1. 「どうしようもない事」と「どうにかしようがある事」 2. 「逃げ」と「違うと気付いてやめる事」 3. 成功病


おはようございます。

今日は【どうしようもない事とどうにかしようがある事】について

  • 世の中にはどうしようもない事と、どうにかしようがある事があって、なせばなるが信念の成功者も、よく見ているとこの判断をすごく上手にやっている。絶対に逆らえない流れには逆らわず、自分の長所が生かされる場を選んでいるから、やりきれば結果が出る。
  • 昔200Hというのがあったのだけれどある日廃止された。諦めずに200Hをやって日本一になろうとした人もいたかもしれないけど、発揮する場所が無くなってはどうしようもない。自分が向かう方向は社会が望んでいるか、時代が望んでいるかという事が夢が叶う為の前提にある。
  • アスリートの才能があったからといって小説が書ける訳じゃない。なせばなると言う人も、自分なりに、これは違うな、頑張っても先がないなと気付いた時はすぐやめて違う道に変えている。最初にであったものが自分に合っている可能性はそんなに高くなく、合わないもので勝てるほど勝負も甘くない
  • 根性論というのはこのどうにもならないという分析を、弱気だという言葉で切り捨ててしまう。一回始めた以上は成功するか壊れるまでやめられなくて、やめればやめたから失敗したんだと言われる。悪い事に確率は低いけれど稀に結果が出る事もあって、その少ない成功例が過剰に取り上げられる
  • 奇跡の勝利、気持ちでもぎ取った勝利といわれるものがスポーツの世界にはあるけど、それは世間と本人の間でできるできないの認識のずれがあっただけだと僕は思う。外から”奇跡の勝利”に見えていても、本人からすれば”できる事をやっただけ”が真相だったりする。
  • アスリートにどんなになりたくても、これはやっぱり才能がないと難しい。ハードルをやって1年目の10代の子に十数年やってきた僕が負けた事があるけど、そんな事はしょっちゅうある。どうしようもない事はどうしようもなくて、自分にできる範囲のどうにかしようがある事を一生懸命やるしかない。
  • 朝起きて、今日が人生最初の日だと思ってみる。それでも今迄やってきた事を選ぶだろうか。人は辞める事は逃げじゃないか、せっかくここまでやってきたのだからと考える。執着と他者の評価を断ち切って、毎朝辞める事変える事も含めて、新しい気持ちで選択する事もできる。

【まとめ】

  • 世の中にはどうしようもない事もあるからそれにしがみついてもしょうがない。世界は広くて、もっとたくさんの選択肢がある。今やっている事を輝かせる為にも、次に潔く行く為にも、自分自身が過去の執着から離れる事にもっと寛容でいいと、僕は思う。
  • 悩んでやめるというのも人生を諦めない為のプロセスの一部ですよ。 RT  YMomiyama:「逃げ」なのか、それとも「違うと気づいた」のか確信が持てない時があります。何かアドバイスいただけたら嬉しいです

おはようございます。
今日は【”逃げ”と”違うと気付いてやめる事”】について。ちょっと先にこちらを話しておきます。

  • ”逃げる事”と”違うと気付いてやめる事”の違いは何なのかという事がよく聞かれるけど、これはすごく難しい。苦しい時はどちらも苦しいし、やめたい時もどちらにもある。唯一鍵になる事があるとすれば、心の内側に自発性があるかどうかぐらいだろうか。
  • そもそも”逃げ”だった場合、何が問題なのだろう。成長する機会を見逃すから、逃げ癖がつくから、逃げてはいけないと言われるから。じゃあ成長しないと逃げ癖がついてはいけないのか。自分の人生だから問題かどうかは自分が決める事で、つまり自分がどうしたいかでそれは決まる。
  • だから、この質問の本当の意味は、自分は一体何を欲しているのかがわからないというのが真相だと思う。つまりやりたいと自分が思っているかどうかがわからないから、続けていいのかどうかが判断できない。そして判断を外に委ねて余計に混乱してしまう。
  • じゃあ、やりたい事がみんなあるのかというと、多分しっかりとある人はそんなにいない。みんな自分の選択が合っているかどうかがわからなくて選択に苦しむ。一体この方向がやりたい事なのかどうかはほとんどの人が悩んで、その都度自分の心にこっちでいいか聞いている。
  • 続ければいつかブレイクスルーして開花していたかもしれない。やめれば自分に合うものに出会って才能が花開いたかもしれない。でも人は選ばなかった人生を生きる事はできないから永遠にどちらがよかったなんてわからない。選んだ方の人生だけが残り、その選択を引き受けるしかない。
  • 何かを目指して頑張る時に、報酬は二つある。一つはその道の先に成果を出して努力が報いられる事、もう一つは今この瞬間に目標が与えられて日々が輝く事。人は未来の成果を意識しすぎて、今時分が生き生きしているかどうかがわからなくなってしまう。何かを目指す報酬は今もまさにもらいつつある。

【まとめ】

  • 選択が正しかったかどうかは誰にもわからない。選んだ事を自分で引き受けて一生懸命生きて、今自分が感じている事を疎かにしない。人生はどんな姿勢で生きるかによって選択の意味が変わる。なぜなら失敗や、回り道は、人生が豊かになる為の必須の要素で、それらはどう生きるかにかかっている
  • 言ってみれば全部成功みたいなもんだと思います。既に真面目に悩んでいるんだから RT  dizyu: 私もよく選択に迷い、選んだ道を、これで良かったのかと不安に思う事が多々あります。 ものすごく不安になって胸が苦しくなったり。 でも自分を信じてあげなきゃいけませんよね。

失敗学のすすめ
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おはようございます。
今日は【成功病】について

  • 僕は若い頃とにかく成功したかったのだけれど、ある日そもそも成功ってのは何だろうと思うようになった。きっかけは父親の死で、父親が死ぬ前にぼそっとたこ焼き屋をやりたかったと母に言っていた事。家族の為にいろいろと背負って生きてきただろう父親の言葉がその時妙に引っかかった。
  • 父親は半年の余命宣告をされたのだけれど、その時から僕の頭にはもしあと半年で僕が死ぬとしたらという考えがずっとあって、もしそうだとしたら今やっている事で本当に大丈夫だろうかと自分に聞くようになった。だから僕の選択はいつも半年で大体納得がいく所迄持っていける事が基準になっている
  • 成功とはなんだろうか。そんなの社会的地位を得て、お金を稼いで、成長する事だと言っていても、いざ死ぬ間際になると違う事を考えたりする。なぜなら社会の所謂成功とは今を我慢して、そのリターンを将来得るモデルで、もうすぐ死にますよと言われるとそれが崩れる事に気付くから
  • 残酷な真実は、成功が他者との比較である以上、上位数%以外の人は成功できないという事。人は幸福を同じソサイエティの中で自分がどの位置にいるかで計るという研究があったけれど、つまり成功基準を統一するという事は、ある一定数の不幸せな人が生まれる事を許容する事で成り立っている
  • 生まれて目の前でレースが繰り広げられていて、みんな飛び込む。だったら僕もいかなきゃと飛び込み、どんどんやれと世間もいうから必死で走る。運がいい人は成功して、やればできると言い、運が悪かった人は自分を責めるか、拗ねて成功者をねたむ。こんなのやめたいと言うと、それは逃げだという
  • 将来の為に今やる事を考えるのは大事な事だけれど、でも今自分は何を感じているかは忘れていないだろうか。幸せが条件だと思えば、先に話したソサイエティの中の地位で自分の幸せを計るけど、本当は幸せは条件ではなくて、今ここの自分が感じている事にある。
  • 人はいつ死ぬかわからない。そんないつか悠々自適に過ごす為に今迄我慢してきたのにといっても、聞いてくれない。そして悪い事をしたから死ぬ訳でもなくて、そもそも人生は不条理にできている。人生の苦しさは因果のなさにあり、報われるとは限らない所にある

【まとめ】

  • みんなが目指してたという理由で納得できるほど人は簡単じゃなくて、だから死ぬ事を考えると自分が欲しているものを探さざるを得なくなる。成功したければそれを目指せばいいけど、しなければいけないなんて事は無い。ゴールにある幸せだけじゃなくて道中をもっと感じてもいいと、僕は思う

為末、成功する事について語る – Togetter