李克強(リー・コーチアン)は、中国の第7代国務院総理(首相)として2013年から2023年まで在任し、改革開放路線を重視したエリート官僚であった。彼の業績(功)と限界・問題点(罪)は、以下のように整理できる。
功(功績・評価される点)
経済改革と「リコノミクス」
- 李克強は経済学博士号を持つ本格的なエコノミストであり、「リコノミクス」と呼ばれる市場主導の構造改革を推進した。
- 計画経済からの脱却を訴え、民間活力の導入や市場経済化を進める政策を打ち出した。
- 彼の発言をもとに、電力消費量・鉄道輸送量・銀行融資の増加率を重視する「李克強指数」が欧米でも注目された。
国際協調と外交
- 西側諸国とも「話が通じる」リーダーと評価され、日中関係でも2018年に中国首相として8年ぶりの来日を果たすなど、国際協調を重視した。
大衆目線のリーダー
- 共産主義青年団(共青団)出身で、庶民的な感覚を持つ「大衆目線のエリート」として親しまれた。
教育の改革開放世代
- 改革開放後の教育を受け、英語や経済学など西側的な知識を身につけていた点も、従来の共産党幹部と一線を画す。
罪(限界・問題点・批判)
習近平政権下での権限縮小
- 習近平による権力集中が進む中、首相としての権限は次第に制限され、経済政策の自由度も狭められた。
- 政策の実行力が十分に発揮できず、「影が薄い首相」と評されることもあった。
未完の改革
- 「リコノミクス」は注目されたが、習近平の統制強化や国有企業優遇政策の前に、構造改革は道半ばで終わった。
- 経済の減速や格差拡大など、在任中に中国経済の課題が顕在化した。
党内権力闘争の敗北
- 胡錦涛の後継として総書記候補にも挙げられたが、江沢民派の後押しで習近平が総書記に就任し、李克強は首相にとどまった。
- 習近平との対立が明確化し、最終的に党内での影響力を失った。
突然死と「不穏な憶測」
- 2023年10月、上海で心臓発作により急死。死因や経緯について中国当局が詳細を明かさないため、暗殺説や不審死説などの憶測が飛び交った。
- 民衆の間には、李克強の死が政権不満の引き金になるとの声もあった。
総括
李克強は、改革開放路線を体現する実務型エリートとして中国経済の発展に一定の貢献をしたが、習近平の権力集中の前に政策実現力を発揮できず、未完の改革に終わった。彼の死は、習近平体制の独裁色強化と中国経済の不透明感を象徴する出来事ともなった。
『この厄介な国、中国 改訂版』岡田英弘 ― 概要と特徴
『この厄介な国、中国 改訂版』(ワック、2016年)は、東洋史学者・岡田英弘による中国論の代表的著作です。著者は東京外国語大学名誉教授で、モンゴル史・満洲史を専門としつつ、中国史・日本史にも幅広い知見を持つ研究者です。
本書の主な内容
- 本書は、現代中国の政治・社会・歴史を「日本人が持つ通念やイメージ」を一度疑い、歴史学の視点からその本質を改めて問い直す構成となっています。中国の外交・内政・社会構造・言語・思想・秘密結社・近代化など、多角的に分析しています。
章立てと主な論点
- 第1章 外交問題はすべて内政問題・・・中国の外交姿勢や日本との関係、指桑罵槐(遠回しの批判)など中国人の行動原理を解説。
- 第2章 他人はすべて敵と考える民族・・・中国社会に根付く「他者不信」、都市と農村の分断、漢族概念の虚構性などを論じる。
- 第3章 現代中国語は日本語から作られた・・・近代中国語の成立過程や、言語と国家統一の関係、日本語の影響などを指摘。
- 第4章 中国近代化の原動力・秘密結社・・・表の中国史と裏の中国史(秘密結社や宗教的背景)の関係を分析。
- 第5章 集団の行動原理なき国・・・日本人が中国とどう向き合うべきか、国家観や近代化の違いを考察。
著者・岡田英弘について
岡田英弘(1931-2017)は、東京大学卒業後、東京外国語大学教授などを歴任。モンゴル史・満洲史にとどまらず、中国史・日本史・世界史を独自の視点から論じ、日本の伝統的な史学に対しても批判的な立場をとりました。1957年には『満文老档』の研究で日本学士院賞を史上最年少で受賞しています。
評価と特徴
- 歴史学・言語学・社会学を横断した独自の中国論
- 日本人の中国観を根本から問い直し、通説に疑問を投げかける
- 中国社会の行動原理や歴史観、近代化の背景などを平易な言葉で解説
- 「現代中国語は日本語から作られた」など、刺激的な仮説や指摘も多い
こんな人におすすめ
- 中国の現代社会や歴史、日中関係の本質を知りたい人
- 通説にとらわれない歴史観・国際観を学びたい人
- 岡田英弘の独創的な歴史論に興味がある人
まとめ
『この厄介な国、中国 改訂版』は、現代中国を理解するうえで「常識」を疑い、歴史学・社会学の観点から多面的に中国を読み解く一冊です。中国や日中関係について新たな視点を得たい読者にとって、示唆に富んだ内容となっています。
『小室直樹の中国原論』の概要
『小室直樹の中国原論』は、社会学者・小室直樹による中国社会の本質を科学的かつ体系的に分析した名著です。初版は1996年に刊行され、2021年に新装版が出版されています。外交官・評論家の佐藤優氏も「抜群に役立つ中国論。天才・小室直樹にしか書けない名著」と推薦しています。
主な内容と分析の特徴
1. 中国社会の人間関係構造の解明
- 本書の最大の特徴は、中国社会における人間関係の多重構造を「帮(ほう)」と「宗族(そうぞく)」という二つのキーワードで鮮やかに解き明かしている点です。
- 帮(ほう):最も強固で絶対的な人間関係を指します。三国志の「桃園の誓い」に例えられるような、血縁を超えた結束体です。帮の関係に達すると、契約書すら不要となり、絶対的な信頼が成立します。
- 情誼(チンイー):帮の外側に位置する、深い友情や義理の関係。
- 関係・知り合い:さらに外側に広がる薄い人間関係。契約を結んでもこのレベルでは簡単に裏切られる可能性があると指摘されています。
- この同心円状の人間関係構造は、中国社会のあらゆる場面で作用しており、ビジネスや外交においても極めて重要な理解の枠組みとなります。
2. 宗族(そうぞく)というタテの共同体
- 宗族とは、同じ姓を持つ父系血縁集団で、強固なタテの共同体を形成します。中国社会ではこの宗族が社会秩序や人間関係の基盤となっており、結婚や相続などにも大きな影響を与えています。
3. 法・契約・所有の独自性
- 中国における「契約」「法」「所有」は、近代資本主義社会のそれとは大きく異なります。たとえば、契約は人間関係のスタート地点に過ぎず、関係が深まらなければ簡単に反故にされることもあると分析されています。
4. 中国思想と歴史観の重視
- 韓非子・法家思想:中国人の意識の根底には韓非子に代表される法家思想があり、儒教とともに中国特有の統治や官僚主義の源流となっています。
- 歴史重視:中国では歴史が最高の聖典とされ、歴史意識が社会や政治の根本に深く根付いていることも強調されています。
現代中国理解への応用
- 本書は、中国ビジネスや外交に関わる人にとって、表面的な「中国論」ではなく、時代を超えて通用する「原理」を提供します。中国人との人間関係の段階を正確に理解することで、トラブルの回避や信頼関係の構築が可能になるとされています。
評価と意義
- 「中国の解像度を爆上げしてくれる本」と評されており、30年近く経ってもその分析の正しさと普遍性が高く評価されています。
- 日本人が抱きがちな中国への誤解や偏見を、冷静かつ科学的に解体し、隣国理解のための必読書とされています。
まとめ
『小室直樹の中国原論』は、中国社会の複雑な人間関係と共同体構造、法や契約の独自性、思想と歴史観の重要性を、体系的かつ明快に解説した一冊です。中国と関わるすべての人にとって、時代を超えて役立つ本質的な知見を提供しています。