間がかかる。好奇心や知りたいという気持ちが抑制される

  • アプリに依存してしまうことが原因だと思う。自由度が低い。
  • SmartNewsなんてニュースの内容より、デザイン。
  • 「電波がなくてもニュースが読める」という技術を誇示しているだけだし。

2015/4/21

スマホ・タブレットの功罪
スマホ・タブレットによるインターネットアクセスは大変お手軽で便利です。電源ボタンをぽちっとおして、ポンポンポンと数回タップするだけで最新のTLや、未読のブログ記事を読み始めることができますし、画像もリンクもたどっていくことができます。シュンと画面を弾いて滑らかにスクロール、ピンチで拡大縮小も自由自在です。「すでにフォローしている」情報をチェックするにはとても便利なデバイスと言えます。
他方、情報の一覧性が低く、一度に表示できる情報の量は限られています。また、文字の入力やコピペなどは手間がかかります。
以前から理解したうえで、スマホを活用してきたつもりですが、最近、弊害・ダウンサイドが気になり、スマホばかり使っているのはまずいと考えるようになりました。
それは、「スマホを使うことにより、好奇心や知りたいという気持ちが抑制されてしまい、新しいことや、より深く知るための機会を逃しているのでは」ということです。
TLでも、ブログ記事でも、ニュースでもPCで読んでいるときは、関連情報も含む画面に表示されている情報がトリガーとなって、「これなんだろう?」とか「これもっと知りたい!」と感じ、別のタブで検索したり、リンクを開いたりして、興味のおもむくまま幅優先・深さ優先の双方で読み進めることができます。一度に表示されて認識できる情報が多いこと=一覧性が高いこと、文字入力やポインティングデバイスの操作性が高いことによる効果と言えます。
他方、スマホの場合は、一覧性が低いため、コンテンツの付属・関連データが目に入ってくる機会が低いという根本的な問題と、「これについて知りたい」ということがあっても、入力しにくいということから来る億劫さにより、その好奇心が抑制されてしまうことが多いことに気が付きました。
そんなことが重なり、たいして出来のよいとはいえない私の頭のなかに「あれ気になるなぁ」というモヤモヤとしたものがどんどん積まれ、余裕がなくなり、ストレスとなっています。
スマホ中心生活が「知りたい」という思いを抑制している気がする – ひと手間くわえた積立投資で資産形成